連載小説

『瞬殺猿姫(38) 猿姫たちは抜け穴の先、三の丸へ』

一行の主である、織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)。 彼は、しきりにうなずいていた。 「下総守殿が仰せられる通り。国の強さとは、民の強さ。我ら武家は、あくまで民を陰ながら主導する者であるべきでござる」 先の、神戸下総守利盛(かんべしもうさの…

『手間のかかる長旅(096) 境内で、寂しさの募る二人』

面接を終えた後の、リクルートスーツ姿のまま。 時子(ときこ)とアリスの二人は、その寺の山門の前に立った。 森の中の広い敷地を、土塀が囲んでいる。 その土塀の最中に、古くて大きな山門があった。 年季が入った木造の建築である。 その山門には「如意輪…

『手間のかかる長旅(095) 山間の寺に向かう二人』

念のため、工場最寄りのバス停で時刻表を確認したが、帰りのバスは遅くまである。 もう夕暮れ時だが、例の寺に行ってしまおう。 時子(ときこ)とアリスは、そう語り合った。 例の寺。 それは以前、アリスがテレビ番組の仕事でロケをした寺である。 今二人が…

『手間のかかる長旅(094) 面接で消耗した時子』

時子(ときこ)とアリスは、二人でバス停に立っている。 面接を終えて、時子は放心状態だった。 「大丈夫?」 アリスが気遣ってくれる。 だが、当の時子はうなずくのがやっとだ。 余裕で面接を潜り抜けたアリスには、わからない気持ちだろう。 本当に、辛か…

『手間のかかる長旅(093) 二人で流れに乗る面接』

食品工場内のオフィスにある、応接室である。 突然入口の扉が開いて、辛抱強く待つ時子(ときこ)とアリスを驚かせた。 ソファから腰を上げるアリス。 彼女に習い、時子も半ば反射的に立ち上がった。 応接室の中に、三人の人物が入ってきた。 いずれも、男性…

『手間のかかる長旅(092) 事務所に入り込んだ二人』

時子(ときこ)は不安な気持ちでいる。 工場の建物に入り、玄関口で履物を脱いだ。 スリッパに履き替えて、アリスと二人、階段を登る。 面接会場である事務所は、建物二階にあるようなのだ。 二階に来た。 事務所入口前に、「入室前にアルコール消毒してくだ…

『手間のかかる長旅(091) 二人で郊外の工場に向かう』

職業安定所で見つけた食品工場の求人に即日応募して、その翌日。 時子(ときこ)とアリスは、バスの車内で座っている。 二人とも、普段着慣れないスーツ姿で身を固めていた。 バスは郊外に向かっていた。 郊外には工場地帯があって、そこに件の食品工場もあ…

『瞬殺猿姫(37) 猿姫たちと脱出する神戸下総守』

猿姫(さるひめ)たち一行は、神戸城本丸の御殿から脱出した。 城主である神戸下総守利盛(かんべしもうさのかみとしもり)を連れている。 彼を守るように、先頭に猿姫と織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)。 殿に蜂須賀阿波守(はちすかあわのかみ)が立…

『手間のかかる長旅(090) アリスの見つけた求人』

昼時、職業安定所から出て、時子(ときこ)はアリスと連れ立って歩いた。 結局、応募したいと思える求人には出会えなかった。 「明日も来ようね」 落ち込んでいる時子に、アリスは横から静かに言った。 彼女も、これと言った求人は見つからなかったらしい。 …

『手間のかかる長旅(089) こまめな助言のアリス』

アリスの笑みを、時子(ときこ)は絶望的な気持ちで見返した。 「たぶんそんな仕事は最初からないよ」 自分にできそうな仕事なんて、思い浮かばない。 時子の表情を見て、アリスは頬をふくらませた。 「何を言う。何かしらある」 「ないと思う」 「あるよ。…

『瞬殺猿姫(36) 神戸城での最後のお茶、いただく猿姫たち』

髭面の蜂須賀阿波守(はちすかあわのかみ)は、表情を曇らせた。 「今まで慣れでお主のことをうつけとは呼んでいたが…本当にうつけだったとは」 織田三郎信長(おささぶろうのぶなが)を見据えがら、阿波守はうめいている。 神戸城の二の丸。 西から攻めてき…

『瞬殺猿姫(35) 二重櫓を脱する、猿姫の胸の内』

急がないと、と猿姫(さるひめ)は思った。 いまだ織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)は格子窓に食いついて、外で繰り広げられる戦に見入っている。 傍らでは、すでに蜂須賀阿波守(はちすかあわのかみ)が窓から離れ、身支度を整えていた。 先に城主神戸…

『手間のかかる長旅(088) 職業安定所に突入したアリスと時子』

お寺で、アリスは僧侶に「宗論」を仕掛けたらしい。 時子(ときこ)には宗論が何かはよくわからない。 だが、その響きは何か物騒なものを感じさせる。 テレビ番組の企画で、アリスは、お寺に宗論を仕掛けるように仕向けられた。 アリスにとっては、その経験…

『瞬殺猿姫(34) ぐうの音も出ない猿姫と三郎』

肩を並べて格子窓から外をのぞきながら、三人は戦慄している。 猿姫(さるひめ)。 織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)。 蜂須賀阿波守(はちすかあわのかみ)。 伊勢の神戸城、二の丸の西の隅に立つ、二重櫓の二階である。 窓の外には、血生臭い光景が広…

『手間のかかる長旅(087) 話題を探す、無趣味な時子』

アリスと二人で歩きながら、時子(ときこ)は話題を探している。 アリスは「タレントの仕事は頓挫した」と語った。 ついこの間まで、彼女はそのタレントの仕事で生計を立てていたはずだと時子は思う。 えらく急な話だった。 そうした個人的な話を掘り下げる…

『手間のかかる長旅(086) アリスと二人で待ち合わせる時子』

時子(ときこ)は、もやもやと不明瞭な夢を見た。 いつもは鮮明な夢を見ることの多い時子だ。 昨夜の夢は不明瞭で、ただ悪夢でなかったことだけが幸いだった。 ここ最近、悪夢に悩まされる夜が多いからだ。 目覚まし時計のアラームに起こされて、時子は掛け…

『瞬殺猿姫(33) 猿姫たちは窓からのぞく』

神戸城の二重櫓の二階。 砂が落ちてざらざらした床板の上に腰を降ろして、猿姫(さるひめ)は物憂げな顔だった。 彼女の傍らに同じく織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)があぐらをかいている。 三郎は座ったまま、頭を垂れていた。 居眠りしている。 彼の…

『手間のかかる長旅(085) 支えられ、帰路につく時子』

時子(ときこ)はテーブルの上に潰れて、酔いが醒めるのを待っている。 苦しい。 彼女がそうしている間にも、向かいの席でアリスはさらなるおかわりを頼んでいる。 アリスへのおかわりを届ける際、女性従業員は同時に湯飲み茶碗に入れた緑茶を持ってきてくれ…

『手間のかかる長旅(084) アリスに脅され、優しい町子』

アリスのグラスを強奪してバーボンをあおった時子(ときこ)である。 今やテーブルの上に突っ伏して、酔い潰れている。 「時ちゃん、大丈夫?」 テーブルの向こうで、町子(まちこ)がしきりに気にしていた。 時子は、酒を飲み慣れていないのだ。 少量のバー…

『瞬殺猿姫(32) 二重櫓の猿姫たち三人』

伊勢は白子の宿場に近い、神戸城の二の丸に建つ、二重櫓の二階。 猿姫(さるひめ)がいて、のぞき窓から遠く亀山城のある方角を眺めている。 しかし日は暮れて、遠方には闇が降りている。 わずかに、城内の各所で燃えるかがり火が、下から夜空を照らすばかり…

『手間のかかる長旅(083) 深酒はいけない』

アリスは隣の町子(まちこ)の肩に、右腕を回している。 上機嫌で、時に町子の頬に接吻する。 町子はその都度もがく、だがアリスは逃がさなかった。 「うふふふ」 笑いながら町子にすぼめた唇を近づけて、音をたてて接吻する。 「ちゅっ」 「もう、本当にア…

『手間のかかる長旅(082) お酒の好きなアリス』

件の喫茶店の奥、いつものテーブル席。 時子(ときこ)と町子(まちこ)は、一人酒を飲むアリスに、素面で付き合っている。 時子に飲酒の習慣はない。 昼間から、バーボンをストレートにして、グラスから美味しそうに舐め取っているアリス。 彼女のことを、…

『瞬殺猿姫(31) 猿姫から離れ、一子は亀山宿』

一子(かずこ)は、物置部屋の中に積まれた、布団の間に挟まっている。 亀山の宿場町である。 旅人向けの宿が、いくらもある。 一子はそのうちの目をつけた宿のひとつに潜り込んだ。 猿姫(さるひめ)に財布を取られたままなので、一銭も持っていないのだ。 …

『瞬殺猿姫(30) 猿姫に路銀を取られたままの一子』

織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)と蜂須賀阿波守(はちすかあわのかみ)は、神戸城の本丸御殿にいる。 三郎、阿波守の順に前後に並んで通路を歩いている。 緊張した面持ちで足早に歩く三郎に比べ、後ろからついていく阿波守は気楽な表情をしている。 神…

『手間のかかる長旅(081) 荒ぶるアリスに、眉をひそめる』

この一週間で時子(ときこ)と町子(まちこ)が通い慣れた、例の喫茶店に来ている。 「お酒くださいにゃ」 全員がテーブル席に落ち着き、例の女性店員が瞬間移動してくるなりアリスは大声をあげた。 「お酒が欲しい」 「ちょっとアリス、喫茶店にお酒はない…

『瞬殺猿姫(29) 寝起きの猿姫が様子を探る』

まとわりつくような眠気を振り払い、猿姫(さるひめ)はまぶたを持ち上げた。 体を横に、寝かされている。 眠りの間にも身に添わせていた愛用の棒をつかんだまま、猿姫は上体を起こした。 衣擦れの音がする。 視界は目の前に立った屏風でふさがれているが、…

『瞬殺猿姫(28) 猿姫を置いて食事する、三郎と阿波守』

室内が清められた後、客間の一端に寝具が敷かれた。 眠っている猿姫(さるひめ)のためのものだ。 織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)は、城の下女たちと協力して彼女を寝具にまで運んだ。 眠りながら、危険な得物を手にしたままの猿姫だ。 先に蜂須賀阿…

『瞬殺猿姫(27) 猿姫を守った三郎。一子は泣く』

神戸下総守利盛(かんべしもうさのかみとしもり)は、客間を吟味している。 織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)は結局、城主である神戸下総守に事の次第を報告した。 下総守は側近たちを連れてやって来た。 彼らが室内を調べている間、三郎は部屋の隅に退…

『手間のかかる長旅(080) 乱れた化粧と時子』

何か、アリスはつらい目に遭って弱っていたらしい。 声をあげてさんざん泣いた後、今は落ち着いている。 彼女の横顔を、時子(ときこ)は見ていた。 目の下に流れたアイラインを無造作に拭いたせいで、目の周りと頬は無惨に汚れている。 見ていて気の毒にな…

『瞬殺猿姫(26) 眠る猿姫、見つめる阿波守』

滝川慶次郎利益(たきがわけいじろうとします)は、唇を舐めた。 口の中が、乾いている。 織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)と向き合っている。 二人の間の空気は、張り詰めたままだ。 三郎は眠る猿姫(さるひめ)をかばい、慶次郎に厳しい顔つきで挑ん…