『自己発見講座』

心理学の知見に基づく「自己発見講座」を受講することにした。

私は、自分のことが時々わからなくなってしまう。

そんな折だった。

件の講座が開かれることを知ったのだ。

地元に基盤を置くNPO団体の主催によるものだという。

私はその団体に電話をかけて、受講の予約をした。

やはり私も、自分がどういう人間なのか、肝心なところはいつも心得ておきたい。

そういう、前向きな気持ちで決心したのだ。

 

駅ビルの三階にある貸し会議室を借りて、自己発見講座は開かれるようだ。

会場についた。

部屋の外に、受付などは設けられていない。

出入り口脇の壁に「自己発見講座」と書かれた紙が張られているだけだ。

私は扉を開けて、部屋の中に入った。

各種の講座、講演等の用途に使われる部屋なのだ

壁際には使われていない机、椅子などが小さくたたんでまとめられていた。

つるつるした合成樹脂の床が広くその姿をさらしている。

部屋の奥に、大きめのテーブルがひとつだけ。

そしてその周辺に椅子がいくつか準備されていた。

男性が一人、そこに座っている。

私はテーブルに近づいた。

「ここ、心理学の講座の部屋ですよね?」

声をかけた。

私服姿の、壮年の男性。

細長い顔と細長い体格で、猫背気味に座っている。

彼は、私の方には関心を向けない。

顔を上げて、テーブル越しに窓の外を見ていた。

「あの」

もう一度声をかけた。

彼は前を向いたまま、こちらを相手にしない。

なんだこの人は、と私は思った。

彼も講座の参加者のようなのだが、反応がない。

人形のように動かず、窓の外を見たままだ。

人形なのではないかと疑ったが、見ていると時々口から呼吸音をさせる。

人形ではなかった。

人形のような態度の、生きた男性だ。

返答を待つのは無駄とわかり、私は男性から少し離れたところの椅子を引いて座った。

 

開始予定時刻を10分程過ぎたところで、部屋の扉が開いた。

「お待たせ」

短くそう言うなり、騒々しい靴音をさせながらテーブルまでずかずかと、歩いてくる。

スーツ姿の、中年の女性だった。

片手に紙袋、片手にコーヒー店からテイクアウトしてきたらしいカップを持っている。

コーヒーの香りがした。

彼女はテーブルの上に紙袋とコーヒーカップを置き、自分も椅子に腰掛けた。

件の男性の向かいの位置である。

私から見て左手に男性、右手に女性が見える形になった。

テーブルの三方に私たちがそれぞれ腰掛けている。

「自己発見講座ねえ、参加人数少ないんなら中止にしてもらってもよかったんだけどね」

女性は誰にともなくそう言い、コーヒーをひと口すすった。

それから紙袋の中に手を入れて、ごそごそと探る。

中から、プリントの束を取り出した。

その束から数枚を手にする。

それらを目の前の男性のすぐ前に置いた。

そのまま残りを、紙袋の中に戻した。

「さっさと終わらせてお開きにしようか、こんなの時間かけても仕方ないから」

また誰にともなくそう言い、コーヒーを飲む。

何をさっさと終わらせるのだろう、と私は思った。

名乗りもしないこの女性は、何者なのだろう。

私は自己発見講座を受けに来たので、おそらくは講師だと思うのだが。

心理学の知見にもとづく講座、と事前に説明を受けている。

心理学の専門家か、もしくはカウンセラーの講師が来ることを期待して私はここに来た。

この女性が、そうなのだろうか。

「あんた何やってんの」

女性が私の顔を見ながら、顔をしかめている。

私は我に返った。

「はっ?」

「何で言われたことをさっさとやらないのよ。何様なの?」

威圧的な声だった。

「えっ…」

私は、身を固める。

何を言われているのか、わからない。

「何のことですか?」

私は恐る恐る尋ね返した。

女性のしかめ面に皺が入り、さらに歪んだ。

「何のこと、じゃないよ。馬鹿にしてんのか。プリントは配ってあるだろうが」

それはもう罵声と言っていい勢いである。

見ると私の左手にいる男性は、いつの間にかペンを取り出して、配られたプリントの一枚に何か書き込んでいる。

さっさとやる、というのはあれのことだろうか?

だが、私の前にはそのプリントは配られていない。

「いや、プリント、ないんですけど…」

恐る恐る口にした。

「子供じゃないんだから自分で取れよ」

女性から再び罵声を浴びる。

私はその勢いに怯えて身をすくめながら、何のことだ、と慌てて考えた。

もしかしたら。

男性の目の前には、彼が書き込んでいるものとは別にまだプリントが何枚か残っている。

あのプリントから一枚自分で取れ、ということなのだろうか。

私の位置からは、手を伸ばしても取れない距離なのだが。

女性の顔に目を向けた。

怒鳴るだけ怒鳴って、彼女はそっぽを向いてコーヒーを飲んでいる。

本当に誰なのだろう、この女性は。

心理学の専門家かカウンセラーというのは、もう少し他人に丁寧に接するものだと思っていたのに。

私の勘違いだったのだろうか。

困惑しながら、私は男性の方に視線を移した。

プリントまで、こちらの手が届かない。

私の分のプリントを、男性が気を利かしてこちらの方に近づけてくれないだろうか。

そういう期待を込めて彼の方を見た。

男性は、一生懸命プリントに書き込んでいる。

私の視線には気付きもしない。

よく考えれば、最初に来たときに話しかけても反応のなかった彼だ。

何かを期待するのが間違っているのかもしれない。

仕方なく、私は立ち上がった。

テーブルの周囲を回り、男性の傍らに来た。

横から手を伸ばして、プリントを一枚取ろうとする。

テーブルの上に、私の影が差した。

予想しないことが起こった。

男性が、物凄い素早さでこちらを振り返ったのだ。

我々の目が合った。

彼は目を見開いた、形相をこちらに向けている。

カンニングをするな!」

唾液を飛ばしながら、罵声を浴びせてきた。

「はっ?」

心外な言葉だった。

私は見ていない。

男性がプリントに何を書き込んでいるのか、そんなものに興味はない。

私は自分のプリントを取りに来ただけだ。

カンニングをするな!」

全く同じ調子の罵声を再び発する男性。

カンニングなんてしてませんよ」

カンニングをするな!」

たまらない。

男性の罵声を無視して、私はテーブルの上に身を伸ばし、プリントを手にした。

元の席に戻る。

座った私を、男性がまだにらんでいる。

最初に話しかけたときは全く反応すらしなかったくせに、と私も腹を立てる。

カンニングをするな!」

男性はまだ叫んでいる。

私はうんざりした。

カンニングしてごめんなさい、ぐらいのことは言ったらどうだ」

思わぬことに、右側の女性からもそんな言葉が私にぶつけられた。

私は顔を上げて女性を見た。

彼女は、仏頂面で私を見返している。

「だから、カンニングなんてしてませんて」

私は女性に言い返した。

女性も男性も、私をにらみ続けている。

何なんだこの連中は、と私は呆れた。

馬鹿馬鹿しい。

「あなたがプリントを自分で取れって言うから取りに行ったんでしょ、私は」

いい加減にうんざりしてきた私は、女性を相手に声を高める。

「言い訳すんなよ」

怒鳴り返してくる女性。

カンニングをするな!」

合わせて怒鳴る男性。

私は、拳を握った。

この連中に、いつまでも付き合っていられない。

罵声は無視して、自分の義務をまっとうしてしまおう。

私はプリントに向かった。

そこに書かれている文面に目を通した。

わかりにくいが、どうも心理テストのようだ。

設問がいくつかあって、それらに対して用意された選択肢の中から適切なものを選んでいくのだ。

おそらく私の右手にいる女性が作成したのだろう。

各設問の文面は、とてもわかりにくかった。

一例が、「今の自分のことを無視して、自分が市場にいたら、その市場は海に面しているか、山に面しているか」。

この設問への解答として選択肢は「片栗粉、クラゲ、山芋」の三つがある。

設問と選択肢の内容がうまく噛み合っていない。

どの設問もこんな具合なのだ。

しかしこういうのが、心理テストというものなのだろうか。

私は自分のバッグからペンを取り出した。

その心理テストの内容に混乱し、同時に左右からの罵声を浴びながら、私はプリントへの記入を進めていった。

 

解答を済ませるなり私はプリントをテーブルの上に残して立ち上がった。

「それじゃ帰らせてもらいます」

二人に背を向けて、出入り口の方へ。

「誰が帰っていいと言った、自己発見する気はないのか」

女性の罵声。

カンニングをするな!」

男性の罵声。

私は無視して歩いた。

私の背中に、後ろから何かぶつけられた。

それが床に落ちた音から、空になったコーヒーのカップだとわかった。

私は振り返らず、部屋を出た。

 

罵声を受けに行った自己発見講座から、一ヶ月が経った。

自宅に、郵便が来ている。

差出人は、件の講座を主催したNPO団体になっている。

封書で、中に見覚えのある、心理テストのプリントが入っていた。

私が解答を記入したものだ。

その文面の末尾には、私の記入時にはなかった、赤ペンでのコメントが書かれている。

「心理テストの結果を見るまでもなく、あなたは自分勝手な人間だということがわかりました」。

乱れた筆跡だ。

あの例の女性の手によるものだろう。

私はプリントを両手で丸めて、くずかごに投げ入れた。

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