三十三間堂から六波羅へ。京都市の旅(3)

豊国神社、方広寺界隈から北に向けて、大和大路通は狭隘になっていきます。

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新しい住宅と昔ながらの町屋のようなお宅とが混在する住宅地ですな。

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東西に走る大通り、五条通に出くわしました。

東方面に行けば、浄土真宗の開祖、親鸞(しんらん)聖人の眠る大谷本廟

さらにその先には京都の観光地として筆頭に挙がる、かの清水寺が控えています。

しかし私の目的地、六波羅蜜寺はここから北にありますので、五条通を突っ切って大和大路を進み続けます。

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もはや大和「大路」と呼ぶのは無理があるような小道になって参りましたが。

悪くない雰囲気です。

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六波羅蜜寺と、その先には六道珍皇寺があります。

まずは六波羅蜜寺へ。

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六波羅蜜寺に着きました。

ここは平安時代中期に、醍醐(だいご)天皇の第二王子の生まれで僧であった空也(くうや)上人により開かれたお寺です。

現在の宗派は真言宗智山派ということです。

ちなみに今回の旅ではお参りしませんでしたが、智山派の本山である智積院は、三十三間堂のすぐ近くにあります。

ともあれ、六波羅蜜寺

市井の庶民に教えを広めてまわった空也上人の「念仏」の伝統を残すお寺です。

僧侶が、手にした鐘を叩いて念仏を唱えながら、練り歩くのです。

後の鎌倉時代に現れた時宗の開祖、一遍(いっぺん)上人の踊念仏に先駆けて、空也上人こそが踊念仏を始めた祖だという説もあるようですね。

いずれにしろ、空也上人も一遍上人も難しい狭義ではなくわかりやすい念仏を唱えるという形で、庶民に仏の教えを伝えた偉人だったと私は理解しています。

本堂にお参りをしました。

また今回お参りとは別に、目的があって来ているのです。

当寺には空也上人立像、平清盛坐像など、いずれも日本史の教科書に写真が載っているような、有名な重要文化財群が寺宝として所蔵されているのです。

また仏師運慶(うんけい)一族の菩提寺でもあるせいか、運慶作の地蔵菩薩坐像、運慶とその子湛慶(たんけい)の坐像もあります。

いずれも、参拝者が見学することができるのですね。

受付で宝物館の拝観料として600円を納めておきましょう。

本堂へのお参りの後、それらの寺宝を見学してきました。

歩きながら念仏を唱える姿として、口から6体の阿弥陀仏を発する空也上人立像の前に長らく立って、眺めてきました。

運慶の四男、康勝の作だそうです。

ありがたいお姿でした。

また先日の兵庫の旅、今回の京都の旅と平清盛公の足跡を味わってきている中で、穏やかな表情の清盛公の坐像を拝んで、感じ入るものもありました。 

あと、由来はわかりませんが安土桃山時代の武将であり大名、井伊直政(いいなおまさ)公の坐像もありました。

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境内にこのような石碑が立っています。

「此付近 平氏六波羅第 六波羅探題府」と銘が刻まれていますね。

平安時代後期、六波羅蜜寺の寺域内には平清盛一門の邸宅が立ち並び、平氏の本拠地となりました。

源平の合戦により平清盛一門が滅亡した後には、同地に鎌倉幕府により朝廷を監視する目的で六波羅探題が置かれます。

幕府執権である北条氏一門の出身者が六波羅探題職に任命されて、鎌倉から当地に赴任されたのですね。

この六波羅の地にも、各時代の強烈な記憶が積み重なっているようです。

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六波羅蜜寺、中世好きには大変感じるものの多いお寺でした。

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