『瞬殺猿姫(46) 猿姫との合流を画策する、三郎と阿波守』
港に入ってきた商船から、荷を降ろす。
降ろした荷を、荷車に積み込む。
荷で満載の荷車を、蔵まで運ぶ。
荷車から荷を蔵内部に運び入れる。
商船が入港した際、そうした分担で港の運び手たちは仕事をする。
「近頃は荷の動きが激しいですな」
織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)は、傍らの蜂須賀阿波守(はちすかあわのかみ)に話しかけた。
二人の今回の持ち場は船着場で、船から降ろされた荷を荷車に積み込むのである。
船着場の石積みの平地に、広く莚が敷いてある。
その莚の上に荷降ろしされた荷が積んであるのだ。
それらの荷を、形状ごとに分けて荷車に積み込む。
そして蔵に運ぶ。
白子の港にある蔵の多くは、京、近江国、伊勢国など近隣の大商人たちが所有しているものだ。
「伊勢で動きがあるな」
荷を荷車に積み込みながら、阿波守は訳知り顔で応じた。
三郎はぼんやりした顔で阿波守を見た。
「動きですか」
「そうだ。最近は伊勢商人所有の船が頻繁に港に来る」
「確かにそう言われてみればそのような…」
「今になって気付いたのか」
「ええ」
三郎は口ごもり、大きな荷を身に引き寄せるようにして持ち上げ、荷車まで積み込んだ。
ひと息に運び込み、顔色ひとつ変えない。
まともに持ち上げることが不可能な重さの荷も、わずかな力で持ち上げ運ぶ技術が運び手には伝わっている。
三郎も運び手を始めてから半年ばかり経ち、そのやり方を体得していた。
「ずっと女のことばかり考えていたのではないのか」
顔を背けて仕事を続ける三郎を見ながら、阿波守は小声で言った。
「え、嫌なことを」
背を向けたまま、三郎は声をわずかに震わせて言った。
図星である。
「たまたま気付かなかっただけござる」
「どうだかな」
阿波守は苦笑する。
二人は仲間の女性、猿姫(さるひめ)を北伊勢の農家に待たせている。
旅の途中で路銀が尽き、金を溜めてから合流する手はずだった。
先頃その猿姫から届いた文で、充分な路銀が溜まった旨を伝えられてある。
あとは三郎と阿波守の働き如何なのだ。
次の大きな荷を三郎が持ち上げかねているのを見かねて、阿波守は手を貸した。
二人の力だと相当な重さの荷が運べる。
荷車がいっぱいになった。
待機していた荷車の運び手が、荷車を押していく。
蔵に向かうのだ。
運び手が戻って来る前に、次の荷車を荷でいっぱいにしておかないといけない。
三郎と阿波守には手を休める暇はなかった。
「そろそろ切り上げる頃合かもしれぬな」
働きながら、阿波守は三郎に声をかけた。
「もう昼餉でござるか。少しはようはございませぬか」
三郎はあまり頭が回っていない。
阿波守は顔をしかめた。
「そうではない。ここでの働きもそろそろ、と言っている」
荷の上にしゃがみこんでいた三郎は、阿波守の方を見た。
顔色が変わった。
「と言うと、猿姫殿と合流して…」
「そう嬉しそうな声を出すな。事情は込み入っている」
咎めるように小声で言う。
「何がです」
「伊勢に動きがある、と言ったであろう」
「ですな」
「思い当たることがある」
阿波守の顔が真剣味を帯びた。
「なんでござる」
「伊勢と言えば南伊勢の守護大名、北畠がいる」
「ええ」
南伊勢には名門、北畠家の北畠中納言具教(きたばたけちゅうなごんとものり)がいる。
「先の神戸城での一件を思い出せ」
半年前、三郎、阿波守、猿姫が近くの神戸城に滞在した夜。
神戸城は六角家が支援する土豪、関家の夜襲を受けた。
神戸家の当主である神戸下総守利盛(かんべしもうさのかみとしもり)は三郎たちと共に城を脱出し、それ以来神戸城は関家の治めるところとなっている。
「思い出しました」
「あれは、つまりは六角と北畠の争いであったことはわかるな?」
六角というのは、近江国の南半分を治める守護大名、六角左京大夫義賢(ろっかくさきょうだゆうよしかた)のことだ。
六角家は南の北畠家とは敵対関係にある。
「あの夜の戦は、六角家の傘下にある関家が、北畠家の傘下にある神戸家を追ったものだということですな」
「うむ」
二人は仕事の手を止めず、荷運びの合間合間に話している。
「北畠中納言とすれば、そのまま黙っていては沽券に関わる」
「でありましょう」
「であればおそらくは神戸下総守の居場所を探り、連絡も取り合っていよう。神戸城奪還について」
「おお」
「北畠と繋がる伊勢商人。それらの商人が扱う大きな荷の動き。おそらくはこれは北畠の戦準備の故と見てとれる」
近頃白子の港に入る伊勢商人の大量の荷の大半は、木材に竹など、戦で使われるものだった。
他には皮革、硝石、硫黄と言った、武具の材料となるものも混じっている。
「下総守殿が、とうとうやるのですな」
「伊勢商人たちが北畠のために荷を集めているのだとまだ決まったわけではないが、その目算が大きい」
三郎は、神戸下総守を思い出している。
共に神戸城を脱出し、その後この白子港での運び手の仕事を紹介してくれたのも、神戸下総守だ。
彼は茶の湯の道を愛し、三郎と心が通じるところがあった。
「しかし下総守殿も…戦をするなら、我らにも声をかけてくれればよいものを」
「おぬしや俺のような者に声をかけたところで何の役に立つということもあるまい」
「しかし」
三郎は無念を顔で示した。
「それは他人行儀な。戦についてひとこと教えてくれてもよさそうなものです」
「もしくは、我らをこれ以上戦に巻き込むまいとする気遣いかもしれんぞ」
「でしょうか」
「北畠程の大物が動いているとすれば、それを六角も察知していよう。我らは知りようもないが、六角も御用商人を使って大掛かりな戦準備に入っているのかもしれん」
「なるほど」
「北畠と六角が共に出馬するのなら、前回とは比べ物にならぬ大戦(おおいくさ)になろう」
神戸家と関家、それぞれの背後にいた親玉が出てきて神戸城を奪い合う戦なのだ。
「北伊勢は未曾有の混乱に飲み込まれる」
「そうなったら我らはどうすれば」
「だからそろそろ切り上げる頃合だ、と言っておろうが」
阿波守は結論をつけた。
「この界隈で大戦が始まるのに、ぼやぼやしておられん。路銀はそれなりに溜まったのだ、見切りをつけて猿姫と集まる」
「ですな」
阿波守の力強い調子に、三郎も元気良く相槌を打った。
状況は緊迫している、らしい。
それでも、待ち焦がれた猿姫に会える、という嬉しさは何物にも代え難かった。
だが、三郎には気にかかることがある。
「阿波守殿、待ってくだされ」
「何だ」
「我ら、当初は下総守殿を北畠家に送り届ける手はずでござった」
「そう言えばそんな成り行きだったかな」
神戸下総守を加えた四人で南伊勢の北畠中納言具教に会いに行き、下総守の身柄を預ける。
同時に、三郎たちは北畠中納言に堺までの旅路の援助を求めるはずだった。
その南伊勢への途上で路銀が尽きたので、充分な路銀を貯めるために下総守から仕事の紹介を受けたのである。
三郎、阿波守、猿姫はそれぞれの仕事に就き、下総守は当面、家臣たちの元に潜伏することになった。
路銀が溜まれば再び合流して、南伊勢を目指す手はずだった。
「もし北畠家と神戸家が大戦を始めるのだとしたら、我らはどうすればよいのでござろう?」
問われて、阿波守の視線が一瞬泳いだ。
「このまま、北畠家を頼りにしてもよいものでござろうか」
「うむ」
阿波守は目を細めて、口の中で舌を動かしている。
彼にしてもいい答えは思いつかなかったらしい。
「その可否を明らかにするためにも、我らは急ぎ猿姫と会おう」
いずれにしろ、白子港を辞去することになりそうだった。
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