『盛られた話、鰯の女性』
世間では「盛る」、と言って。
ある出来事について、実際よりも大きくふくらまして話す人がいるらしい。
私はファーストフード店の店内にいる。
テーブル席にいる。
脂っこいハンバーガーとフライドポテトに飢えてここに来た。
ポテトをちまちま一本づつ紙容器からつまみ出して口に運んでいる。
近くの席にいる大学生らしい男子二人連れの会話がこちらに聞こえてくる。
「お前それ、五割り増し盛ってるやろ」
「ふざけんな、盛ってへんわっ」
ポテトを食べながら、最初はぼんやりと聞いた。
盛るだの盛らないだの、ハンバーガーでなく牛丼店の注文のようだな、と私も最初は思っていたのだ。
よく聞き耳を立てるうち、彼らの話の概要がわかってきた。
話し手の男子には、同級生の交際相手がいる、
同じ大学に通う女子のようだ。
その彼女が、彼が家に遊びに行く度に、台所で鰯を焼いて振舞ってくれるそうなのだ。
なぜ鰯なのか、話し手の彼にもわからない。
私は盗み聞きながら、へえ~そんな気の利いた女性が世間にはいるのか、と思っていた。
若いくせに、宵の口から男女二人で一緒に焼き鰯、だなんて。
粋だ。
「お前その話、盛ってるやろ」
「やから盛ってへんって、さっきから言うてるやんけ」
まただ。
盛ってる盛ってない云々…。
ここで私は気付いた。
盛る、というのは手持ちのエピソードをふくらませることを指すのだと。
納得した。
そう言われてみれば、確かに。
交際相手が家に来る度に鰯を焼く女性。
そんな存在は、嘘くさい。
だいたい、なんで鰯なのだ。
あの彼は五割り増し話を盛ってるな、と思いながら私はポテトをさらにつまんで食べる。
ハンバーガーとフライドポテトを食べ終えて、私は店を出てきた。
腹立たしい話なのだが、実は食欲が満たされていない。
なぜかって、食事の最中から、もう鰯の塩焼きが食べたくて仕方なくなったのだ。
じゅーじゅーぴちぴち、ロースターであぶり焼いて、脂の乗った鰯の身。
その姿を想像すると、食べているハンバーガーもポテトも、奇妙に味気なくなった。
脳裏に、薫り高い鰯の塩焼きの姿がこびりついている。
「鰯って今時分は高いのかなあ…」
鰯も昔は、「大衆魚」だったらしいけれど。
独り言を言いながら、私は最寄りのスーパーマーケットに向かう。
スーパーの鮮魚コーナーで、魚を物色しながら歩いた。
私には普段、魚を調理する習慣はない。
魚を食べるとしたら、時々刺身のセットをそのまま買ってきて食べるぐらいだ。
だから今までは鮮魚コーナーでは刺身しか見なかった。
ところが、自分で何か調理するつもりで魚介類を見て回ると、これが面白い。
いろんな魚の身が並んでいる。
各種の貝もある。
水族館の、飲食版だ。
これはうまそうだな、と思いながら見て歩いた。
しかしどれも、美味しそうなものは高い。
私の財布の上限は、青天井ではない。
鰯のお値段は、果たしてどうだろうか。
鰯の並ぶ冷蔵棚の前に、人が立っている。
眼下に並ぶ鰯を覗き込んだまま、動かない。
若い女性だ。
大学生ぐらいの年頃だろう。
髪の長い、華奢な体つきの娘だった。
鰯を物色したいのに、あんなところに娘さんに立たれてはな、と苦々しく思いながら。
私は女性を何気なく観察する。
彼女は鰯を買おうかどうしようか、迷っている風情だ。
今日の鰯は、わりと高いのかもしれない。
そう思いながら私は女性の横に近づいた。
一緒になって、冷蔵棚の中を覗き込んだ。
トレーの上に乗り、パックされた鰯は、そこそこの価格だった。
安くはないけれど買えない価格でもないな、と私は思う。
「どうかな、この色合いの身と肉付きでこの値段では、ちょっと高いかもよ」
私の思考に答えるようなタイミングで、立っている女性がつぶやいた。
驚いて、私は彼女の顔を見上げる。
口元に小さな拳を当てる仕草で、一心に思案する若い横顔。
私に話しかけたのではなく、独り言だったらしい。
胸の内で、鰯の購入について自分自身と問答を繰り広げているのだろう。
気まじめそうな女性だ。
鰯を目の前に思案する人。
彼女の横顔から視線を逸らしながら、私は、件の大学生男子の話を思い出していた。
彼が訪ねる度に鰯を振舞う、例の交際相手の話である。
今、私の横に立つ彼女が、まさにその交際相手の女性その人なのだ。
愛する伴侶のために彼女は今、鰯の調達に苦慮している。
そんな気がする。
私の脳裏に、そんな妄想がまとわりついて、離れない。
鰯を物色するのもそこそこに、私はスーパーマーケットを後にした。
鰯を買い損ね、私は街を徘徊する。
件の男子学生は、どこまで話を盛っていたのだろうか。
交際相手が鰯を振舞う逸話が、盛られていたのか。
それとも、交際相手の存在そのものが、盛られていたのか。
しかし鮮魚コーナーで例の若い女性を目撃してしまい、私は男子学生の言葉を疑うことができない。
同時に、彼に嫉妬心を覚えていた。
あんな朴訥そうな娘に、毎夜、焼き鰯を用意させるとは。
しかもそのことを、得意そうに友人に語るとは。
伏し目がちに鰯を見る、娘の好ましいたたずまいを思い出しながら。
激しい嫉妬で、私の胸は焦げ付いた。
苦しい。
誰もが大げさな他人の話を「盛っている」とくさす真意が今、理解できた。
皆、話し手に嫉妬したくないのだ。
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