言い訳の東京旅行一日目(3)。浜離宮庭園への道すがら。都立竹芝ふ頭公園は穴場
JR浜松町駅の近くまで歩いてきました。
歩道橋に登って、駅のホームを眺めています。
元来た増上寺の方角も眺めます。
遠くに増上寺の三解脱門と本堂の屋根が見えています。
だいぶ歩きましたね。
東京タワーはビルに隠れてしまって見えません。
歩道橋から駅の東側に降りました。
首都高の迂回路か何か出来るのかもしれません。
旧芝離宮恩賜公園には入ったことがないので入ってみてもいいのですが、北に少し行った海沿いに、旧芝離宮恩賜公園よりも大きな浜離宮庭園があります。
浜離宮庭園にも入ったことがありません。
どうせなら浜離宮の方に行ってみようか、と思いました。
浜離宮に行く前に、遠回りして東の臨海部へ。
都立竹芝ふ頭公園です。
竹芝ふ頭は、行政上は東京都に属する伊豆諸島、小笠原諸島と東京都港区とを結ぶ東京本土の玄関口です。
ちょっと見物していきましょう。
入口右手にはモアイらしい石像の顔が出迎えています。
南国のイメージを醸す目的で設置されたものと思われます。
左手には女性らしいモアイも出迎えています。
伊豆諸島と小笠原諸島の島民の方々が利用する竹芝ふ頭、「なんでモアイ?」という声が出ないのか不思議ではあります。
島民の方々も細かいことにはつっこまないでやり過ごしているのでしょう。
広場には帆船のマストが立っています。
かつての島嶼部への連絡船から持ってきたものなのでしょうか。
わかりません。
乗船口は閉じられています。
ふ頭にはコンテナが積まれてあります。
農協の八丈島支店の銘が入ったコンテナもあります。
八丈島の農産物も、東京の食生活を支えているのですね。
八丈島と言えば、安土桃山時代に中国地方の大名だった、宇喜多秀家(うきたひでいえ)を連想します。
彼は関ヶ原の戦で西軍の主力として大軍を率いて戦いますが、敗れて逃走生活の後、八丈島に流されました。
以後、本土に戻ることなく島で一生を終えています。
八丈島には今でも、宇喜多姓または浮田姓を名乗る人たちが多いと聞きます。
宇喜多秀家の子孫にあたる人たちも、きっと竹芝ふ頭を通って東京本土に来ているのでしょう。
乗船口のあるフロアの上階にはレインボーブリッジを眺められるプロムナードもあって、ここから見るお台場方面の夜景もきっと綺麗だと思います。
穴場のデートスポットかもしれません。
都立竹芝ふ頭公園でした。
引き続き浜離宮庭園に向けて歩きます。