2022年春埼玉旅
大宮発の帰りの夜行バスの時刻が迫っているので、駅に向かわないといけないのですが、行田市で最後に見たい場所があったのです。 さきたま古墳公園から南西に歩いていきます。 県道66号線に合流しました。 憧れのルート66ですね。 県道沿いの畑の合間に見え…
これを見に埼玉まで来た、と言っても過言ではない埼玉古墳群。 大阪の古市・百舌鳥古墳群も世界遺産を目指しているので、埼玉古墳群も一緒に登録されるといいですね。 いよいよ、さきたま古墳公園内に入りました。 古墳公園というと、昔、韓国の慶州で入った…
空腹で追い詰められるような気持ちになっていたのが、昼食を食べることが出来てお腹がいっぱいになったとたん、幸せになってきました。 お腹が空き過ぎるのも考え物です。 心に余裕のある状態で観光を再開しました。 かねつき堂からも近い、忍東照宮。 徳川…
秩父鉄道武川駅から、今度は東へ。 こちらにやって参りました。 埼玉県名発祥の地、行田です。 ここは埼玉古墳群があって、その埼玉古墳群が埼玉県の由来になっているのですね。 行田市駅です。 秩父鉄道って駅舎等がかなり渋めの老朽度具合になってますね。…
熊谷駅から列車に乗って、次の目的地に旅します。 JRではなく、秩父鉄道を利用します。 熊谷駅、秩父鉄道のプラットホームです。 秩父鉄道では、今でも週末など特定のダイヤで蒸気機関車が運行されているそうです。 全席指定の事前予約制で乗車できるそうで…
埼玉県熊谷市で旅二日目の朝を迎えました。 本日も予定をいっぱい入れていますが、せっかく熊谷に来ているので近辺の史跡等見ておきたいです。 熊谷の「銀座一丁目」の交差点です。 商店は少な目です。 群馬県と隣接する熊谷、交通案内表示に高崎の地名も見…
次の目的地へ行くため、東松山駅を後にします。 駅の外に垂れ幕が掛かっていました。 鎌倉時代に活躍した比企(ひき)氏は、現在の東松山市とその東西の比企郡がある一帯を治めていたのですね。 大河ドラマは見ておりませんが、「比企能員(ひき よしかず)…
吉見町から、市野川を渡って東松山市側に戻ります。 ところで余談ですが室町時代に吉見氏という武家がありまして、その先祖が源範頼(みなもと のりより)。 源範頼は、源頼朝と源義経の異母兄弟にあたる人物です。 この範頼は鎌倉時代に吉見町の辺りを支配…
松山城跡から、続いて吉見百穴に向かいたいと思います。 城跡の暗い森の中から出てきて、正直ホッとしました。 若干怖かったです。 松山城跡の森の地続きの場所で、岩壁の中に窓のようなものが見えるんですね。 この時は何かわからなくて気持ち悪いなと思っ…
冷汁うどんで体力がついたので、午後からも埼玉観光を楽しんで参ります。 時計塔がお洒落な、東松山駅東口の南側ロータリーです。 面白いと思ったんですが、東松山駅東口は、張り出した駅舎を挟んで北と南に二つのロータリーがあるんですよね。 これからまた…
喜多院境内を出た後、ずっと西に歩いて、川越市駅から東武東上線の列車に乗りました。 埼玉県坂戸市内の若葉駅で降りて参りました。 ここは、坂戸市内の観光名所、聖天宮の最寄り駅になるのですね。 台湾道教式の本格的な廟が日本にできたということで、ネッ…
川越城跡の周辺には、川越藩時代からの史跡も多いです。 その辺りを順次観光していきます。 川越城の田曲輪門跡から南に500メートルほど歩きました。 喜多院と成田山別院の参道です。 川越別院成田山本行院です。 幕末に千葉の石川照温という人物が、盲目に…
川越城跡の遺構が残っているらしいです。 「中ノ門堀跡」です。 川越城は、室町時代に関東管領の上杉氏の家臣だった太田道灌(おおた どうかん)とその父の太田道真(おおた どうしん)によって築城されました。 戦国時代には小田原北条氏の拠点のひとつとな…
未踏の地、埼玉に入って参りました。 一晩かけて大阪から運んでくれた夜行バスは、小江戸の通称で著名な川越に停車します。 川越駅の駅舎前、西口側に降ろしてもらえました。 埼玉の地、踏破。 まずは朝食を食べたいです。 川越の東側にまわり、北に延びる商…
伊勢鳥羽日帰り旅から一ヵ月ほど。 コロナ禍ですが、また旅行に行けそうな情勢だったので。 東京に行きたいのですが、たまには今まで行ったことのない埼玉に旅行してみようか、と思いました。 東京が好きですが、隣の埼玉も、文明開化以前は東京と同じ武蔵国…