『なにもない旅 なにもしない旅』雨宮処凛

「自分探しの旅」なんて言葉があります。

確かに、旅すると頭の中が自分自分の自意識でいっぱいになるんですよね。

なにもない旅 なにもしない旅 (知恵の森文庫)

雨宮処凛氏の紀行文、『なにもない旅 なにもしない旅』です。

 

この本は、私が今までに読んだ旅本の中でも特に、読んでいて心地いいと思った1冊です。

差別に遭い、暴力団員を射殺した金嬉老が立てこもった、静岡の寸又峡温泉の誰もいない街。

高知の「マジカルバー」で、電波系店主と意思疎通する一瞬。

韓国では、徹底して意思疎通に難渋する。

がっかり国会議事堂ツアー。

三浦半島の墓地でまったり、お墓寝。

木更津の駅前デパートで「チャレンジセンター」を見学。

かつて漫画家つげ義春もすげなくされた、観光客に冷たい網代鉱泉、などなど…。

 

 

雨宮氏と友人、女性二人であちらこちらに出かけては酷い目に遭ったりしみじみしたりの旅が続きます。

どの章でも、なんでわざわざそんなところに旅するんだ、という場所ばかりに出かけていくのですね。

作中、著者は「旅の評価は「つげ度」が高いか否かが基準」と語っています。

つげ義春の紀行漫画と旅エッセイに出てくるような、旅人にわびしさを感じさせる土地と宿。

雨宮氏は、そんな「つげ度」の高い旅ばかりをしてしまうのです。

その結果、出かける土地土地で、彼女たちは妙な出来事にばかり遭うことになります。

 

やはりこれはつげ度を求める著者が、妙な出来事を引き寄せてしまうのだな、と読めました。

先に書きましたが、私の場合、旅に出ると「自分」で頭がいっぱいになります。

旅というのは、旅先の土地と人ではなく、旅する自分自身がつくるものなのですね。

楽しいことを素通りするのも自分。

静かな街、人の営みに侘しさを見てしまうのも自分。

奇妙な諸々の現象に気付くのも自分…。

どこへ行っても、自分の強烈な自意識と向き合うことを余儀なくされます。

本書を読んで心地いいと感じる、私自身が心のどこかで「つげ度」の高い旅を志向しているのかもしれません。

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