『手間のかかる長旅(100) 次のお参りを考える』
時子(ときこ)はアリスと二人、如意輪寺の本堂を後にした。
帰る時間だ。
冷たい風の吹いている、境内に出る。
時子は、身じろぎした。
山門の方に向かう。
「お坊さん、会えなかったね」
時子はアリスの方を振り返った。
当寺にはアリスの知り合いの僧侶がいるのだが、とうとう会えなかったのだ。
「寺務所にいたのかな」
アリスも首をかしげる。
「この時間までに本堂のおつとめは済ましていたのかもしれんにゃ」
不確かな声でそう言った。
本堂の本尊の前で、お経を唱えるのは僧侶の日課のはずである。
時間が早ければ、時子とアリスは本堂で件の僧侶に会えたのかもしれない。
帰り際になっても、アリスはまだ心残りのある顔をしている。
時子はそろそろ帰りたいのだが、このままアリスを無理に連れ帰るのも気の毒なような気がした。
「アリス、そのお坊さんに挨拶だけして帰る?」
立ち止まり、アリスの顔を見た。
アリスも立ち止まった。
「うむ」
とアリス。
「そうしたかったけど、わざわざ挨拶しに行く口実がないにゃ」
そう、遠慮がちに続けた。
「どうして?面接の帰りに寄った、とでも言えば」
「今日はいいや、また今度遊びに来よう」
時子を急かして、再び歩き出すアリスである。
仕方なく、時子も彼女について歩いた。
僧侶に会うことなく、二人は寺から最寄りのバス停へ。
バスの車内で並んで座席に腰掛け、二人は家路についている。
面接を終えた後に如意輪寺に寄って、少々疲れていた。
時子は眠い顔をしている。
彼女の隣、窓際に座るアリスは車窓を眺めていた。
時子はぼんやりと、来週の頭から始まる仕事のことを考えている。
工場で働くのは初めてなので、緊張と期待が入り混じっている。
隣のアリスも同じ仕事のことを考えているのかどうか。
気になった。
もっともアリスは自分などとは違って様々な苦労をくぐり抜けてきた女性だから。
新しい仕事にも、淡々と向かっていくのかもしれない。
そんな風に時子は想像した。
「時子」
アリスが時子の方を振り返った。
「何?」
何気なく応じた。
「如意輪寺、また行こうか」
自然に提案してくる。
彼女は、まだお寺に心を残していたようだ。
「そうね、行きたいね」
時子も答える。
これから通勤する工場から近い、如意輪寺である。
仕事帰りにでも、またお参りできる機会はあるはずだ。
「あさってぐらい、どうか」
アリスは間髪入れずに提案した。
「え、あさって…」
しかし今お参りしてきたばかりなのだ。
「朝からお参りするの。で、お昼に精進料理をいただいて帰るの」
そう言われてみると、あさってまた行くのも悪くない気がする。
お泊りまでするのは躊躇しても、お昼に精進料理をいただくぐらいは許されるのではないか。
「私、他の連中も誘ってみるにゃ」
時子の表情のわずかな変化を見て取り、アリスは勢いづいた声をあげた。
「皆で行くの?」
「うん。町子たちにもあの寺を紹介してやるにゃ」
時子はうなずいた。
そうだ。
仕事が始まるまでに残されたわずかな日々。
有意義に使いたい、と時子も思った。
町子(まちこ)や美々子(みみこ)、ヨンミたちと一緒にお昼が食べたい。
先日は例の喫茶店に全員揃っての会食をし損ねたのだ。
代わりにお寺で食事するのも、いいかもしれない。
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