言い訳の東京旅行三日目(1)。渋谷の街。金王八幡宮界隈へ。庚申塔群もある
東京旅行も三日目にもなると、東京の雰囲気に体が慣れてきますね。
今回の旅は一貫して「忠臣蔵の故地を巡る旅」がテーマだったわけなのですが、三日目はそのテーマからいったん逃れまして、朝から渋谷に来ました。
渋谷駅構内の、ハチ公前広場を見下ろす例の場所に来ています。
テレビゲームの『ペルソナ5』にも出てくるあの場所ですね。
前年にもここに来ているんですね。
まだ午前7時前で駅構内にも街にも人が少ないようですが、それでも渋谷に来るとなんだか気分が盛り上がります。
ご覧のように忠犬ハチ公も独占状態。
まだ11月なのですが、若者の街渋谷において早めに世界エイズデーを告知している忠犬ハチ公の姿。
人と人とが待ち合わせる場所だけに、告知効果、さらに言うと予防効果は絶大でしょう。
渋谷スクランブル交差点を横断する人の数もまだこんな程度です。
人が少ないので街歩き散策にはちょうどいいかもですね。
青ガエルの観光案内所もまだ出入り口が開いていませんね。
宮益坂下の交差点から、近くにある史跡、金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)に向かいます。
渋谷ヒカリエのビルですな。
あんな建築よく建てましたね。
渋谷駅前は工事中の箇所が多くて、作業員の方々の姿もよく見られました。
この高層ビルは渋谷ストリームって商業施設らしいです。
こちらもいい建築ですな。
この渋谷ストリームから明治通りを挟んだ道路向かいにあるのが、警視庁渋谷警察署です。
ところで私、実は今回渋谷で、今から21年前に出た『街~運命の交差点~』というテレビゲームのロケ地巡りをしたいと思って来ています。
この作品は実際に渋谷の街でロケを行い、俳優さんたちが演じる主人公と登場人物を撮影した各場面を背景として取り込んだ、進路選択式のノベルゲームになっています。
一時期あった「サウンドノベル」というジャンルのゲームです。
複数の主人公たちの人生が、渋谷の街の各所で交差する。
その舞台になった場所が渋谷中に点在しているのですね。
「忠臣蔵」からいったん離れたのは、渋谷滞在中は史跡巡りとは別に「『街~運命の交差点~』ロケ地巡り」をテーマにしたかったからなのですね。
渋谷には忠臣蔵の関連史跡は無さそうだったので。
で、話は戻りますが、警視庁渋谷警察署。
『街~運命の交差点~』主人公の一人であるゲーマー刑事こと雨宮桂馬(あめみやけいま)が所属する警察署であり、作中に何度も登場する重要な場所なのです。
なのですが、あろうことか私はその存在にまったく気付かずに素通りしてしまいました。
渋谷警察署は玄関口が特徴的なのですが、その玄関口が歩道橋の陰にあるんですよね。
それで気付かなかったのです。
のっけから大きなポカをやらかしました。
これは渋谷警察署前にあるのとはまた別の歩道橋です。
大阪では見たことのない、屋根付きの歩道橋ですね。
ここを渡って六本木通りを越え南側へ。
1階にCafe1886の入ったボッシュ渋谷ビルの脇を抜けると、緩い勾配の下に金王八幡宮の敷地が見えます。
六本木通りからひとつ路地を進むとこういうよさげな風景になるんですね。
朝早くのことで、神社の方か地元の有志の方か、何人かで神社の周りを掃除されていました。
平安時代に石清水八幡宮から勧請され、渋谷の土着の豪族だった渋谷氏が八幡宮を中心にして城館を築いていたということです。
八幡宮であり、渋谷氏の城館跡でもあるのですね。
八幡宮の敷地が少し高くなった台地の上にあるのは、城館の名残りであるのかもしれません。
お参りしましょう。
本殿は朱色の地に装飾が施されて、見るところが多いですね。
左手に虎ですね。
右手に象?ですね。
金王丸桜です。
源義朝(みなもとのよしとも)の従者だった渋谷金王丸常光(しぶやこんのうまるつねみつ)の義朝への忠義を偲んで、義朝の子息である源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉から移植したものだと伝えられているそうです。
そもそも金王八幡宮の名称、渋谷金王丸にちなんで渋谷八幡宮から改名したのですと。
渋谷金王丸の実在は史料上は確証がないそうですが…後の時代の『平治物語』に金王丸の出てくる場面があるのです。
鎌倉時代以降の渋谷氏の人々が、伝説で有名な金王丸を自分たちの先祖であり代表であると考え、金王丸にまつわる遺跡を守っていたという可能性はあると思います。
この金王丸御影堂には金王丸が母に残したと伝わる自画像が入っているそうです。
…自画像見てみたいですね。
本殿の傍らに「澁谷城 砦の石」があります。
戦国時代、小田原を本拠にした後北条氏の二代目当主、北条氏綱(ほうじょううじつな)と上杉朝興(うえすぎともおき)が現在の品川区高輪の付近で「高輪原の戦」の合戦を行いました。
その際に、渋谷氏は氏綱の別働隊と合戦して、ここにあった渋谷城を焼かれてしまったのだそうです。
つまり渋谷氏は当時上杉方で、この砦の石はその渋谷城の名残りということですね。
城館を焼かれた高輪原の戦以降、渋谷氏がどこに新たな城館を移したのか、気になるところではあります。
ちなみに後北条氏と高輪原で戦った上杉朝興は敗戦し、太田道灌(おおたどうかん)がかつて築城した江戸城を、後北条氏に奪われています。
金王八幡宮のお隣にある豊栄稲荷神社にもお参りしました。
境内に面白いものを見ました。
庚申塔(こうしんとう)なんですね。
庚申というのは干支の庚申(こうしん、かのえさる)のことで、60日に一度巡ってくる庚申の日の夜に、人間の体内に住む三尸(さんし)という虫が地獄の閻魔大王にその人の悪事を知らせに行きます。
そういう中国の道教由来の考えなんですね。
悪事を閻魔大王に知られると、その人は地獄に行くことになります。
それで、眠っている間に三尸が活動するので、庚申の夜に村落では庚申待(こうしんまち)と言って村中の人が集まって集団で夜通し寝ずに明かす風習があったということです。
三尸の活動を阻止するわけです。
庚申塔は、その庚申待を達成する度に記念して建てられたものなのですね。
庚申塔群を見ると、今は大都会のこの渋谷にも、かつては素朴な信仰の根付く村落があったことがうかがえますね。
庚申塔群に手を合わせました。
私が写真を撮ったり手を合わせたりしている間に、古びた庚申塔群の後ろを、高校生の集団がひっきりなしに通っていきます。
通学路らしいのですね。
毎日通る通学路に面してかつての土俗信仰の跡が残っていること、若い人たちの多くはおそらく気付いていないでしょう。
このような場所は大都会の空間と空間の隙間と言えるかもしれないな、と思いました。
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