『手間のかかる長旅(109) 精進料理を運ぶ僧侶』
時子(ときこ)たちは僧坊の一室で、車座になっている。
精進料理を待っている。
お坊さんが運んできたら陣形をどうするか決めよう、というのは東優児(ひがしゆうじ)の提案だ。
なら、お坊さんが来たときには優児が聞いてくれるだろう、と時子は期待した。
通路との境の障子戸の近くには、時子と優児がいるのだ。
お坊さんに応対するなら、どちらかが役割を求められる。
そして、優児が先に提案をしたことは、時子には有り難かった。
いつも誰かに役割を期待してばかり。
でも自分だっていつかは自分の役割を果たすから。
そういう意気込みは持っている。
ただ、それを人に悟られないよう、これまで口数は控えめで来た。
今は車座になった一同が皆口数控えめで、ガラス戸の外の枯山水の方を眺めている。
「ぺごぱ」
かろうじて、ヨンミが隣に座る美々子(みみこ)に言った。
冗談混じりに空腹を主張している。
「お前、朝、あんなに食べたのに。どこにカロリー使ったよ」
ヨンミは美々子の家に仮住まいしている。
住居も仕事も同時に失っているので、美々子に養われている。
「あむごっどもくちあなよ…」
何も食べていない、とやはり冗談混じりに言っている。
「お前そんなことふざけたことばっかり言ってたらな、お坊さんに怒られるんだぞ」
「うぇよ?」
「精進料理はがつがつ食うもんじゃないんだから」
あぐらをかいたうえで、美々子は諭した。
二人のやりとりを時子はのんびりと眺めている。
部屋と通路とを隔てる障子戸越しに、人の気配を感じた。
「失礼いたします」
よく通る、それでいて大きすぎない、若い男性の声。
和室の一同は居住まいを正した。
美々子もあぐらから、急作りの正座に改める。
「どうぞ」
一呼吸の後、優児が外からの声に応じた。
呼びかけに返事しなくていいのかどうか、時子も迷っていたのだ。
障子戸が開けられた。
片膝をついた姿勢で、男性がいる。
藍色の作務衣を着込んだ体は、細く見えた。
卵型の顔に、切れ長の目と先の尖った小ぶりな鼻、小さな口元。
顎を上げて、まっすぐ一同の方に向けている。
頭髪は、剃られている。
「本日はようこそお越しくださいました」
一人一人の顔に、それぞれ目を合わせながら、労わるような優しい視線をくれる。
最後に、時子とも目を合わせた。
密かに、作務衣の僧侶はいっそう目尻を下げた、ように時子には見えた。
自分に微笑んだのだ、と時子は気付いて、動揺した。
これから精進料理を運び入れる旨を伝え、僧侶は立ち上がりかける。
「あの、座り方はこのままでよろしいのでしょうか」
優児が慌てて声をかけた。
「いかようにでも」
僧侶は鷹揚に請け負った。
「私たちは作法も何も存じませんので」
優児は丁寧に断った。
「粗相があったら、お許しください」
どきどきしながら、時子は僧侶の出方を待った。
何を言われるのだろう。
優児の言葉に、僧侶はにこにこと笑顔を返して、目で軽く会釈する。
そのまま立ち上がり、後ずさって通路の奥へ消える。
なるほど、と時子は思った。
白黒つけない、という返答が存在するのだ。
僧侶が去ってすぐ、入れ替わるように五人のこれも作務衣の僧侶たちが、室内に入ってくる。
作務衣の色は、先ほどの僧侶とは違い、皆黒一色である。
それぞれが脚の付いた小さな膳を胸の前に奉げ持っている。
精進料理が乗っているのだ。
車座になっている一同が腰を浮かせかけるのを柔らかに静止して、皆の前に片膝を付いて膳をしつらえる。
アリスの分だけがない。
と思ったら、五人の後から先ほどの藍色作務衣の僧侶が戻ってきた。
やはり膳を持っていて、アリスの前に腰を落として膳を据えた。
時子は見ている。
アリスは、自分の正面に屈んだ僧侶を上目遣いに見ている。
彼女の双眸が、うるんでいた。
口元が強く結ばれている。
なるほど、とまた時子は思った。
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