城跡、古墳、古墳、八幡宮。大阪は古市の旅
皆様こんにちは、金比羅系です。
今日はお日柄もよかったので、出かけてきましたよ。
実は私、古墳好きでもあり日本史好きでもありでして。
皆様もうご存知かもしれませんが、羽曳野市には昔、高屋城というお城があったのです。
さっそく、そのお城跡を見に行ってみましょう。
それがここなんです。
安閑天皇陵…。
天皇の御陵で前方後円墳なのですが、戦国時代には、その古墳を利用してお城として使われていたのです。
なんたること。
今の感覚では考えられないことですけれど、古墳の周囲にはお堀があるので、そのままお城として使うのに便利だったんでしょうね。
今は天皇陵に指定されているために、当然立ち入りはできません。
外からのぞくだけです。
お城跡の周辺をちょっと歩いてみましょう。
周辺は城山という地名になっていて、ちょっとした高台の上なんですね。
近くに不動明王を祀った祠がありました。
高屋城があった時代には、城の守護神として信仰されていたのかもしれません。
フェンス越しに堀の内側をのぞいてみる。
お城の名残りを見て取るのはもはや難しいですねえ…。
この場所にあった高屋城は、河内国の守護職に就いていた畠山氏が代々、本拠としてきた城だったんです。
畠山氏は鎌倉時代の名将である畠山重忠の家名を受け継いでいますが、血筋で言えば足利氏の一族です。
そして、足利幕府において管領という要職を占める家柄でありました。
畠山氏は河内国の支配者として、この高屋城で国政を執っていたわけなのです。
畠山氏が勢力を失った後には三好一族の三好康長が城主になりました。
1575年に織田信長がこの康長を攻めて降伏させた後、高屋城は廃城になっています。
高屋城跡…を見てもなんだか物足りない感じがしたので、古市周辺の史跡を巡ってみることにしました。
百舌鳥・古市古墳群と言いましてね。
大阪府堺市から羽曳野市にかけての地域に、数多くの古墳が点在しているのです。
古墳好きにはたまらない古墳ベルトが形成されているのですよ。
私も古墳好きなので見逃せませんよ。
古市駅の近くに、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の御陵へ向かう参道の入口を見つけましたぞ。
日本武尊は景行天皇の皇子で、九州に出向いて現地の豪族である熊襲を討伐し、また関東にも行き現地の豪族を討伐している英雄なのです。
熊襲を倒す際には女装して敵を油断させた逸話が有名ですね。
参道の入口を見つけたからには進みましょう。
住宅地の中を御陵までこうした舗装路が通ってまして、目印になるし歩きやすいです。
日本武尊が眠るといわれる白鳥陵。
日本武尊は東征からの帰り、伊勢の山中で山の神の呪いを受けて命を失ってしまいます。
その直後、彼の魂が白鳥の姿を取ってこの地に降り立ったので、ここを御陵にしたという言い伝えがあります。
羽曳野市の名称にある羽という字もその白鳥の羽に由来するようですね。
立派な前方古墳です。
白鳥はいませんでしたが鴨が集っていましたよ。
風でお堀の水面が静かに波打って、いい雰囲気でした。
白鳥陵を眺めていい雰囲気を味わいましたので、次の目的地に行きます。
白鳥陵の近隣に、さらに巨大な応神天皇陵があるのです。
そこそこ距離がありますが、歩きました。
よさげな川というか、暗渠?沿いの遊歩道を歩いて行ったりして。
どーん。
巨大な御陵であります。
応神天皇陵古墳。
堺市の大仙陵(仁徳天皇陵)古墳に次いで、日本で第2位の規模を誇る巨大前方後円墳。
なかなかの迫力でした。
またこの古墳に隣接して誉田八幡宮という神社がありますので、参拝しに行きます。
ただ、途中ちょっと寄り道しました。
応神天皇陵から西名阪自動車道の高架沿いにしばらく住宅地を行くと、六文銭の描かれた赤い旗が。
安土桃山時代、大阪夏の陣の際にこの近隣で戦死した、豊臣方の武将である薄田兼相(すすきだかねすけ)の墓所なのです。
徳川氏と豊臣氏の激戦の舞台が近くにあったのですね。
圧倒的な劣勢の中で戦死した薄田兼相。
しみじみ。
誉田八幡宮に行きましょう。
こういう立派な塀に沿って歩き・・・。
誉田八幡宮に着きましたぞ。
「八幡」という神様の由来については諸説ありますが、次第に応神天皇と同一視され、八幡菩薩の名で武士の信仰を集めるようになったようです。
この誉田八幡宮も武士たちに篤く信仰されました。
この社殿は豊臣氏が造営中に大阪の陣が起こり、作りかけのままになっていましたが、後に徳川氏が完成させたということです。
立派であります。
また神社の建築としても独特な気がしますね。
秋には、この石橋を通り神輿を応神天皇陵側に渡す神事が行われるということです。
境内にはこんな石塔もあります。
なんだか、韓国で見た仏塔を思い出させます。
その近くに、こんなお社も。
当宗社といって御祭神はスサノオノミコトです。
ですが、もともとは朝鮮半島の楽浪郡から渡来した当宗忌寸という人物が、その祖神である山陽公を祀っていたものだそうです。
山陽公というのは古代中国の皇帝のようですね。
またさらにこんな場所も。
「菅原道真公祈座石」と「朝鮮国王奉納灯篭」と書いてあるんですが…。
これですか。
特に説明文などもなかったので詳細は不明です。
境内のある区域に朝鮮半島と関係ありそうなものが集まっているのは、偶然なのでしょうか。
わかりませんが、本日の旅の締めくくりにいい意味でもやもやできて、嬉しかったです。
本日の古市の旅はこれまで。
長文のお付き合い、ありがとうございました。
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