『瞬殺猿姫(29) 寝起きの猿姫が様子を探る』
まとわりつくような眠気を振り払い、猿姫(さるひめ)はまぶたを持ち上げた。
体を横に、寝かされている。
眠りの間にも身に添わせていた愛用の棒をつかんだまま、猿姫は上体を起こした。
衣擦れの音がする。
視界は目の前に立った屏風でふさがれているが、依然、同じ客間にいるらしい。
屏風の向こうに、誰の気配も感じない。
連れの織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)も蜂須賀阿波守(はちすかあわのかみ)も、部屋にいないようだ。
柔らかな寝具の上に寝ていて、頭の下には箱枕が添えられてあった。
過酷な暮らしに慣れた猿姫には、身に余る贅沢に思えた。
とは言え、眠り薬で無理やり陥れられた眠りは、心地よいものではなかったが。
頭痛のする頭を振った。
鼻の奥にもつんとした鈍痛が残っている。
自分がどれほどの時間を寝ていたのか、わからない。
部屋は薄暗かった。
障子戸越しに明かりが入っているところを見ると、まだ日は落ちていないようだ。
夕暮れ時の客間に、一人きり。
猿姫は嫌な予感を覚えた。
昏倒する寸前のことを思い出していた。
彼女は昼食の膳を毒見していて、眠り薬を嗅いでしまったのだ。
そのとき同席していた三郎が、何か酷い目に遭ってはいないか。
彼女は不安になった。
寝具から立ち上がった。
立ち塞がる屏風を折り畳み、壁際に寄せた。
部屋の中を吟味する。
膳は片付けられていた。
一行の荷物は、そのまま置いてある。
三郎の鉄砲はあるが、大小の刀は残っていなかった。
少なくとも、三郎は刀を携帯している。
そう心配することはないかもしれない、と猿姫は自分に言い聞かせる。
客間の中を大股に通り、障子戸を開けて通路に出た。
戸口の脇に、人が座り込んでいる。
城の下女の一人だった。
「あっ」
部屋から出てきた猿姫を見上げて、声をあげた。
たしなみよく座っているものの、その顔はなんだか眠そうだ。
「お目覚めですか」
「ああ」
薬を嗅がされたせいとは言え、日のあるうちに眠っていたのは収まりが悪い。
猿姫は曖昧にうなずいた。
「それはようございました」
下女はうなずき返した。
「お主は、客間の戸口で何をしているんだ」
猿姫は尋ねた。
「私は、猿姫様のお目覚めまでここで見張りをするよう、申し付かっておりました」
下女は淀みなく答えた。
見張りだったのだ。
部屋に誰もいない事情はわからないが、眠る女一人部屋に残していくのは気がとがめたのだろう。
おそらく、三郎の気遣いだ。
猿姫は相手にうなずいた。
「面倒をかけた」
「いいえ。織田様のお頼みですもの」
「その三郎殿がどこへ行ったかわかるか」
膝を屈め、猿姫は座った相手に顔を近づけた。
「織田様なら、戦を見るための交渉をしに城主のところに行く、と」
「戦を」
猿姫は息を飲んだ。
「そうおっしゃいました」
今夜、この神戸城は隣接する西の領主、関家に攻められる。
そのことを、猿姫は忍びの女、一子(かずこ)から聞いていた。
その後、三郎も戦があることを城主から確認したと、猿姫に伝えている。
しかし彼から詳しい話を聞く前に、猿姫は眠り薬を嗅いでしまったのだ。
自分が昏倒した後、三郎は無事だったのか、同席していた見知らぬ武士がどうなったのか。
猿姫は気になっている。
「三郎殿は、一人だった?」
「いえ、お連れの方がご一緒で」
「連れというと、ひどい髭面の、見苦しい顔の男?」
「左様ですわ」
下女はうなずく。
阿波守だ。
「別に身なりのよい若武者が客間にいたはずなのだが、どこへ行ったのだろう」
猿姫は続けて疑問を口にする。
下女の顔が、若干強張ったようだった。
「その方は、いけません」
「いけません、とは?」
「敵方の刺客でした」
「なんと」
と驚いてみせながら、猿姫も予想はついていたのだった。
「そうです、あなたのお膳に薬を仕込んだのもそのお侍です」
わかっていたことながら、改めて聞くと、猿姫は怒りからくる体の震えを抑えられなかった。
薬を飲まされ自由を奪われるなど、あってはならないことだ。
どんな目に遭わされても、不思議ではなかった。
今、無事で生きているのは、運がよかった。
腹が立った。
自分自身の軽率さにも、腹が立った。
自分の落ち度で敵の薬を嗅いでしまったことを認めるのがつらい。
そのつらさを紛らわそうと、猿姫はことさら件の若武者の顔を思い浮かべて憎悪を向けた。
「その忍びは、織田様が追い払ってくださいました。城からは逃げられましたが」
険しい顔の猿姫をなだめる意図でか、下女は声をかける。
彼女の言葉を聞いて、猿姫は少し気持ちを落ち着けた。
「それは頼もしいこと」
「まったくそうでございますね」
下女も相槌を打った。
人事不省に陥っている間に三郎に守られていたとは、猿姫には意外だった。
自分が無事でいられたのは、もしかしたら三郎が活躍してくれたおかげなのかもしれない。
三郎に会って礼を言いたくなった。
「三郎殿は、まだご城主のところにいるのかな」
「おそらくそうでございましょう」
猿姫は下女に見張り役の礼を言って、元の持ち場に戻ってもらった。
そのまま、自分も城主のところへ行くことにする。
三郎も阿波守も、そこにいるのだ。
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