2019年夏東京八王子旅行一日目(4)。八王子城跡の麓、御主殿跡を見学

北条氏照(ほうじょうじてる)の墓所を後にして、八王子城跡への道筋に戻ります。

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日本百名城、国指定史跡、八王子城跡。

身震いしました。

道の向こうから、霧も出ていて…。

怖くなっています。

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右手に行くと、八王子城跡の登城口です。

左手に行くと、北条氏照武家屋敷があった御主殿跡です。

御主殿跡の近くにはまた、氏照の正室ほか城の女性たちが身を投げた場所、御主殿の滝も流れています。

まずは御主殿跡と御主殿の滝を見学することにしました。

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管理事務所の建物ですね。

ボランティアガイドの方の詰め所にもなっているようです。

併設された公衆トイレは午前8時30分から午後5時00分まで利用できます。

今は朝の7時をまわったばかりで、トイレの入口は閉まったままでした。

ボランティアの方たちもまだ来ていないようです。

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古道・御主殿跡に向かいます。

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これが古道(大手道)だそうです。

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この古道から眼下を流れる城山川を挟んだ対岸の上に御主殿跡があります。

そして御主殿跡の上に八王子城跡がそびえているのですが、ここからでは樹木に隠れて川も対岸も見えません。

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古道から御主殿跡側に渡る橋です。

あの橋の辺りにかつて古道と御主殿跡を繋ぐ道はあったらしいのですが詳細は不明とのことです。

江戸時代後期の『武蔵名所図会』という地誌には、この付近に「曳橋」と名のついた簡素な橋がかかっている風景が描かれています。

現在の橋は当時の橋を復元したものではなく、見学者の便利のために整備されたものだということでした。

橋の下を流れる城山川の上流に、御主殿の滝があるということです。

この辺りに立つと、雨音に混じってかすかに滝の落ちる水音が聞こえるように思いました。

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橋の向こうに御主殿跡の高台が見えます。

霧が出ていて、私以外にまったく見学者の姿も見えず、怖いです。

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雨で表面すべりがちな橋です。

今回は八王子城跡登城と、あと後日に高尾山登山も予定していまして、簡易なトレッキングシューズを履いてきています。

でも、その類の靴でも濡れた場所を歩くとわりと滑るんですね。

天気予報によると今回の旅の間はずっと雨が降り続けるようで。

気をつけないといけませんね…。

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御主殿跡の土台を支える石垣です。

落城後の八王子城は、武蔵国の支配を受け継いだ徳川家康によって廃城とされ、それ以降手付かずだったために遺構の保存状態が良好なのだそうです。

この石垣も、戦国時代の当時のままの姿で土中から発掘されたということです。

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御主殿の、虎口であります。

コの字に曲がる石段の途中に二ヶ所の踊り場が設けてあって、防衛の人員を配置できるようになっています。

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ちょっとこの写真ではわかりにくいのですけれど、踊り場の四方に建物の支柱の跡らしい礎石が埋まっています。

どうもここに櫓門のような防衛施設があったようですね。

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御主殿跡に入ります。

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絶句しました。

一面の緑です。

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テーブルとベンチもあって、晴れた日ならここでお弁当かお菓子でも持ってきて休憩できますね。

氏照公を偲んでのアフタヌーンティーでもいい。

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これが「主殿」という建物の跡だそうです。

主殿は政治の場で、広間と城主が座る上段とがありました。

大河ドラマでよく見る、広間の上座に座る大名と下座に座る家老たち、の風景を想像します。

つまり往年には、ここで八王子城主の北条氏照とその家臣たち、横地監物や中山勘解由といった武将たちが評定を行ったのでしょう。

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建物の床だけ再現してある、「会所」跡です。

会所の説明は、「主殿で儀式を終えた後、宴会などを行った場所と考えられる」ということでした。

ここで氏照が「今宵は無礼講じゃ」と言ったかどうかはわかりません。

悲劇的な最期を迎えた主従とその家族たちにも、楽しく幸せな一夜があったことを願います。

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塀跡です。

会所の前面が外から見えないように塀をつくったようです。

きっと無礼講を隠すためですね。

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道路状遺構です。

石で囲った平坦な道の形がつくられています。

調査区外にまで続いています。

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現在の御主殿跡は主に氏照の政務の場所だけが発掘されていて、彼とその家族が暮らしていた屋敷の跡が、おそらくまだ森の中に埋もれている現状なのですね。

今後の調査が待たれます。

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この辺りから中国製磁器、国産の陶器、土器類の破片が発掘されています。

加えて、イタリアのベネチア製のレースガラスの破片も遺物として発掘されているそうです。

安土桃山時代織田信長は宣教師から西洋の調度品を入手していましたが、関東にもそうした舶来品が届いていたんですね。

中世の江戸の品川辺りには畿内伊勢国また紀伊国から来た豪商がいて、伊勢と江戸とを結ぶ太平洋沿岸の航路を利用して海運業を行っていたと聞きます。

畿内に持ち込まれた西洋舶来の品々が、伊勢と品川を経由して北条氏の手元に流れていたのかもしれない、と想像しました。

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敷地内には、他にも庭園遺構、掘立小屋遺構等ありました。

現在はこの御主殿跡は袋小路になっていて八王子城跡に登れるようにはなっていませんが、おそらくかつてはここから登城できたものと思います。

北条氏照の生活していた屋敷跡等、これからさらなる発掘と整備が進んだら、どれぐらいの時間がかかるのかわかりませんが、また見学しに来たいと思います。

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