2019年夏東京八王子旅行二日目(7)。仁科盛信娘、小督姫の墓所、極楽寺。横山党根拠地、八幡八雲神社

小門町から、いったん甲州街道に出ました。

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八王子繊維貿易館を沿道に見ました。

八王子は近代に絹の産地として栄え、南の横浜を経由して海外にまで販路を持っていたそうです。

八王子と横浜とを繋ぐ「絹の道」と呼ばれる街道まであったそうです。

いわゆるシルクロードってやつですな。

 

八幡町の交差点で北に折れました。

浅川沿いまで歩きます。

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浅川の河川敷近くにあるお寺、寶樹山極楽寺にお参りしました。

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白壁の、綺麗な色合いの本堂でした。

 

極楽寺境内には、玉田院という女性の墓所があります。

この女性、生前は小督(こごう)という名で、武田信玄の五男の仁科盛信(にしなもりのぶ)の娘です。

仁科盛信と言えば、信玄の意図で信濃(長野県)の仁科氏に養子入りした武将です。

盛信は武田家滅亡時まで異母兄の武田勝頼を支えた末に、戦死しています。

小督姫はその彼の娘で、武田家滅亡の直前は、仁科盛信の居城であった信濃高遠城に叔母に当たる松姫と一緒にいたようです。

そして松姫他、他の武田家仁科家縁者の人たちと共に、八王子まで逃げてきたのですね。

その後は叔母たちと八王子で暮らしますが、病にかかり若くして亡くなります。

亡くなった時は29歳。

その26年前、ごく幼い頃に八王子に逃げてきているので、ほぼ八王子育ちだったのですね。

彼女は戦死したお父さんの面影を覚えていたでしょうか。

 

松姫同様、小督姫も出家していたそうです。

彼女の墓所は玉田院という彼女のいた寺にありましたが、江戸中期の頃には廃寺になり荒れ果てていたので、仁科家子孫が極楽寺に改葬したということです。

玉田院の墓所にもお参りしました。

極楽寺内には別に、北条氏照の元家臣で北条家滅亡後に八王子城の東方に横山宿を開いた長田作左衛門の墓所、また幕末の千人同心で蝦夷地の開拓に関わった塩野適斎の墓所もあります。

 

極楽寺を出て、また南の甲州街道の方に戻りながら、少しずつ南東の元横山町の方に折れて行きました。

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元横山町には、八幡八雲神社があります。

西暦924年、天慶の頃、武蔵国司として下向してきた小野隆泰(おのたかやす)が、京都の岩清水八幡から横山と呼ばれていたこの地に勧請したということです。

そしてその後の940年、隆泰の子の小野義孝(おのよしたか)は当地に居館を構え、名前を横山姓に改めたということです。

彼の家系が当地を中心に発展し、横山党と呼ばれる武士団になりました。

平安時代鎌倉時代通して関東には武蔵七党と呼ばれる武士団があって、その中でも横山党は特に規模が大きかったそうです。

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横山神社にお参りしました。

鎌倉時代、小野(横山)義孝の子孫の横山時兼は和田合戦で和田義盛に加勢し、敗戦で横山党は勢力を失い衰退しました。

横山党の根拠地だった横山荘はその後、大江広元が治めることになったということです。

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今日はこれで八王子市内の史跡散策は完了として、西放射線ユーロードを通って八王子駅に向かいます。

一日、ひと気の無い神社とかお寺とかばかり続けざまにお参りしていると、活気のある都会の風景が恋しくなることがあります。

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