2019年夏東京八王子旅行一日目(7)。名城、滝山城跡を散策。いやらしい北条戦法の跡
武蔵野うどんにすっかり魅了されました。
雨降ってるし膝の靭帯バグってるしで具合悪いですが美味しいものを食べて体が温まると、不思議と楽観的になってきます。
観光案内所の方に、滝山城に行く路線バスを教えてもらいました。
本日は午前中に八王子城、昼食後には滝山城、という登城予定を組んできております。
昼食後から夕方までの予定はとりあえず滝山城探訪だけなので、急がずスローペースで散策するつもりです。
路線バス乗り場から、バスに乗って北へ。
浅川大橋で浅川を越え、長い長いひよどり山トンネルに入り、中央自動車道の地下をくぐって北へ。
「滝山城址下」バス停でバスを降りました。
目の前に、滝山城跡が控えています。
戦国の名城です。
この辺りは郊外で、滝山街道沿いに、滝山城跡含む都立滝山公園の緑を背にして集合住宅と民家が並んでいます。
いいところですね。
もともと滝山城は、関東管領の山内上杉氏の家臣だった、大石氏の城でした。
大石氏は信濃国発祥の武士で、上杉氏に武蔵野国の支配を任され、武蔵守護代として多摩一帯に勢力を持っていました。
大石定久(おおいしさだひさ)の代に小田原北条氏に降り、北条氏康(ほうじょううじやす)の子息、北条氏照(ほうじょううじてる)を自分の娘を娶わせて養子とし、家督を譲ります。
それ以降、八王子城を気付いて移るまでの間、この滝山城が北条氏照の本拠地でした。
多摩川の絶壁を利用して築かれた山城で、多摩川の対岸は昭島市です。
永禄12年(1569年)の武田家による小田原攻めの際には、その向こうの昭島市の拝島に陣を置いた武田信玄本体を警戒して、滝山城に北条氏照が釘付けを余儀なくされています。
その後滝山城は武田軍に包囲され、城攻めを受けました。
ただ武田の軍勢を相手に最後まで持ちこたえたところを見ると、堅城ではあったのでしょう。
散策が楽しみです。
三の丸に向かう、天野坂です。
天野坂を登りきったところで、左手に盛り上がった小宮曲輪と右手の三の丸とに挟まれた、細い谷間の通行を強いられます。
城跡敷地内、要所要所にこうした往時の想像図を用意してくれています。
攻め手が天野坂を登って攻め込む間に、左右の高台の上から守り手に攻撃される。
攻め手にとっては悪夢のような防衛施設だったわけです。
三の丸の盛り上がりです。
石垣はなく盛り土だけなので、往時の姿が想像しづらいです。
戦国時代にはもっとくっきりした造形だったかもしれないですね。
三の丸手前には、空堀の跡があります。
往時にはもっと深かったと思われる、と案内版に書いてありました。
三の丸の三方を、この空堀が囲っているということです。
武田の軍勢がこの城を攻めたときに「三の丸まで攻め入った」ということなので、ここを越えて入り込んだのですね。
武田軍にも犠牲が多かったと思います。
小宮曲輪の上にも登れたので、登ってみました。
雑草に覆われてよくわかりませんが、高いです。
小宮曲輪の上をずっと歩いて北側の山の神曲輪まで行けるのですが、まあそこへ行っても同じようなものだろうしいいか、と思いました。
とりあえず降りて本丸跡を目指します。
図で解説してくれてあります。
コの字型土橋。
お堀の一部を掘らずに残しておいて土橋とするのですが、攻め手を側面攻撃するために谷底の狭い通路に細かく曲がり角をつくるといういやらしさ。
上から矢だの槍先だの降ってくるんですから、絶対に通りたくありません。
現在はこのように草に覆われています。
矢も槍先も飛んでこないので、文句を言うつもりはありません。
土手の上に千畳敷という場所があるそうです。
登ってみます。
既視感がありました。
八王子城跡の麓の御主殿跡みたいですね。
おそらくここにも北条氏照の政務の場所があったのでは…と思いますが、私は現地で案内版を見落としたので詳細不明です。
尾根道を伝っていきます。
空堀まで草木に覆われています。
右手は二の丸、通路を通ってその先の中の丸に向かっています。
遠方左手の柵の下には腰曲輪と呼ばれる平地が設けられています。
腰曲輪は滝山城内のところどころに設けられていました。
私が滝山城跡を訪れたのはお昼頃で明るく雨も上がっていたので、八王子城跡の時ほど怖くはありませんでした。
ただ、通路を外れた森の奥に目をこらすと、霧がかかって人を拒絶するような空気が感取されます。
中の丸には和風の建物がありました。
お寺の本堂…っぽく見えないでもないですが。
小学生の子供さんたちが大勢集まって建物の周囲で遊んでいたので、私は近寄らず遠目に見るだけでした。
詳細はわかりません。
少なくとも北条氏に関係する史跡ではなさそうです。
中の丸には他に手洗いの施設もあって、天気がよければピクニックにもちょうどいい場所です。
「ひきはし」と書かれた橋が掛っています。
また既視感です。
ひきはしの向こうには本丸があります。
本丸の入口、枡形虎口です。
まず土塁に視線を阻まれます。
いいつくりですね。
右に曲がって本丸へ。
ここも草に覆われた広場のような場所でした。
草の下は地面が柔らかく、ぬかるんでいる箇所も多かったです。
本丸の見学はそこそこに、その場を後にしました。
城跡の敷地内を一周して、また入り口近くの小宮曲輪の辺りに戻って来ました。
滝山城跡、だいたい50分ほどで中を一周して来れました。
草に埋もれてわかりづらいところはあるものの、北条家の手による城の遺構がよく保存されていて、見学は面白かったです。
曲輪と曲輪の狭い谷間を通らせて上から攻撃する、という城作りは北条家の築城の特色なのかもしれません。
いやらしいですね。
以前の東京旅行で訪れた、世田谷城跡にもその痕跡がわずかにありました。
今後も、関東各地の北条家の城跡を訪れて確信を深めたいです。
「滝山城址下」バス停から再び路線バスに乗って八王子駅に戻ります。
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