『手間のかかる長旅(085) 支えられ、帰路につく時子』
時子(ときこ)はテーブルの上に潰れて、酔いが醒めるのを待っている。
苦しい。
彼女がそうしている間にも、向かいの席でアリスはさらなるおかわりを頼んでいる。
アリスへのおかわりを届ける際、女性従業員は同時に湯飲み茶碗に入れた緑茶を持ってきてくれた。
酔い潰れている時子へのサービスらしい。
動きの悪い舌で礼を言って、時子はテーブル上に置かれた湯飲み茶碗に両手でしがみついた。
「あつつ」
手の平で包んだ湯飲み茶碗は、熱い。
口から湯気をたてているのだ。
「何を無茶なことをしてるの」
町子(まちこ)がとがめた。
「酔いを醒ましているの」
時子は湯飲み茶碗を握りながら答えた。
手の平がじりじりと温まる感覚が鈍く伝わってきて、気持ちいい。
「やけどするよ」
バーボンをあおりながら、アリスも忠告した。
「お茶の熱さじゃなくて、渋みで酔いを醒ますんだよ」
彼女は、お茶に詳しそうな口ぶりで時子を諭しにかかる。
三人で、帰路についている。
夜はふけている。
街灯に照らされた道を、三人で身を寄せ合って歩いた。
歩調の不確かな時子を、町子とアリスが両脇から支えるようにして歩いている。
アリスは結局都合7杯のバーボンを飲み干したが、自分を失うことはなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
緑茶をいただいた時子は、それでも酔いが抜けることなく、うわごとのように言いながら両脇の二人に支えられている。
「何を謝っているのだお前は」
アリスはくすくすと笑い、聞き流している。
町子は無言で、道の先を見据えている。
時子は自分でも何を謝っているのか、あやふやだ。
だが、謝るだけのことは仕出かしている自覚があった。
ひとつやふたつの過失では済まないかもしれない。
記憶の底に、自分の諸々の過失が絡まって沈んでいる。
それを引きずり出すのは、恐ろしかった。
何も思い出せないままに、謝っているのはそのせいだ。
「ごめんなさい」
「何もしていないのに、おかしな子だな」
アリスはまたくすくすと笑った。
町子は無言で時子を抱えて歩く。
誰にともなくあやふやな謝罪を繰り返す時子の顔を、アリスは横からのぞいた。
「時子、明日時間ある?」
朗らかな調子で尋ねた。
友人と会う以外、何の予定もない時子だ。
心がうずいた。
「予定は何もないわ」
言葉にするのが苦しい。
「それはちょうどよかった」
アリスは急いで言った。
「明日から当分、私も暇にゃ。お前、付き合ってくれる?」
ぼんやりとうつむいたまま歩きながら、時子はアリスの言葉を耳で受けた。
何も考えが浮かばなかった。
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