言い訳の東京旅行二日目(1)。三田警察署の先は行き止まり。田町から泉岳寺まで、高輪ゲートウェイ
東京旅の二日目、港区芝は田町駅界隈で朝を迎えております。
この界隈から歩いて、南の泉岳寺まで行きたいんですね。
ただその前に、田町駅の近くにあるという「水野監物邸跡」が見たかったのです。
「大監物」の官位を授かっていた大名で幕府の老中、水野忠之(みずのただゆき)の屋敷があった場所ですね。
吉良上野介邸への討ち入り後、赤穂浪士たちはいくつかの大名屋敷に分割して預けられましたが、水野監物の屋敷もそのひとつでした。
昨晩の夜にも来たのですが、学生よりもむしろサラリーマンたちで大変賑わっていた慶應仲通り商店街でした。
朝は昨夜の喧騒を忘れて静かです。
商店街入口から突き当たりまで歩きます。
突き当たりの右手を見ると、奥に日本家屋の居酒屋さんがありますね。
この手前右手のヤツデの木に隠れるようにして、水野監物邸跡の案内板があるのです。
この辺り一帯が、三河岡崎藩主水野家の江戸屋敷だったのですね。
水野家は天保の改革を主導した水野忠邦(みずのただくに)も輩出しています。
赤穂浪士は他に伊予松山藩松平家、熊本藩細川家、長府藩毛利家の屋敷に預けられました。
水野家と細川家では浪士たちの扱いが親切だったのに対し、松平家と毛利家では冷淡であったということです。
たまたま分けられた先で待遇に大きな差ができるなんて、理不尽な話ではあります。
ただどちらにしろ、全ての赤穂浪士たちを待ち受けるのは新たな仕官の道どころか、切腹の沙汰であったわけですが。
近くには大きな公共施設もあります。
港区立三田図書館と郷土資料館が併設されているのですね。
立派な建物で、中に入ればいろいろ楽しめそうではあるのですが、今回は先を急ぐ身です。
それにまだ開館時間前でした。
余談ですが、この施設の裏手の通り沿いに、あのカルロス・ゴーン容疑者御用達ということで噂の某焼き鳥店があります。
私、旅から帰った後でそんなお店が近くにあったことを知りました。
また機会があれば、ゴーン容疑者に思いを馳せつつ焼き鳥で一杯。
そんな田町での一晩を過ごしたいものです。
港区立郷土資料館から北の「三田二丁目」交差点近くには、麻布ラーメンの店舗がありました。
開店前でしたけれどね。
麻布発祥のラーメンですかね、気になりますね。
いつか麻布に行ったらそこで食べてみましょう。
田町駅近くに戻ります。
田町駅界隈から第一京浜道路を南に行けば、泉岳寺に着くのですよ。
「株式会社バンダイナムコエンターテイメント」の本社にあたる、バンダイナムコ未来研究所が道路沿いにありました。
こんなところに本社があったのですね。
バンダイにもナムコにも玩具、テレビゲーム等を通してお馴染みです。
それはいいのですが、バンダイナムコ未来研究所の前で曲がった私は第一京浜から逸れて、脇道に入ってしまっています。
海沿いの道を行けないか、と思ったのでした。
第一京浜沿いに行けば確実に目的地まで行けたのですが。
「札の辻橋」の上から、山手線、東海道新幹線等いくつもの路線の列車の走行を眺められます。
えらい数の線路ですな。
そして田町駅と品川駅の間も結構距離があって、今度「高輪ゲートウェイ」駅ができるんですよね。
せっかく近くに来ているのに、私はその新駅のことを忘れていて、建設中の駅舎を確認することもしませんでした。
うかつでありました。
札の辻橋を渡り、その先の「三田警察署前」交差点を右手に曲がり、三田警察署の前を通る道に入りました。
この通り沿い、交通量も少なく静かな街並みなんですね。
しかしそれもそのはず、この先は行き止まりになっていて、車両も歩行者も通り抜けができないんです。
突き当たり、こうなってます。
目の前の階段は左に立つ集合住宅の入居者のためのもので、向こう側に行けるものではないのです。
知らずに階段を上って住宅前の通路を進んで見ましたが、最後には線路に阻まれ、向こう側に行く通り道もありませんでした。
もしかしたら住宅の敷地内を通って泉岳寺側に抜ける通路等があったのかもしれませんが、例えあったとしても部外者が使っていいものではありません。
袋小路ですね。
えらく歩いてきたのに、とんだ無駄足でした。
だいたいこの袋小路まで歩くのと同じくらいの距離を第一京浜で歩いていたら、泉岳寺まで着いていたはずなのです。
バンダイナムコ未来研究所のあるところまで行って、第一京浜に戻らないといけません。
再び、札の辻橋です。
バンダイナムコ未来研究所、でかい建物ですねえ。
札の辻橋から傾斜を下りながら、この東京タワーの立つ風景を見られて、少し気分が晴れました。
第一京浜。
その地下には都営浅草線が通っています。
田町駅にすぐ隣接して三田駅があるので、地下鉄に乗るなら三田駅から泉岳寺駅までひと駅です。
私のように散策するのでもなければ、地下鉄に乗ってしまうのが手っ取り早いです。
御田八幡神社が向こうにあるそうです。
あのビルも神社の持ち物なんでしょうかね。
道沿いにこんな像が。
「老老介護」なんて言葉がありますが…年輩の男性が老母を背負う涙ぐましい姿でした。
老母を背負ったり、世界一家人類兄弟だったり…。
ぶっとんだ世界観ですね。
笹川記念会館…。
これは、笹川良一大先生の関連施設でしたか。
私なんぞが世界観云々を口にして、大変失礼いたしました。
警備員の人に捕まらないうちに足早に退散します。
(先の老母を背負った「孝子の像」は金比羅参りで金比羅さんの長い階段を上った折の姿だということです。笹川良一は複雑な経歴と多彩な顔とを持ち、一筋縄ではいかない人物です。そういうわけでここでは詳細な解説を省かせていただきます)。
老母を背負って金比羅参りするぐらいなら、薪を背負って歩きながら本を読む方がまだ真似できるかな、というのが私の率直な気持ちです。
これでも金比羅系を名乗っています。
「財界二世学院」というと、財界の二世しか入学できないんでしょう。
私は今生では財界一世にもならずに終わりそうです。
泉岳寺も近づいた頃、歩道の最中に「高輪大木戸跡」が突如現れました。
大木戸はもはや無いものの、石垣の一部が残っています。
品川の宿場の北方で、東海道から江戸に入る人の出入りをここにあった高輪大木戸で制限していたのですね。
まさに高輪ゲートウェイ。
駅名の由来でありましょう。
昔は大木戸であったり関所であったり、街中に旅の自由を制限する施設も多くて、不自由だったことでしょう。
公共の道で大阪でも東京でもどこでも行ける現在からは、往時の旅人の感覚というのは想像しかねるところがあります。
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