『ムグァグァム島は、親日国!』
空港と言えば聞こえはいいが、広い原っぱの横に粗末なバラック小屋が立っているだけだ。
バラック小屋の壁面には窓が設けてあり、中から人の顔がのぞいている。
小さな平屋の建物だが、あれが空港であり、管制塔代わりでもあるのだろう。
私はバックパックを担いで、老朽化したセスナ機からタラップをつたい、原っぱに降りた。
「のどかな島であることよ」
ムグァグァム島。
とうとう、私はやって来た。
しばし、感慨にふける。
原っぱの先も、見渡す限りの原っぱ。
その周囲には、何もない。
街の姿すら見えない。
地平線に、日が沈みかけている。
セスナ機は私を含めた数人の乗客を降ろすと、疲れた様子で、のろのろと原っぱの上を進んでいく。
私たちが乗ってきたのが、最終便だった。
機体はこれも原っぱの脇にある、格納庫の中にバックして、お尻から収まった。
格納庫と言えば聞こえはいいが、ただの大きなプレハブ倉庫だ。
他の乗客たちは皆、島民らしい。
質素な民族衣装をまとう人たちだ。
出稼ぎに、外国に出ていたのかもしれない。
彼らがバラック小屋の方へ向かうので、私も後から続いた。
あの小屋の中で、入国審査手続きを済ませる。
そしたら、晴れてムグァグァム国に入国できるのだ。
楽しみである。
ただこの国、難点があった。
国と言えば聞こえはいい。
だが、実質は日本の八丈島よりも小さな本島。
それとその周辺に無人島をいくつか持つだけの、ごく小さな島国だ。
観光する場所については、心もとない。
しかしそんな国だが、ムグァグァム。
「親日国」の誉れ高いのだ。
日本の巷で流行っている「世界親日国ランキング」。
その上位にムグァグァム国は常連として、常に陣取っているのである。
そのような国であるので、日本人としてこの私も、現地では熱烈な歓待を受けるはずだ。
ムグァグァム国。
国としてはよく知らないし、特別の興味もない。
だが歓待を受けることができるのだから、いい旅になるだろう。
そう思って来た。
日本人はビザ無しで入国できるということだったので、ビザ申請はしていない。
バラック小屋に入る。
この小屋が空港であり入国審査の場でもある。
室内の窓際には各種通信機を置いた机があって、管制官の男性が椅子に座っている。
先ほど、中からのぞいていた顔だ。
しかし彼はたった今仕事を終えたためか、机に頬杖をついて、眠そうだ。
私は、小屋の奥に目を移す。
ランプ明かりの下、部屋の奥に事務机が備えられているのが見えた。
そこに入国審査官が座っている。
その手前に、数人の乗客たちが並ぶ。
出稼ぎからの帰りと見える、彼ら乗客たちの一番後ろに、私は並んだ。
手続きを済ませて、乗客たちは小屋を出て行く。
故郷に戻るのだろう。
できることなら私も彼らの後についていき、街まで出たいと思う。
ガイドブックも何も持っていないから詳しくないが、たぶん空港の近くに街があるはずだ。
だいたいどこの国でもそうだから、ここでもそのはずだ。
街で宿を探したい。
私の番が来た。
審査官に請われるまま、パスポートを手渡した。
パスポート記載の写真と私の顔とを見比べる審査官。
厳しい顔つき。
親日国を名乗るからには、日本人である私に向けてもう少し笑顔が欲しい。
「ヘーイ、スマイル!」
パスポートに押印している審査官に、冗談めかして笑いかけてみる。
審査官は、顔を上げた。
笑っていない。
厳しい視線を受けた。
そこに、何の歓待の意図も感じられない。
「…すみません」
私はいたたまれず、頭を下げた。
それ以上の障害は無く、入国審査を通過して、私も小屋から外に出た。
夕暮れどきの空気が気持ちいい。
私は深呼吸した。
これより、街に繰り出すのだ。
宿を決めなくてはいけない。
周囲を見回した。
バラック小屋の空港と、プレハブ倉庫の格納庫の周囲には、原っぱしかない。
見渡す限りの平原。
地平線の向こうまで。
建物の影も形もない。
どちらの方向に行けば街があるのか、見当もつかない。
私より先に出て行ったはずの乗客たちの姿は、すでにどこにもなかった。
私は、戸惑った。
どちらへ行っていいのか、わからない。
ムグァグァム島よ!
もっと歓待してくれ、親日国だろう?
私は、小屋に戻る。
管制机で眠そうだった管制官と、同じく審査机にいて眠そうだった審査官。
扉を開けて入ってきた私を見て、二人が顔を上げた。
まだ何か用でもあるのか、という表情でこちらを見ている。
少したじろいだが、気後れしていては今後に差し支える。
勇気を出して、私は街の場所を尋ねた。
室内の二人は、顔を見合わせる。
それからこちらの顔を見据えて、街などない、と声を揃えて言った。
私は、耳を疑う。
街がない?
ないよ、と二人。
半信半疑だが、目の前の職員二人の強い口調に、私は言い返すこともできなかった。
この島には、街がないらしい。
でも、それでは私はどこに宿を取ればいいのだろう?
私の弱々しい問いかけに、二人は、また顔を見合わせた。
知らない、行くところがなければ、ここで寝ろ。
二人はそう言った。
厳しい答えだった。
聞けば、二人もこの小屋もとい空港に寝泊りしているという。
自宅が遠いので、終業後にいちいち帰っていられないのだそうだ。
この島には街などなく、島内の空港から離れた場所に、小さな集落が分散しているのだそうだ。
政府の官庁すらも、そんな集落のひとつにあるという。
なんて島だ。
そんなへんぴな島で、何の観光をしたらいいのだろう。
目の前が真っ白になる思いだった。
仕方が無いので、職員二人の言葉に従い、その夜は空港小屋に泊めてもらった。
機体の整備を終えたセスナ機の男性パイロットもやってきた。
夜間、小屋の床に四人で車座になって過ごした。
夕食には三人の好意で、彼ら秘蔵の、魚の保存食を振舞われた。
島の沿岸で取れる小魚を、土瓶にぎっしり詰めて、香草と共に発酵させたものだ。
島で一番美味しい、郷土食だという。
土瓶から木製のふたを取り外した途端に強烈な発酵臭が発散する。
私は、食欲を失った。
三人は美味しそうに手づかみでその小魚を食べ、私にもしきりに勧める。
行きがかり上、何度か応じて口にしたが、強烈な味だった。
後は、満腹になったと繰り返して、それ以後の勧めを断る。
その後は、小屋の中に魚の発酵臭を充満させたまま、四人で床に雑魚寝だ。
私は眠れなかった。
ムグァグァム人三人は、それぞれシャツにネクタイを締めた姿のまま。
横たわって眠り込んでいる。
どこで服にアイロンをかけているのだろうか。
翌日、朝から島内の散策に出る。
しかし島内には舗装路が通っておらず、乗り合いバスもタクシーも走っていない。
島内に、自動車そのものが皆無だった。
観光が難しかった。
いずれの集落も空港から遠くて、徒歩ではたどりつくことができなかった。
やむを得ず、近場にあった海沿いの風景を眺めて旅情に浸る。
日がな一日、岸壁の上に座り込んで、波の荒い海ばかり見て過ごした。
空港に戻り、その日の夕方の便で日本に帰った。
とんでもない旅だった。
あんな島のどこが親日だ、と私は帰ってから怒り心頭になっている。
腹の虫が収まらない。
私はインターネットで、ムグァグァム国についての情報を集めた。
どうしてあんな酷い島国が、「親日国」などという扱いになっているのだろう?
独自の調査を重ねるうち、次第に状況が明らかになってきた。
何でも、ムグァグァム出身の男性タレントが、日本の芸能界にいるらしい。
普段テレビ番組を見ない私は、知らなかった。
私の母国では、皆日本のことを尊敬している!
ムグァグァム人は皆、日本人が大好きだ!
そのように、彼は自分が出演するテレビ番組毎に吹聴しているのだそうだ。
こいつが情報源か、と私は確信した。
母国が日本人から親日認定を受けたいがために、こいつは好き放題を言っているのだ。
彼の言葉を真に受けて、お茶の間の善男善女は、ムグァグァム島は親日国!と信じ込んでいる。
私のようにムグァグァム島の実態を知る機会は稀だから、多くの日本人は風聞を元に判断する。
その結果の、ムグァグァム島親日認定である。
何が親日だ、嘘つきめ。
何も無い、くだらない島に誘い込んで、俺に発酵した小魚を食わせやがって。
このムグァグァム人のタレントに、苦情のメールを送ってやろうと思う。
パソコンで、彼の所属するタレント事務所の公式ウェブサイトを閲覧した。
サイト内にあったファンメール用のメールフォームを立ち上げる。
件のムグァグァム人タレント宛てに、苦情の文面をつづろうと意気込む。
いかに私が、ムグァグァム島で酷い扱いを受けたか。
それを延々と書いて、件の嘘つきタレントに、恥をかかせてやるのだ。
ようやく、鬱憤を晴らすときが来た。
だがいざ文章をつづろうとして、私は悩んだ。
自分が受けた酷い扱いを、書いてやろうと思うのだ。
しかし、よく考えれば、それを書くとこちらの人間性が疑われることばかりだった。
例を挙げよう。
「ムグァグァム島は、平原と海岸をのぞいては、何もない島だ!」。
でもそれは、誰のせいでもない。
ムグァグァム人にも、国土の有り様に関しての責任はない。
また外国人が他国のことを「何もない」と断じるのは、無礼極まりないことだ。
「街が無くて泊まるところに困り、私は空港とは名ばかりのバラック小屋に泊まらされた!」。
しかし泊めてもらえたのは、小屋にいたムグァグァム人職員の好意によるものである。
「空港小屋に滞在した夜、とても個性の強い発酵小魚を食わされた!」。
だが、これもムグァグァム人職員の好意によるもの。
そして件の発酵小魚は、ムグァグァム島の郷土食。
その味を酷評などすれば、異文化に対してのこちらの無理解を露呈してしまう。
だいたい、私が遠慮し始めてからは、職員たちは決して私に発酵魚を無理強いはしなかった。
空港小屋への宿泊も発酵小魚も、私は料金を請求されたわけではない。
完全に、彼らの好意だ。
「島の集落を見学したかったが、遠くてたどり着けなかったので海ばかり眺めて過ごした!」。
こう言葉にしてみると、なんだか悪くない旅だったかのように思えてくる。
実際に外国の島で、荒涼とした海を眺めて一日過ごすのも、悪くない体験だったのだ。
メールの文面がまとまらない。
私は、悩んだ。
何が気に食わないのだろう?
期待に反して、ちやほやされなかった。
それだけではないか。
そうなのだ。
私は、ムグァグァム島が親日国である以上、ちやほやしてもらえると思って行ったのだ。
だが実際は、予想しなかった厳しい目にばかり遭った。
それで、私は割り切れない思いにさいなまれている。
期待が強すぎた?
いやそれどころか、私はムグァグァム島がどんな場所か、ろくに調べもしないで出向いた。
かの国の親日国、の肩書きに全てを託して。
何もかも、相手任せ。
同時に自分本位。
メールでムグァグァム人タレントに愚痴ろうとすればするほど、エゴ丸出しのこちらの姿勢が露わになってしまう。
そのせいで、私は何も書けなくなってしまった。
しかし、私の中には依然、もやもやが残っている。
このタレントに、ひとこと言いたい。
何でこんな気持ちがするのだろう?
もしかしたら、と思い当たった。
文章の取っ掛かりになるものを、つかんだ思いがした。
ムグァグァム島の空港職員たちは、ちやほやはしてくれなかったが、異邦人である私を泊めてくれた。
夕食を振舞ってくれた。
旅人として、それなりに歓待してくれたのかもしれない。
結局、メールの文面を短くして、体裁を整えた。
「先日、縁あってムグァグァム島に滞在しました。風景がよく、現地の人たちの朴訥な人柄にも好感を持ちました」。
送信する。
これで、よかったのだ。
後日、件のムグァグァム人タレントから、返信を受け取った。
「旅の思い出の喜びは、貴方の気持ち次第です」。
嬉しいことを言う人だな。
それ以来、彼のファンになった。
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