言い訳の東京旅行三日目(13)。古賀政男音楽博物館、JASRAC前から富ヶ谷、代々木八幡宮へ
東京ジャーミー前から、井の頭通りを東にずっと行けば代々木公園に着くんですね。
代々木公園は何年も前に一度行ったきりなので、ちょっと行ってみようかな、と思います。
早い話が、今日の事前からの予定は渋谷散策と茶沢通り縦断と東京ジャーミー見学で全て消化してしまったのですね。
後は空き時間を当てもなく歩くだけです。
東京散策では、そんな自由な時間にいい風景を見つけることも多いのです。
東京ジャーミーから東に戻って代々木上原駅南の交差点を越えた先に、古賀政男音楽博物館がありました。
古賀政男って昔の有名な作曲家ですね。
私は詳しくなかったのですが、作品リストを見ると三波春夫が歌った「東京五輪音頭」が古賀政男の作曲だったのですね。
来年のオリンピックで新バージョンでまた流すみたいですね。
なんと、古賀政男音楽博物館のお隣はあのJASRAC(一般社団法人 日本音楽著作権協会)の本部でした。
東京五輪音頭の一節を歌いかけて、歌詞が口の中に引っ込みました。
神経質になりすぎでしょう。
著作権者の権利保護として、作品の二次利用から用途によって著作権料を徴収すること自体は大切なことだと思います。
議論になるのは、その徴収する二次利用の用途の範囲をどこまで広げるか…ということですよね。
博物館の運営は「一般財団法人 古賀政男音楽文化振興財団」だということです。
隣接するJASRACとの関係は、まあいろいろあるのでしょうな。
古賀政男をよく知らない私は入館せずに素通りしますので、深い詮索も控えます。
坂道のピークに達しようとしています。
井の頭通りの沿道には集合住宅が立ち並んでいます。
高所の「上原三丁目」交差点を越えてすぐ、また坂道を低所の「上原一丁目」交差点まで下って参ります。
上原一丁目の先が「富ヶ谷」の交差点になります。
東西の井の頭通りと南北の山手通りが交差する、富ヶ谷の交差点。
立体歩道橋が四方を繋げていて素晴らしいです。
こういう立体歩道橋、好きです。
ところで富ヶ谷というと、『街~運命の交差点~』では主人公の一人、細井美子(ほそいよしこ)が暮らすアパートがある場所でした。
アルバイトを掛け持ちして生活する大食いの若い女性、細井美子。
あまり収入の多くは無さそうな彼女が借りていたぐらいなので、土地柄を考えると部屋が狭いとはいえよほど稀有なアパートだったのでは、という気がします。
あんまり安アパートとかありそうにも思えない界隈なんですね。
今でも探せばあるのでしょうか、そんなアパートが。
これは南を見ています。
この山手通りを南にずっと行けば朝見てきた松濤の界隈に出られます。
これは北を見ています。
この先は「代々木八幡前」の交差点です。
この代々木八幡前を経由して代々木公園に行きます。
ついでに何年かぶりに代々木八幡にお参りして行きます。
代々木八幡前交差点の手前に、見上げるように高い謎の柱が二本、立っているのです。
この山手通りの下を山手トンネルが通っていて首都高の中央環状線が走っているので、おそらくはその山手トンネルの補強用の支柱か、出なければ通気孔ではないか、と思うのでした。
代々木八幡宮です。
神社とは別に、境内には石器時代の代々木八幡遺跡が保存されています。
参道の脇に庚申塔群がありました。
今朝お参りした、渋谷の金王八幡宮隣の稲荷神社境内にもありましたね。
やはり渋谷から世田谷界隈にかけての村落で庚申信仰が根強かったのでしょうね。
代々木八幡宮にお参りしました。
鎌倉時代、二代将軍源頼家(みなもとのよりいえ)の遺臣によって創建された八幡宮だということです。
代々木公園から流れてきたのか、何組もの若いカップルが参拝していて、暗い境内の雰囲気と若い人たちの明るい色彩との差が新鮮でした。
代々木八幡遺跡として、石器時代の古代住居が復元されています。
ここで住居の遺構と土器等の遺物が発見され、約4500年前に人が住んでいたことが推定されました。
今も周辺には住宅が集まるこの代々木八幡宮界隈、石器時代から代々木人の生活の場だったんですね。
竪穴式住居なんですね。
約4500年前から人が住んでいて、中世には八幡宮が勧請され、その後、江戸時代には庚申講の舞台にもなっている。
いろんな時代の歴史が味わえる場所でありますね。
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