言い訳の東京旅行一日目(9)。水稲荷神社から穴八幡宮へ。堀部安兵衛のお酒を買う

早稲田燈幻郷が素晴らしかった甘泉園公園。

でもいつまでもいられないので出ましょう。

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甘泉園公園と早稲田大学キャンパスとの間を通る道に出られます。

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甘泉園公園の南側に隣接する水稲荷神社にもお参りしていこうと思ったのです。

その神社の参道入口には、忠臣蔵の人気浪士、堀部武庸(ほりべたけつね)こと安兵衛にまつわる史跡があるのですね。

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堀部武庸加功績跡碑」です。

この近くで繰り広げられた「高田馬場の決闘」、そこでの堀部安兵衛の活躍を顕彰する意図で、明治時代に建てられたものだそうです。

(元は別の場所に建てられたものが、昭和に入ってからこの場所に移築されています)。 

 

堀部安兵衛越後国新発田藩の出身です。

もとは中山安兵衛と名乗り、江戸で剣術道場に入門して剣の腕を磨きました。

ほどなく道場の指南役を任されて現在の新宿区内の土地に一戸建ての住居を構えるに至ったそうで、剣の才能があったのですね。

後に安兵衛は友人が行う果し合いに助太刀を申し出て、この高田馬場の付近で実際に敵方の三人を斬りました。

これが有名な「高田馬場の決闘」なんですね。

この決闘で有名になった安兵衛の腕前が、赤穂藩浅野家家臣の堀部金丸(ほりべかねまる)の目に留まります。

堀部金丸は嫡男を失っており、跡継ぎに困っている状況でした。

浅野家家臣堀部家の跡継ぎとして、安兵衛に白羽の矢が立ったわけです。

金丸の娘と縁組し、安兵衛は堀部家の婿養子になり、同時に浅野家に仕えることになりました。

高田馬場の決闘が、安兵衛がやがて「赤穂浪士」の一員となるきっかけだったのです。

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水稲荷神社参道の木も照明で装飾されてありました。

ここも早稲田燈幻郷の一部なのでしょう。

夢見心地が続きます。

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水稲荷神社にもお参りしてきました。

この神社はもともとは現在の早稲田大学キャンパス内の場所にあったそうです。

平安時代藤原秀郷(ふじわらひでさと)によって富塚古墳の丘の上に建立され、当初は「富塚稲荷」でした。

江戸時代になって境内から聖水が涌いたということで、水稲荷神社に改名したんだそうです。

昭和に入り、早稲田大学と敷地を交換する形で、甘泉園に隣接する現在地に移転しました。

先に見た堀部安兵衛の顕彰碑と合わせて、もとは別の場所にあったものを移築したのですね。

 

水稲荷神社の境内には「太田道灌駒繋ぎの松」という木もあります。

江戸城を築城したことで有名な室町時代の名匠、太田道灌(おおたどうかん)がこの近くに来て、今の水稲荷神社のある場所に馬を繋いでいたんですね。

暗くて見つけることができませんでした。

あと近くにある太田道灌関連の史跡として、今回は訪ね損ねたのですが、先に見た面影橋停留所から神田川に掛かる面影橋を渡った北側に「山吹の里の碑」というものも立っています。

太田道灌江戸城郊外の里を通りかかり、雨が降っていたので現地の農家の娘に蓑を所望したといいます。

娘は「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という和歌を詠むと共に、山吹の枝を差し出しました。

その意はつまり、貧しくて人に貸す蓑も無い。

「蓑」と「実の」で、蓑が無いことと実らない山吹とを掛けているんですね。

和歌の素養の無かった道灌は奥ゆかしく貧窮を表現した娘の意図を察することができず、蓑を貸さない相手に怒ってその場を去ります。

ところが後に娘の意図に気付いて己の無学を恥じ、文化人と目されるほどに和歌の研鑽を積むようになった、という逸話なんですね。

実際はこの太田道灌の山吹の里として比定される場所は東京周辺の各地に候補があって、議論があるそうです。

ただ山吹の里の碑があったり駒繋ぎの松があったり、この高田馬場の土地の人々の間には当地が山吹の里であるという伝承が根付いていたのだと思います。

高田馬場に山吹の里があり太田道灌が来た、というのも土地の記憶としては確かなことなのですね。

旅人として、私もその土地の記憶に寄り添いたい思いです。

 

もう午後5時近くなって暗くなってきましたけれど、まだ高田馬場周辺を散策したいですね。

堀部安兵衛が大暴れした高田馬場

馬場というのは馬を飼うところで、この辺りで旗本が馬術の訓練をしたり、時に流鏑馬の催しを行っていたということです。

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西早稲田」の交差点に面した鳥料理店の壁に、この界隈がかつての高田馬場だったことを示す案内板と展示棚が設けてあります。

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今となっては学生さんが行きかう学生街のにぎわいです。

ここから早稲田通り沿いに南へ。

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馬場下町」の交差点に面して、穴八幡宮が鎮座します。

徳川8代将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)が世継の疱瘡治癒祈願として穴八幡宮に奉納する流鏑馬を催したことを起源として、高田馬場流鏑馬を行うことが恒例となったそうです。

現在もすぐ近くにある都立戸山公園の敷地を使って、小笠原流による流鏑馬の奉納が行われているのですって。

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流鏑馬の像ですな。

この像とは関係ないと思いますが、徳川吉宗公と言えば時代劇の『暴れん坊将軍』の主人公でもあります。

松平健演じる暴れん坊将軍が馬を駆って矢を射るところを私は連想しました。

脳裏にはテーマ曲が流れています。

八幡宮には大きな朱塗りの門もあります。

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お参りして、例のごとく武運長久を祈って来ました。

さらに南に歩きます。

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「地下鉄早稲田駅前」交差点です。

向こうに「リカーショップ小倉屋」があります。

この小倉屋、江戸時代から続く老舗の酒店なのです。

そして、高田馬場の決闘に臨む前に、酒好きの堀部安兵衛がお酒をあおって景気をつけた場所でもあるんですね。

そんな由緒あるお店が今でも営業しているのです。

となれば、私のすることは決まっています。

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中に入ってお酒を買って参りました。

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堀部安兵衛を記念したお酒がちゃんとあるんですね。

吟醸酒堀部安兵衛

300ミリリットル、440円です。

醸造元は都内東村山市の酒造会社でした。

後でいただきます。

楽しみですね。

(後で宿に持ち帰って飲んでみたら、甘みがあって美味しく、飲みやすいお酒でした。ほろ酔い気分になれました)。

小倉屋では、非公開ではありますが堀部安兵衛が酒を飲むときに使った酒桝を現在でも保存しているそうです。

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ちなみに小倉屋の隣には、「夏目漱石誕生の地」を示す石碑と案内板があります。

漱石先生、ここで生まれていたんですね。

浅野内匠頭の屋敷跡に生まれた芥川龍之介といい、東京の文豪たちと赤穂浪士って何か因縁があるのか?という疑念が湧きます。

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漱石先生生誕の地は現在、飲食店の「やよい軒」の店舗になっています。

ここで漱石先生に思いを馳せながらのごはんもいいな、とは思ったのですが、後に「焼麺劔」が控えているので我慢しました。

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