『祝祭の後日』
ミコは思案した。
他人様の目のある場所では恥ずかしい。
草木も眠る丑三つ時はいかがであろう。
使い古しのシーツに目穴を開けて頭から被り、一体の異様な者になった。
そんなミコが家を出た。
丑三つ時だ。
道沿いに街灯もほとんどない、貧しい町である。
暗黒の夜である。
この遅くにも窓から明かりの漏れる家はあったが、稀である。
月光ばかりが、暗闇の中に白いシーツを被ったミコの姿を浮き上がらせている。
丑三つ時であってみれば、草木も眠る。
当然人も動物も眠っている。
でなければミコも今のような暴挙には出ていない。
「ははは…」
白いシーツの裾を足元まで垂らし、サンダル履きのつま先を蹴り上げて闊歩する。
歩く度にはためいては折り重なるシーツの隙間の目穴から、外を覗いている。
確保できる視界は曖昧だ。
加えて世はかすかな月明かりだけの暗闇だ。
命知らずのミコでなければ、精霊の姿で夜道を歩くことなどできない。
楽しくて、頭に血が昇る。
「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ」
彼女は歌いあげた。
建物のまばらな野に、甲高い声が響き渡る。
答える者はいない。
田畑に沿うような民家と民家の間の道筋を、かろうじて歩いた。
そうして彼女は今、遠い都会の町並みに思いを馳せている。
都会では若者たちが車両を横転させて祝祭の余興とした。
記憶に新しい珍事であった。
他人様の目のあるところでそのような暴挙に出て、いかにも世俗の祭りである。
と、ミコは思った。
人の目に触れることで、ただならぬ気配は失われる。
神懸った若者たちの暴挙は、しかし生々しい人の行いと受け取られたことだろう。
その得体の知れない本質は生きた感情で覆い隠され、他人の目に映った。
翻って、白い姿で移動する今の自分を、誰も目にはしていない。
得体の知れないミコの動機を知るのは、本人だけだ。
お前など異様な存在ではない、と断じる他人が存在しない。
そうである間、自身が沈黙している間、ミコは異様な精霊なのだ。
「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ」
甲高い声で歌い上げた。
一軒の家の門前に躍り出た。
見知った家だ。
暗闇の中でも、彼女が道筋を迷わず来れたのは、意味合いある家である。
同級生の男の子が住んでいた。
視界の利かない闇に、表札の「橘」という刻印をミコははっきりと見ている。
「もしもし」
門に向かい、おしとやかな小声をかけた。
けれども彼女は精霊なので、小声が高い響きを伴っている。
生身の人が耳にすれば、戦慄する類の声色だった。
玄関前の鉄扉が閉まっている。
ミコの声は届くまい。
聞く者の無いのは幸いだった。
住人は眠っている。
「もしもし」
ミコの喉から、まったく同じ呼びかけが出た。
異様な声色。
「もしもし」
住人は眠っている。
精霊はその姿を誰にも見られず、声も聞かれない。
ただ、その跡を残す。
「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ」
声色が変じた。
精霊にお菓子を供えることは、彼らを野山に追う護符の意味合いであった。
精霊の夜から、一週間ばかりも過ぎた。
放課後に、ミコは呼び出された。
校舎の屋上は見晴らしがいいばかりか、いつも便利な場所だ。
給水塔の陰から、同級生の橘が出てきた。
戦慄した風情でいる。
ミコを見る目に、怯えがあった。
「来てくれてありがとう」
迎える声の、語尾がかすれた。
ミコは曖昧に首をかしげて応じる。
もはやミコは精霊ではない。
精霊の夜の記憶は、精霊が持ち去った。
その彼女の顔つきを、橘はうかがっている。
「君だったの?」
橘は問うた。
「さあ?」
ミコにはわからなかった。
「得体の知れない抜け殻があった」
精霊の脱ぎ捨てた、白いシーツを橘は言い表している。
「怖くて震えた」
目穴が細長く、ひしゃげて開いていた。
使い古された、ただの白いシーツだ。
それを橘は、畏れ多く語っている。
精霊の抜け殻として扱っている。
ミコはそ知らぬ顔でいる。
「家の前の地面に、奇妙な文様と…心をえぐる文言が刻まれてあって」
続けて橘は独白する。
もう声が震えている。
ミコはそ知らぬ顔で聞いた。
「お菓子をあげない僕が悪かったよ」
絞り出すように言った。
橘には、思い当たるところがあるのだ。
ミコは曖昧に微笑んで、その謝罪を受け流した。
彼女は精霊の意図を感知しない。
お菓子をくれない者は、いたずらされる。
新品価格 |