私、落語わりと好きなんです。
上方落語だと桂米朝師匠、東京落語だと三代目三遊亭金馬師匠の落語が好きでCDをよく聴いてました。
その上方落語で、「阿弥陀池(あみだいけ)」という演目があるんですよ。
まあどういう話か、そこに出てくる二人の男の会話をざっくり再現すると、
「ええか、新聞を読まんとな、ものがわからん」
「何言うてまんねん、わて新聞なんか読まんけど、なんでも知ってまっせ」
「なら聞くがおまはん、和光寺という寺にこないだ、強盗が入ったのを知っとるか」
「それは知らんな。そんなことがおましたんか」
「和光寺は尼寺や。強盗に出くわした尼さんはピストルを向けられたが、動じなんだ。かえって強盗を説得にかかった」
「たいしたもんやな」
「『あなたさんも悪いお人ではなさそうな。尼寺に強盗に入るなどというはあなたさんの考えではおまへんやろ。誰ぞに行けとそそのかされましたんか』尼さんがこう聞くとな、」
「ふんふん」
「強盗が答えるに『へえ、阿弥陀が行け(阿弥陀ヶ池)と言いました』」
「なんでんねんそれは」
「そういう作り話や」
「なんや、作り話かいな」
「ほれみい、おまはんは新聞を読まんから、こうやって作り話されても『嘘や、そんな話は新聞に載ってなかった』ということが言えん」
「ほんまにもう、馬鹿にしやがって」
こうして担がれたおっちょこちょいの男が、憂さ晴らしに近所の家々に飛び込んでは自分も同じように作り話で人を騙そうとするのです。
でも元がおっちょこちょいなうえに物を知らないのでうまくいかない。
そういう噺です。
二人の男の会話に出てくる和光寺というお寺は実在していて、その境内には阿弥陀池という池も実際にあるのだそうです。
その落語の題材になった和光寺と阿弥陀池、私も見に行ってみようと思いました。
阿弥陀ヶ池の最寄り駅は大阪メトロ西長堀駅になりますが、私はだいぶ南のJR環状線大正駅で降りました。
ちょっと遠めから街の散策をする考えでした。
大正駅から大正橋を渡った先の、千日前通りを東に歩いて行きます。
ここは時々歩いていますが、歩道が広くて散策が気持ちいいです。
「汐見橋」の交差点で左手に曲がり、新なにわ筋を北に行きます。
道頓堀川にかかる汐見橋の上から西を見ると、大正駅北の京セラドーム大阪の屋根が見えます。
新なにわ筋です。
この辺りは北堀江の街になります。
各外国語の書籍も多数所蔵していて、外国語学習者にはかなり有難いスポットです。
図書館の際に「木村蒹葭堂邸跡」の石碑が立っています。
木村蒹葭堂(きむらけんかどう)は江戸時代中期の文化人です。
酒造業を本職としながら、民間の本草学者でもあり、様々な文化、芸術にも通じていて、彼の屋敷が近辺の文化人のサロンとなっていたと。
その屋敷の跡地に図書館が出来たんですね。
大阪市立中央図書館から、新なにわ筋をまたいで東側に渡り、さらに一区画分歩くと、あみだ池筋という小さい筋に出ます。
そのあみだ池筋の東側に和光寺があり、和光寺境内に阿弥陀池があります。
本堂お参りの後、阿弥陀池の前に出ました。
なんでも、阿弥陀池は和光寺が建立される前からこの場所にあったそうです。
古代に、朝鮮半島の百済国からもたらされた仏像が、物部氏による仏教排斥の動きにあってこの池に沈められたと。
そういう古い伝承があって、信仰の場所になっていたそうです。
長野県の善光寺の縁起ではご本尊について「難波の堀江から引き揚げた阿弥陀如来像を信濃国司が信濃に持ち帰った」としているようです。
この阿弥陀池があるのは北堀江の街で、古代から界隈が堀江と呼ばれていたのなら、やはりここがそうなんですかね。
和光寺のお寺が建立されたのは江戸時代に入ってからだそうで、どうも善光寺に関係する故地ということで、後からこちらにもお寺を建てたという流れのようですね。
思った以上に仏教色の濃い場所でした。
まあ、お寺の境内にあるなら当然ではありますね。
古代にこの阿弥陀池から出た仏様が、今は遠く離れた善光寺におわすのだとすると、感慨深いですね。
いつか、善光寺にもお参りしたいと思いました。
大阪市の旅でした。
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