『手間のかかる長旅(042) 世の中には意外なことが多い』

時子(ときこ)が優児(ゆうじ)の顔に視線を戻すと、彼は時子に目を合わせて困ったような笑みを顔に浮かべている。

恥ずかしくなって、時子は手を優児の手の上からのけた。

深い意味はなかった。

ただ、状況に飲まれたのだ。

優児にうがった見方をされたらどうしよう、と時子は心配になった。

だが、彼はそれどころではないらしい。

「私が教えられることだったら、何でも町子さんに教えます」

町子(まちこ)に対して、懸命に訴えているのだ。

時子は、かえって安心した。

「じゃあ、教えてください。今、美々ちゃんに付き合っている男がいるのかどうか」

町子は冷酷な声で、優児に尋問している。

その憎たらしさは、時子相手には見せたことのないものだ。

優児に対して徹底的に嗜虐的になっている。

ひどい、と優児に親近感を覚え始めている時子は思った。

一方の尋問を受ける優児は、煩悶している。

戸惑う風情を見せる。

「います」

とうとう、言葉をひねり出した。

押し殺した声だった。

時子も町子もとっさに優児の顔を見た。

謎めいていた美々子(みみこ)の私生活の一端が暴かれるのだ。

「やっぱり男いるのね。で、あの子誰と付き合ってるんですか?お店の店長さん?」

町子は、遠慮も何もなく切り込む。

優児は、うつむいた。

町子は舌打ちする。

「今さら黙秘?聞いているんですよ。美々ちゃんの相手は誰?」

ソファの上で、優児の手が、震えている。

時子は、胸を締め付けられるような思いがした。

「聞いてます?美々ちゃんの相手は誰なんですか」

「…私です」

「はっ?」

「私です」

優児の声は、消え入りそうだった。

時子は彼の横顔を見た。

玉のような涙が、ぼろぼろとこぼれている。

「何それ…。あなた、本気で言ってるんですか?」

彼女は素っ頓狂な声で聞いた。

さすがの町子も驚いている。

「嘘じゃありません。私と美々子さんは、お付き合いしています」

優児は涙をこぼしながら、苦しげな声で絞り出した。

嘘を言っている気配ではない。

時子も町子も、力なくソファに身を沈めた。

何と言うことだ。

優児はジーンズの知りポケットからハンカチを取り出して、目元に添える。

厚くファンデーションを塗った頬に、アイラインが溶けて無残な黒い染みをつくっている。

ぐすぐすと泣きながら優児は、目元の乱れにハンカチを当てた。

整った優児の目鼻立ちだと、乱れてもなお艶がある。

時子にとって優児の告白は、衝撃的だった。

彼が美々子の同僚ではあっても、何ら親密な関係だとは予想しなかったのだ。

しかし、それなら話は早い。

時子と町子が知らない美々子の私生活についてまで、優児は知っているに違いない。

時子は、彼と美々子の関係を夢想した。

 

大自然に生きる肉食獣のように強大な美々子と、たしなみよい深窓の令嬢のような優児。

二人の間柄では、どちらが優位に立っているのだろう。

美々子か、あるいは予想に反して実は優児が…。

涙を流している優児を隣にしながら、時子は妄想をたくましくしている。

彼女の頬は高潮して血色が良い。

町子はソファに力なく沈んだまま、呆れきった顔で優児と時子双方を眺めていた。

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