2019年夏東京八王子旅行一日目(2)。高尾駅から廿里古戦場、元八王子の梶原杉
荷物を今夜宿泊予定のビジネスホテルに預けてきました。
八王子駅構内から南口への通路、外から見るとああいう渡り廊下になってたんですね。
線路と車道をまたいでいます。
これからまた八王子駅に戻って、電車で市内の史跡散策に出かけます。
八王子の史跡。
というと、まず思い浮かぶのは八王子城跡ですね。
戦国時代、関東に影響力を誇った小田原北条家。
その北条家の武将、北条氏照(ほうじょううじてる)が八王子を治めていました。
彼が新しく建造した城に、八王子権現を守護神として八王子城と名づけたのが、八王子という地名の由来になったそうです。
八王子駅から電車に乗って、八王子城跡の最寄り駅である高尾駅に行きます。
中央線で、西に二駅。
仮に中央線をずっと西まで乗り続ければ、山梨県の甲府、長野県の松本まで行くことができるんですね。
八王子駅からは南の神奈川県、横浜に行くことができるし、また北の埼玉県に行くこともできます。
また当然、東に行けば東京都心、また時間をかければその先の千葉県にも出られるわけで。
四方に連絡の通じる、交通の要衝なのですね。
八王子を拠点にすれば、関東甲信越の観光は一網打尽だな…と頻繁に関東方面で旅行がしたい関西人の私は思いました。
朝早くでも電車の運行本数は多くて、高尾駅にすぐ着きました。
高尾駅北口、こういう風景でした。
雨が降っています。
高尾駅の駅舎です。
屋根の破風の装飾が寺院風と言うのか、趣ある建築になっていますね。
都内の有名登山スポット、高尾山の最寄り駅はもうひとつ西隣の高尾山口駅になるのですが、この高尾駅から歩いて登山に向かう登山客もいるみたいです。
高尾山はもともと修験道の行場でもあるので、それに合わせてのこの高尾駅の寺社風建築なのかな?と思います。
近くのコンビニで雨合羽を買って、着込みました。
折り畳み傘は持参していたのですが、これから城跡に登るわけなので、両手は空けておける方がいい、という判断です。
八王子城跡は高尾駅の北西の方角にあり、しばらくは北に歩きます。
この坂なんですけれど、ここも史跡だそうです。
歩道の脇に案内版が立っていました。
廿里古戦場(とどりこせんじょう)だそうです。
永禄12年(1569年)、甲斐国から上野国(現在の群馬県)を経由して、武田信玄の軍勢が北から武蔵国の後北条家の勢力圏に攻め込みました。
当時、北条氏照はこの廿里の北方にある滝山城を本拠としていました。
滝山城の北方から睨みを利かせる形ですね。
同時に、武田信玄配下の武将、小山田信茂(おやまだのぶしげ)率いる別働隊が、滝山城の西方、武蔵国と甲斐国との国境になる小仏峠を越えて攻めてきました。
そしてこの廿里古戦場で、北条氏照配下の三人の武将と、小山田信茂が激突。
小山田信茂方が氏照方を蹴散らし、敗走する彼らを追います。
北条氏照は武田軍によって滝山城に追い詰められ、城の三の丸まで攻め込まれる窮状に至ったといいます。
武田信玄が滝山城落城を狙わず、攻城戦の途中で目的を北条家の本拠、相模国の小田原城へ変えて南下したので、北条氏照は滅亡を免れました。
滝山城北方にいた武田信玄本隊への警戒に気を取られ、盲点だった西側の甲斐国との国境から攻め込まれた氏照の失敗。
これ以後、氏照が小仏峠の手前に広大な八王子城を築いて滝山城から本拠を移すきっかけになった、のでした。
この廿里での敗戦と、滝山城での苦しい籠城戦がなければ、八王子城は生まれていなかったということでしょう。
もと来た高尾駅方面を振り返りました。
小仏峠は高尾山の西にあるので、小山田信茂の部隊は高尾駅方面からこの高尾街道を攻め上って来たはずです。
ここで氏照配下の横地監物、中山勘解由、布施出羽守の三武将が迎撃。
しかし敗れ去った…というのは、小山田信茂の部隊がよほど強かったのでしょうか。
後の武田家滅亡直前の頃、織田家の甲斐侵攻軍へ離反するも、直後織田家により処刑された小山田信茂。
廿里での勝利は、彼の全盛期の活躍のひとつだったかもしれませんね。
今は坂の下に住宅地の広がる古戦場です。
廿里古戦場の先、高尾街道の右手には多摩御陵の緑に包まれた広大な敷地が伸びています。
参道はずっと東の方になります。
今回は、この高尾街道から手を合わせて参詣と代えさせていただきました。
「元八王子三丁目」の交差点まで来ました。
本当は、八王子城跡に行くならこのひとつ手前の「城山大橋」の交差点で左に曲がった方が最短ルートだったのです。
うっかりして、ここまで進んでしまいました。
しかし、怪我の功名、もあるもので。
元八王子三丁目の交差点から西に歩いていく途中の道沿いに、この神社の鳥居を見つけたのでした。
八幡神社ですね。
これからの八王子城跡登城に先がけて、武運をお参りして行こう、と思ったわけです。
参道の脇には住宅が並んでいます。
今は根だけが残っていますが、「梶原杉」だそうです。
現地の案内によると、この八幡神社周辺の元八王子の一帯は鎌倉時代、源頼朝の配下の武将である梶原景時(かじわらかげとき)の所領であったそうです。
景時は八幡神社を当地に勧請し、この梶原杉もその時に景時の手で植えられたものであるとか。
源義経と対立し、壇ノ浦の合戦後に頼朝に対して義経のことを「讒言した」逸話で著名な景時。
鎌倉幕府の実力者でありましたが、後に権力闘争の中で、一族と共に滅びています。
偶然、著名な人物の生きた痕跡をうかがうことができました。
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