神保通と南宗寺。大阪府堺市の旅
市内にある南宗寺(なんしゅうじ)というお寺で、催し物があると聞いたのですね。
南宗寺は、戦国時代に三好長慶(みよしながよし)という大名がですね。
亡くなった先代の菩提を弔うために、建立したのです。
さらには茶人の千利休が若い頃に修行していたり、禅僧の沢庵和尚が住職だったり。
多くの歴史上の人物に縁のあるお寺なわけなんですね。
本日はそこで、三好長慶をたたえるお祭りがあるということだったのです。
「第2回さかい三好まつり」というそうです。
日本史好きだと、そういう催しもの、のぞいてみたくなりますよね。
私、日本史好きなんです。
堺市にやって参りましたぞ。
目の前に立派な堺市市役所の建物が見えます。
この市役所を脇目に見て、大通りを左手に歩いていきましょう。
今回、南宗寺まで行く途中に見たい場所があったのです。
また歴史の話になるのですがね。
戦国時代、越中国(えっちゅうのくに、現在の富山県)に神保(じんぼう)氏という戦国大名がいたんですね。
で最近私、グーグルマップで堺周辺の地図見ててですね。
駅から南宗寺まで行く途中に、「神保通」という道があることを知ったんです。
大名の神保氏と関係があるのかどうかはわからないのですけれどね。
でも関係があったとしたら面白いな、と思いまして。
神保氏はもともと、北陸と現在の大阪南部とを支配していた畠山氏の、家臣だったのですね。
昔は畠山氏は堺あたりにも影響力を持っていただろうと私は推測するわけです。
なので、堺市内にある神保通の名は、畠山氏の家臣だった神保氏から来ているんじゃないかと。
何の根拠もありません、単なる私の妄想です。
つまり、自分の妄想をたくましくするために、神保通を通ってみようというわけです。
で、やって来ました。
…ルビは「しんぽどおり」と振ってありますね。
神保(じんぼう)氏とは関係ないのでしょうか?
神保通です。
なかなか味わいのある、住宅地の路地です。
味わいはありますが、普通の住宅地ですね。
しかし途中に、古いお地蔵さんを祀った祠が多数ありました。
由緒がある道なのかもしれません。
かつて、道沿いに神保氏の屋敷のひとつやふたつあったとしても。
おかしくないですよ、この雰囲気は。
皆様を私の妄想にあまり付き合わせるのも悪いので、次に進みましょう。
南宗寺に近づいて参りましたぞ。
中世の堺の町は環濠都市といいまして、縦横無尽に水路が走る、要塞都市だったのです。
環濠は豊臣秀吉に一度埋め立てられてしまったのですが、江戸時代に復活しました。
今もご覧の通り、川が市内中心部の随所を走っています。
こちらは大安寺(だいあんじ)と言いまして、南宗寺に隣接するお寺です。
安土桃山時代に、東南アジアとの貿易で活躍した、呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)という豪商がいます。
その呂宋助左衛門の邸宅を移築して使っているお寺なんですね。
建物の柱には、三好氏の家臣だった松永久秀(まつながひさひで)が残したと伝わる、刀傷がついているそうです。
残念ながら内部公開はしていないようでしたので、外から写真を撮ったのみであります。
次に参りましょう。
ようやく南宗寺にやって参りました。
到着したのが、11時を過ぎた頃。
目的の「第2回さかい三好まつり」、開始が10時と聞いてきたんです。
境内に入ると、若干の人の行き来はあるんですけれど、特にまつりらしい雰囲気はありません。
特に案内版等もなし。
おかしいな~とは思ったんですが、とりあえず参拝しておくことにしました。
二階建ての立派な門が残っています。
こんな場所があります。
「三好長慶公坐像建立約束之地」と書いてありますね。
そして、こちら、三好長慶公坐像。
有志の方々が資金を出し合って、建立約束の地に坐像を完成させたのですね。
長慶公の威容にシビれますね。
ご浄財の容器には小笠原氏の紋である、三階菱が描かれています。
三好氏は、信濃国(しなののくに、現在の長野県の一部)の名族である小笠原氏の、支流を自称していたのですね。
そういう経緯がありまして。
かつて、小笠原氏の当主、小笠原長時(おがさわらながとき)が武田信玄(たけだしんげん)に故郷の信濃国を追われた後にですね。
「同族」のよしみで、三好長慶のもとに来て、客将として滞在していたこともあるそうです。
いいお話?ですな。
境内をうろついたのですが、催し物をやっている気配がありません。
どうも私が来るのが遅かったので、受付時間が終わって屋内で講演か何か行われていたみたいです。
それにしても、負け惜しみの愚痴になりますが、境内に「さかい三好まつり」についての案内も何もないのはちょっと秘密主義が過ぎると言いますか…。
もしかしたら、そのおまつりそのものが。
観光客向けというより、三好氏の末裔を含めた関係者の方々向けだったのかな、という気がしました。
長慶公の坐像だけ見て帰るのもなんなので、本殿など拝観していくことにしました。
拝観料、大人400円かかります。
また、利休の師匠にあたる武野紹鴎、三好氏の人々の墓所等が敷地内にあります。
さらに面白い場所として、「徳川家康の墓」というものがあるのですね。
あくまで逸話なのですが。
大阪冬の陣で徳川家康(とくがわいえやす)は敵方の後藤又兵衛(ごとうまたべえ)の槍を受け、この南宗寺の境内で亡くなったのだそうです。
そのため、ここに彼の墓所がある!のですね。
後の時代に、家康の子孫である将軍たちがわざわざ南宗寺を参拝していまして。
それが、庶民の噂に尾ひれをつける結果になったようです。
事実かどうかはともかく、面白いですねえ。
家康は冬の陣の翌年には亡くなっています。
「南宗寺で亡くなったけれど影武者を使うことで一年ほど死を隠した」という想像も。
できなくはないんですよね。
南宗寺を出て、その後、堺の市街地を散策しました。
海辺に近い工場地帯の中ほどに、面白い場所がありましたよ。
ほら。
どうですか。
川の三叉路なのです。
珍しくないですか?
私なんかはわりと興奮して眺めました。
いいなあ…。
川の三叉路の前は、ちょっとした公園です。
子供が遊んでます。
川に落ちないように気をつけて遊ぶんだよ!
ハーイ!
しかしこの子、頭の上をよく見ると…。
誰か上に乗ってる!
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