三十三間堂から六波羅へ。京都市の旅(4)
このあたりが六道の辻なんですね。
六道というのは人間界、天上界、地獄などを含めた六つの世界を意味します。
この六波羅と六道の辻の界隈はかつて、「鳥辺野(とりべの)」と呼ばれた葬送の地の入口にあたる場所でした。
京の都の東、鴨川向こうの郊外にある鳥辺野の地は、死者が葬られる場所だったのです。
現世である都とあの世である鳥辺野とを結ぶ場所が、六道の辻だったわけですね。
その六道の辻に、こんなお店がありました。
名物の幽霊子育飴を売る、「みなとや幽霊子育飴本舗」です。
このお店には、幽霊にまつわる逸話があるのです。
慶長年間(西暦1596年から1614年)の頃のことだそうです。
ある女性が亡くなって埋葬された後、墓の中で赤ちゃんを生みました。
墓の中で生きている自分の赤ちゃんを育てるために、この母親が幽霊になって、毎晩飴を買いに来たといいます。
やがて赤ちゃんは発見され、近くのお寺、六道珍皇寺に預けられました。
成長して後、立派な僧侶になったということです。
上記のような逸話が伝わっている飴店なのですね。
その幽霊が買い求めた子育飴を、私も買ってしまいました。
500円…。
京名物で由緒がある一品ですが、高くつきました。
ちなみに小サイズで300円のものもあったのですが、なんとなくこちらの大きな方が見栄えがよかったのです。
家に持ち帰って食べたら、素朴で懐かしい、優しいお味でした。
今は固形の飴ですが、昔は水飴として売られていたそうです。
おそらく先の逸話の幽霊が赤ちゃんに食べさせていたのも、水飴だったのでしょうね。
お店の向かいには、子育地蔵尊を祀る西福寺があります。
こちらにもお参りしました。
幽霊子育飴をカバンにしまって、六道珍皇寺に向かいます。
緩い勾配を上ります。
六道珍皇寺です。
現在は臨済宗建仁寺派のお寺で、近くにある宗派の本山、建仁寺の塔頭のひとつなのですね。
境内には、平安時代の貴族であり歌人でもあった小野篁(おののたかむら)卿が、冥府(あの世)に出入りする際の入口として使ったと伝わる「冥土通いの井戸」があるのです。
その井戸を目当てに、私もやってきたのですね。
この木戸の向こうに縁側に面した中庭があって、その中庭の向こうに冥途通いの井戸があるんですね。
木戸の前に立って小窓からのぞいてみましたが、遠くの方にかろうじて小さく井戸が見えるぐらいの距離なので、なんだかわかりませんでした。
もやもやしました。
境内には他に、地獄まで音色を届かせると言われる鐘、小野篁の作と伝わる閻魔大王の木像があって、地獄趣味を満たせます。
面白い場所でした。
六道珍皇寺から出てくると、ちょうどお昼どきでした。
いつも京都観光に来る機会には、ラーメンを食べると決めているのです。
京都には美味しいラーメンの名店が多いですからね。
ただ、どうも鴨川の東側一帯にはラーメン店が少ないようなのです。
ラーメン店を見つけることができそうにないので、もう近くに手頃な飲食店があれば入ってしまおうと思います。
六道珍皇寺前から坂を少し上ったところに、力餅食堂の店舗がありました。
力餅食堂は、大阪、京都などの街を歩いていると時々目にする、京都発祥の、昔ながらの食堂のブランドなのですね。
紺地に白抜きの、交差した杵のマークの暖簾が目印です。
私も大阪で何度か入ったことがあります。
各地の店舗はチェーン店ではなく、それぞれ本店から暖簾分けした独立したお店なんですね。
お品書きの違いなど、それぞれのお店ごとに特色があります。
お腹も空いていますし、このお店に入ってみましょう。
お品書きに並ぶ料理は多いですが、私はこれを頼みました。
きつね丼です。
昔見たテレビの旅番組で、京都の太秦撮影所の役者さんが、撮影所近くの食堂できつね丼を食べているシーンがありまして。
それを見て以来、きつね丼は京都のご当地グルメなのだと私は思っています。
でも大阪の通天閣近くにある食堂にもきつね丼があったので、本当のところはどうなのかわかりませんが。
古くからやっているような食堂のお品書きにきつね丼があれば、つい頼んでしまいます。
刻んだお揚げとネギとをごはんにまぶして甘辛いだしがかけてあるという、きつねうどんの丼版とでもいった料理なのですね。
680円でした。
ちょっと割高な気がしますね…観光地京都価格なのでしょう。
お味の方は、きつね丼としてはまあまあのお味でした。
力餅食堂に来たら、これを頼まずにはいられません。
おはぎです。
あんこの内側にお餅が入っていて、甘くて美味でした。
松原通と東大路通とが交差する「清水道」の交差点に出てきました。
このまま写真の風景の奥へ、東に松原通を進んだ先には清水寺があります。
観光客も急に増えました。
今回は観光客で混み合う清水寺には向かわず、近くにある建仁寺にお参りしていこうと思うのです。
鎌倉時代、栄西(えいさい、ようさい)禅師により開山された建仁寺。
広い境内であります。
日陰も多く、散策していて心が落ち着きます。
禅宗の別の宗派である曹洞宗の開祖、道元(どうげん)禅師が修行した遺跡も境内にあります。
栄西禅師の「茶碑」が立っています。
栄西禅師は時の鎌倉三代将軍源実朝(みなもとのさねとも)に『喫茶養生記』という自書を献上しています。
日本へのお茶の伝来の起源には諸説あって、その中には栄西禅師がお茶の習慣を伝えたという説があります。
立派な本堂の建築でした。
境内には外国人の参拝客の方も多いです。
近隣に貸衣装のサービスをしている場所があるらしく、浴衣を着て散策する外国人観光客の姿もあって。
涼しげな風景でした。
私も境内をしばらく散策した後、帰路につきます。
足早に史跡巡りするのもよし、落ち着いて鴨川が流れているのを眺めるのもよし。
京都旅の楽しみ方はいろいろです。
今回もよく歩いた、京都市の旅でした。
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