『熊殺しはコンビニに向かう』

「熊殺しの男」の異名を持つ餅田万寿夫(もちだますお)は、自身のその異名が広まることに怯えていた。

「熊」というのは、彼が通う私立高校の体育教師で生徒指導官、田中金治(たなかきんじ)を指す。

田中金治はヒグマを上回る体格と凶暴性とを兼ね備えた危険な男であった。

全て事故だったのだ、と万寿夫は思っている。

親しい友人たちから彼の武勇伝をせがまれる度に万寿夫は青ざめ、首を横に振って拒否するばかりだった。

事件が秘密裏に処理され、田中金治も口を閉ざしている以上、万寿夫が自分の進路を危ぶむ心配はないはずだったのに。

人の口に戸はたてられない。

無事、希望の大学に入学するまで、これ以上の目立つ真似は避けようと万寿夫は思っている。

 

今日も学校帰りにコンビニに寄って何がしかの間食を得ようと思った万寿夫は、やはり人目を忍んで馴染みの店に近づいた。

校則で、寄り道も買い食いも禁止だ。

だいたい田中金治との因縁も万寿夫の間食癖が原因だったが、こればかりはどうしようもなかった。

間食ができないと、万寿夫の生き方に差し障るのである。

 

国道沿いにあるそのコンビニの敷地にたどりついて、しまった、と万寿夫は思った。

コンビニ店舗前の駐車場に、人が集まっている。

地元のごろつきがたむろしているのだった。

突っ立っている者、地べたに座り込んでいる者。

改造車、改造バイクに乗って仲間と談笑している者。

中には万寿夫と同じ学生服を着て立っている者もいて、彼らは同じ学校に通う不良学生であった。

「あ、熊殺しの餅田さん」

目ざとく万寿夫の姿を見つけて、引きつったような声をかけてきたのもそんな不良学生の一人である。

 放っておいてくれればいいのに、と万寿夫はいまいましい気持ちになる。

 だがおそらく、その不良学生にしても義務感から声をあげたに過ぎないのだろう。

 その彼は万寿夫を見て居住まいを正しているのだ。

 「お?熊殺し?」

 別のごろつきが反応した。

 それは黒い革ジャンを来て大型バイクにまたがった、バイカーのような風体の男だった。

 この男はその場の群集の中でも飛び抜けて体格がよかった。

 集団のリーダー的な存在なのかもしれない。

 「おい、どこに熊殺しがいるんだ」

 「あの人です」

 野太い声を出したバイカーに、不良学生がおそるおそるの手つきで万寿夫を示してみせる。

 バイカーは愛機の上から、万寿夫になめるような視線を向けた。

 頭からつま先まで見られている。

 まずい、と万寿夫は思った。

 場にいるごろつきたち皆が思い思いに万寿夫を見ている。

 件のバイカーを始め、血に飢えた視線を万寿夫は明らかに感じ取った。

 万寿夫は歩調を早め、彼らの脇を抜けてコンビニの店舗内に向けて急ぐ。

 「え、こいつが熊殺しなの?」

 疑いを持った口調でバイカーが言っている。

 無視しよう、と万寿夫は通り過ぎる。

 バイカーは大型バイクの席上から身を投げるように地面に着地した。

 ブーツの底でどすん、と音を響かせる。

 体重90キロ前後だろうか、と背後で音を聞きながら、反射的に計算するのを万寿夫は止められなかった。 

「おい、熊殺し待て」

 呼び止められた。

 呼び止められる前に店舗内に逃げ込めなかった。

 「こっち向けよお前」

 仕方なく、万寿夫は振り返った。

 入口をふさいでは店に来る他の客の迷惑になる、と考えて脇に移動した。

 しかし、往来を行く通行人たちはコンビニ前に集まっているごろつきの集団と万寿夫、バイカーを見て恐れをなし通り過ぎていく。

 不穏な状況を横切ってコンビニに入ろうという客などいない。

 これは営業妨害でまずいかもしれない、と思いながら万寿夫はバイカーの男に向き直った。

 「熊を潰してくれてありがとうな」

 バイカーの男は野太い声で言った。

 この男は、ただの不良という雰囲気ではない。

 「だけど、あいつは近々、俺が仕留める予定だったんだぜ」

 学生時代に田中金治から暴行を受けた先輩の一人だろうか?

 有り得る、と万寿夫は思う。

 奴はささいなことで学生に因縁をつけて、いわれのない暴力を振るう凶獣のような教師だったのだ。

 学校を卒業もしくは中退した後、復讐のために武の道に走る不良学生がいたとしても想像に難くない。

 「お前のせいで俺は今、欲求不満の塊になっているんだ」

 バイカーは独白した。

 言葉通り、その目には欲望が満ち満ちている。

 こんな危ない連中を世間に輩出している以上、田中金治の生徒指導方針はやはり間違っていた、と万寿夫は思った。

 「あの、僕、買い物に来ただけで」

 万寿夫は言い訳した。

 危険からは身を遠ざけろと剣豪、塚原卜伝も言っている。

 「買い物したらいいよ。だけどその前に、俺と手合わせしてくれよ」

 バイカーが舌なめずりするのを見て、万寿夫の背中に悪寒が走った。

 相手はもう、万寿夫と拳を交えることを決めてしまっている。

 たとえ万寿夫が相手に背を向けてコンビニ店内に入ったとしても、中まで追いかけてくるか、出てくるのを待って襲いかかってくるかどちらかなのだ。

 万寿夫は泣きたくなった。

 「こっち来い、こっち」

 バイカーは、空いた駐車スペースに万寿夫を誘う。

 万寿夫は彼に従った。

 ごろつき連中は、恐れと興味の入り混じった顔で事の成り行きを見ている。

  

2メートル足らずの距離を空けて、二人は向き合った。

 この間隔では、勝負は一瞬で決まる。

 二人の間で動きがあれば、一瞬で決まる。

 万寿夫は、自分からは手を出さないことに決めていた。

 それが人生を通した哲学でもある。

 降りかかる火の粉しか払わない。

 相手になるのがいつも血の気の多い凶獣のような輩ばかりで、自分の哲学を曲げずに済んでいることだけが万寿夫にとって救いだった。

 万寿夫が両手を脇に垂らして何気なく立っているのに対し、バイカーは両手の拳を顔の前にまで上げて身構えた。

 大きな動きで横から拳が飛んでくる。

 こういう見栄えのいい「フック」を、自分もボクシングを習う機会でもあれば使ってみたい、と万寿夫は思う。

 そんなことを妄想している間に、バイカーの男はアスファルトの地面に倒れている。

 男は顔を仰向けて、口からぶくぶくと泡を吹いている。

 白目を剥いて、しきりに上半身を痙攣させていた。

 救急車、と万寿夫は思った。

 フックを放った男の拳の下をそれを何倍も上回る速度でくぐり抜け、万寿夫は男の胴体に下から体当たりを食らわせたのだ。

 技ですらなく、「速く動いて無防備な部分に全身でぶつかった」だけのものだ。

 だがその威力は、万寿夫自身の理解を超えるほどに強大なのである。

  

あっけに取られる者、気絶したバイカーを助けようと駆け寄る者、万寿夫を恐怖に満ちた目で見ている者。

 彼らが慌しく動くのを尻目に、万寿夫はコンビニの店内に入った。

 救急車を呼ばなければいけないが、彼には自分の用事もある。

 たんぱく質だ。

 健全な心身を維持するには、毎日のたんぱく質が必要なのだ。

 「いらっしゃいませ。熊殺しのお兄ちゃん」

 いつもいる見慣れた若い男性従業員は、愛想がいい。

 「あの、救急車呼んでください」

 一部始終を店内から見ていた従業員は、嬉々として万寿夫の言葉に従った。

 店の奥に入り電話を取る気配。

 この人がごろつき連中相手に自分の噂を広めているのかもしれない、と万寿夫は苦々しく思う。

 万寿夫は商品棚に向かった。

 塩昆布入りおにぎり。

 プロセスチーズ。

 味付け煮卵。

 あと、この店はいつもパック入りの豆乳も置いていてくれるのが嬉しい。

 カゴに集めたそれらの品々を眺めて、万寿夫は、にやりと笑った。

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