2019年夏東京八王子旅行一日目(5)。八王子城跡山頂まで登る。激戦の地

御主殿跡から古道への戻り際、橋の上から城山川を眺めました。

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この上流に御主殿の滝があります。

城の女性たち、武将たちが自害の後に滝壺に身を投げ、流れが血で赤く染まった。

そんな伝承が残っているそうです。

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なんだか、御主殿の滝を見学しに行く元気が出ません。

古道を戻ります。

背筋が寒いような感覚がありました。

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写真には撮っていないのですが、八王子城跡敷地内の道筋には巨木が植わっていて、その根が道側に剥き出しになっている箇所が多いのです。

静かで暗い林道の間を歩いていると、それらの木の根の奇怪な形状と暗い色合いが、激しく恐怖感を煽るのでした。

八王子城徳川時代には廃城になり、明治時代に入ると城跡に国有林として植樹されたという経緯があります。

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管理事務所前を経由して、八王子城本丸跡への登城口に来ました。

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この前でようやく他の観光客の人とすれ違い、少し人心地がついたのですが。

入口に鳥居を見て、再び気持ちが引き締まります。

城跡であると同時に、神域ということでしょう。

「本丸方面で滑落事故が増えている」という注意書きにも、緊張感が高まりました。

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雨天です。

登山道には湿った箇所、ぬかるんだ箇所が多いです。

慎重に歩みを進めました。

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この辺りは金子丸です。

八王子城の曲輪(防衛機構)のひとつで、金子三郎三衛門家重(かねこさぶろうざえもんいえしげ)が守っていたそうです。

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気持ちは重く沈んでいます。

足取りも重いです。

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ここは「柵門跡」だそうです。

本丸に続く道の上につくられた平坦地で、詳しい名前の由来はわからないということです。

柵門なる施設があったものと思われます。

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風雨によるのか、道側に寄りかかるように傾いている樹木が多々見受けられました。

今にも倒れてきそうで、恐ろしいです。

そしてこの後、実際に真新しい倒木にふさがれている道さえ目の当たりにしました。

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城跡を登っているというよりも、多くの霊が眠る霊場に足を踏み入れてしまった、という心境でした。

今まで戦場になった山城跡にも何度か登っていますが、こういう心境になったのは初めてでした。

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天候のいい日には、東側に都内の副都心の高層ビル群、またスカイツリーまでの展望が開けるのだそうです。

今は雨雲と霧とに包まれて、ただただ外界から隔絶されている感覚しかありません。

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本丸界隈に近づいてきました。

階段の上は、八王子神社です。

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八王子神社境内の、天狗さんのお姿であります。

テングさまが見てる、略してテンみて。

八王子の地名の由来になった八王子神社にお参りしながら、私は社殿等、神社の施設を一切撮ることができませんでした。

そういう心理状態だったのです。

かろうじて天狗さんを写したのも、葛藤の末でした。

無事に下山したい、という思いで参拝しました。

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ここは松木曲輪(二の丸)です。

展望台になっています。

松木曲輪は、これまで何度か名の出ている、中山勘解由の防衛した場所でした。

ここで前田利家の軍勢と戦い戦死した中山勘解由の奮戦ぶりは徳川家康の耳に伝わり、勘解由の遺児たちが水戸徳川家に仕える縁になりました。

水戸徳川家中で、中山家は家老にまでなっています。

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ここで下から迫る前田利家の軍勢と、迎え撃つ中山勘解由の防衛隊が激突したのですね。

中山勘解由は討ち死に、おそらくは配下と共に全滅したものと思います。

前田勢も多くの戦死者を出したでしょう。

今も当地に、両軍の将兵の霊が眠っているのでしょうか。

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山頂曲輪(本丸)に登ってきました。

石碑と祠がありますね。

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「平地が少ないので大きな建物はなかったと考えられる」という説明がありました。

本丸を首尾していた武将は、横地監物です。

彼が、北条氏照の留守中、八王子城を預かる城代でした。

監物は八王子城落城時に北の奥多摩方面に落ち延び、そこで自害しています。

また八王子神社の社殿脇にある監物を祀った社は、もとは奥多摩町にあったものを奥多摩ダム開発の際に移設したものだということです。

 

ところで本丸から下に降りるときに、私は坂道の上のぬかるみに足先をとられて、右膝の靭帯を痛めてしまいました。

我が武運つたなく…。

本丸からさらに西に進んだ先には八王子城の西端を守る詰城(大天守)の遺構もあるという案内だったのですが、そこまで行くことはあきらめました。

下山することにします。

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