『可もなく不可もなく』

気付くと、いつも同じ中華料理店に入っている。

「あどうも、まいどです」

既視感に襲われながら、僕は窓際のテーブル席に案内された。

前も「また同じ店に入ってしまった」と思いながら座り心地の悪い椅子に腰掛けたのだ。

座席の皮の部分がすっかりへこんでしまって、尻が硬い木の部分にあたる。

落ち着かない。

店内も薄暗い。

なんでこんな店に来てしまったのだろう。

テーブルの上のメニュー表を見ながら考えてしまい、何を食べるか考えがつかない。

店のガラス戸が開く音がする。

「あどうも、吉田さんいらっしゃい」

客の入店であった。

「あ、俺はまたこんなしょうもない店に来ちまった。なんでなんだろう」

「店に入るなりそんな言い草ないじゃないですか」

店主が泣き声をあげている。

今入ってきた吉田さんという客は、口さがない人物だ。

僕とまったく同じことを考えているのだろう。

吉田さんもお馴染みだものな、と僕は思う。

向こうはどうかしらないが、僕の方では彼のことを覚えている。

この店で、何度か見かけているからだ。

常連の吉田さんである。

その吉田さんはカウンタ席に座りながら、首をひねっている。

「おかしいな、俺は今日ばかりは中華料理食う気分じゃなかったし、たとえ食うにしてももっとマシな中華料理屋が界隈にいくらもあるんだけどな」

「そんなことを正直に言わなくてもいいじゃないですか、傷つきますよ」

店主が泣き声をあげている。

吉田さんは店主に取り合う様子もなく、メニュー表に視線を移す。

「いろいろ書いてあるけど、何を見ても食いたいと思わないんだ」

「そんなことないでしょ、青椒肉絲定食どうですか、旨いですよ」

「そう言われて前も注文したけど食ってもピンとこなかったんだよなあ」

「酷いな、じゃあ無難に唐揚げ定食でも」

「それは先々週にもその前の週にも食ったよ、本当に無難な可もなく不可もなくの唐揚げ」

「そんな言い方ないでしょう、褒めてくださいよ」

「本当にもう何食おうかなあ」

店主をいじめて遊んでいるのではないのだ、吉田さんは。

この店で何を食べても可もなく不可もなくで、自然とこうなってしまうのだ。

そう僕も思いながら、メニュー表を見ている。

中華料理として思いつくような料理はひととおり何でもあるのだが、どの料理名を見ても不思議と心が躍らない。

僕は中華料理が好きなのに。

おそらく何十回とこの店で食事をしていて、もうどの料理を見ても思い出せてしまうのだ。

可もなく不可もなくの味を。

店のガラス戸が開く音。

「いらっしゃいませ」

店主の声にわずかに緊張の気配がある。

僕は入ってきた客を見た。

見かけない顔だ。

スーツケースを店内に転がしてくる。

Tシャツに短パン姿の背の高い男性。

金髪に染めた髪に、大きなサングラス。

あ、外国人の観光客だ、と僕は直感的に思った。

彼は店内を見回して、少し戸惑った様子で店主の方に顔を向けている。

「お好きな席にどうぞ」

店主は曖昧に店内を示しながら浮ついた声で言った。

外国人客はうなずいて、そのまま僕の近くのテーブル席へ。

スーツケースを通路側に置いて、自分は壁際の椅子に腰を下ろした。

サングラスを外してテーブルに置いた。

丸い大きな目をしている。

日本語、通じるのだろうか。

彼はメニュー表を見て、首をひねった。

料理名は漢字なので、おそらく彼にもわかるだろう。

なぜと言って、漢字文化圏国出身者の雰囲気があるからだ。

「あのー」

それとなく様子をうかがっている僕と吉田さんとを差し置いて、外国人客は店主の方に視線を向けた。

「はい、どうぞ」

受ける店主。

「おすすめ、何ですか」

独特のイントネーションで、男性は尋ねた。

「えっ」

店主は声を詰まらせた。

見るからに狼狽している。

なるほど、と僕は思った。

中華料理の味には厳しそうな、目の肥えた外国人客なのだ。

そんな人物におすすめ料理を勧めるなどすれば、自分の首を絞めることになりかねない。

この店主に料理人としての矜持を認めていない僕は、そのように店主の心理を慮った。

「おすすめですか、弱ったな」

店主は心の隙を曝け出している。

外国人客は店主に視線を据えている。

「自慢の青椒肉絲を勧めたら」

吉田さんが声をひそめて、店主に助け舟を出した。

「えっ駄目ですよ青椒肉絲なんか、太刀打ちできませんよ」

「何だったら太刀打ちできるって言うんだよ、本当に」

吉田さんは笑い声をあげている。

しかし外国人客はやりとりが理解できないのか、身じろぎもしない。

店主のおすすめを待っているのだ。

店主の表情に焦りが見える。

「じゃあ、麻婆豆腐定食はどうでしょう」

絞り出すようにして料理名を口にした。

声をかけられた方は、少し首をかしげている。

それからようやく、小さくうなずいた。

店主はほっとしたようだ。

料理を出す前に気を抜いてしまってどうする、などと僕は余計な心配をする。

僕と吉田さんも、銘々自分の料理を注文した。

どれを食べても娯楽要素の薄い料理ばかりなので、何を注文したか特筆する気もない。

外国人観光客は、出された麻婆豆腐定食を、粛々と食べた。

店主も僕も吉田さんも、それとなく彼の食事の様子をうかがっていた。

異国情緒のある所作ながら、格調高い食事ぶりである。

しかし食べながら、彼がときどき首をかしげているのを、カウンタ内の店主はしきりに気にしていた。

食事を済ませて、外国人客は勘定を払って店を後にした。

彼が出て行った後は目に見えるほどに店内の空気も緩んだのだ。

ただ、何かそのことを口に出すのがはばかられた。

店主も吉田さんも、もちろん僕も、件の外国人客のことにはいっさい触れなかった。

 

こんな座り心地の悪い椅子は、いい加減買い換えてもいいのではないか。

そう思いながら、僕はメニュー表を見ている。

何を食べたらいいのだろう。

店のガラス戸が開く音。

「あどうも劉さん、いらっしゃい」

店主が迎えている。

僕はそれとなく入ってきた客を見た。

背広姿の背の高い男性である。

短い黒髪で、大きな丸い目をしている。

「こんにちは、なぜかまた来てしまった」

男性は応じている。

「なぜかってことはないでしょう、うちの料理が美味しいから来たんでしょう」

慌てて答える店主の声。

「でも美味しいのですかねえ…」

独特なイントネーションで言いながら首をかしげ、その外国人男性は僕の近くのテーブル席に着いた。

既視感があるな、と僕は思った。

あの常連客は時々この店にやってくる。

そして彼が初めて入店したその現場に、僕は居合わせた気がする。

だが思い出せない。

カウンタ席に座っている吉田さんも、腑に落ちない顔をして男性客の方をこまめにうかがっている。

彼も僕と同じことを考えているに違いない。

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