言い訳の東京旅行四日目(2)。大井競馬場来訪。旧東海道を通って鈴ヶ森刑場跡
競馬はやったことがないんですが、この旅の頃に少し興味を持っていまして。
今日は品川区南部を観光するついでに、地方競馬で有名な大井競馬場も見学しておこう、というつもりだったのです。
「鈴ヶ森」の交差点です。
首都高の高架の向こうには江戸時代の「鈴ヶ森刑場」の跡地が残っています。
高架の向こうには行かず、高架に沿って右折しましょう。
数百メートルばかり歩いて、大井競馬場に着いたようですな。
しながわ区民公園と大井競馬場は敷地は隣接しているのですが、かなり迂回してこないと来れません。
入口前にバス停留所と駐車場とを兼ねた広いスペースが設けてあります。
人が全然いませんね。
ゲートは閉まってますね。
営業時間前だから閉まっている、ということではなくレースの開催されてない日に来たのですね。
こういう日にも中を見学できたりしないかな、などと期待して来たのですが、閉まってますね。
何となく予想はしていましたけれど。
定員の数の根拠を知りたく思いました。
この定員いっぱいに人を入れたら、場内が人でパンパンになってしまうのですかね。
ゲート内をのぞくと、中は何か遊園地のような雰囲気で。
入りたいなあ…と思いながら物欲しそうな目で中をのぞいていました。
次に機会があれば、レースの開催期間中にでも来たいですね。
競馬場内のグルメとかあるそうで、気にはなっているんですね。
…次に行きましょう。
この道が、旧東海道なんですね。
このあたりはかつての宿場町、品川宿の南の外れでした。
ここから南下して、先に見た鈴ヶ森の交差点付近まで戻ります。
旧東海道沿い、かつては江戸を出て関西方面に向かう旅人たちがここを通ったのですね。
今は落ち着いた住宅地の風情です。
車道側に自転車レーンが設けてあるのは、歩行者にとっては好感が持てるポイントです。
鈴ヶ森刑場跡に来てしまいました。
現在は車道と車道に挟まれた狭い場所に跡地が残るのみですが、現地の案内版によると刑場の敷地は「間口四十間、奥行き九間」あったということですので、だいたい間口が72メートル、奥行きが16メートルほどあったんですね。
鈴ヶ森刑場では、慶安の変(別名・由井正雪の乱)に関わった丸橋忠弥(まるばしちゅうや)、思い人に会いたい一心で放火事件を起こした八百屋お七など、芝居の題材になった有名な人物が数多く処刑されているそうです。
ここに写真は載せませんが、刑場跡には丸橋忠弥と八百屋お七が磔にされたときに使われたとされる土台の石がそれぞれ残っています。
刑場跡に手を合わせて、隣接する大経寺にも参拝してきました。
大経寺は処刑者の供養のために建立された寺院だそうです。
当初から来訪は予定していたこととは言え、おそらく無実の人も含めた多くの人たちが処刑された刑場跡に足を踏み入れて、気持ちは落ち込みました。
江戸の街の南端に当たる品川宿の入口に鈴ヶ森刑場が設置されていたことは幕府の計算のうえで、これから江戸に入る旅人たちへの見せしめの意味合いがあったといいます。
江戸で下手な真似をすれば厳しい裁きが待っている、という意思表示です。
よからぬ目的を持って江戸入りする旅人、移住者も少なくなかったのでしょう。
それで治安維持の必要性はわかりますが、市民の人権が現代ほど確立されず刑法にも不備があった時代、冤罪を被った市民、または軽犯罪者がここで無惨に処刑された例も多々あっただろうと思うのでした。
観光気分で来ただけに、現地の重い空気にも堪えるものがあり、しばらくは落ち込んだままで歩き続けました。
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