2019年12月沖縄旅行一日目(6)。浦添貝塚と伊祖の高御墓。王権の正統性

いしぐふーのお店から、また北に少し公園内を歩きました。

緑に埋もれていますが、浦添貝塚です。

市来式土器という土器が、この貝塚から発掘されたのだそうです。

市来式土器は縄文式土器の一種で、鹿児島県内にある市来貝塚で発掘された型と同じものを言うそうです。

鹿児島中心に、沖縄も含めた九州全土で出土される型だそうです。

鹿児島でつくられた土器が流通したか、もしくはその製造技法そのものが各地に伝わったということなのでしょうね、沖縄も含めて。

本土から遠く離れた沖縄の島々も、古代から文化的に繋がっていたということなんですね。

浦添貝塚のすぐ傍らに古めかしい階段があって、なぜか崖の最中まで登れるようになっています。

登り切った先にいきなり墓所があって、ちょっとおっかなかったんですが。

「伊祖の高御墓(たかうはか)」と呼ばれる墓所でした。

英祖王の父にあたる、恵祖世主(えそよのぬし)という人物が眠っているということです。

手を合わせました。

琉球王朝英祖王統は、初代の英祖王が舜天王統の義本王から王位を譲られたことに始まる王統です。

ですから、恵祖世主の時点ではまだ王に名を連ねてはいません。

恵祖世主始め、英祖王の父祖は浦添按司として浦添を支配した豪族だったようです。

按司というのは地方豪族の首長を指す琉球特有の名称です。

 

ちなみに、琉球王朝の最初の王統にあたる舜天王統は、本土から琉球に来た源為朝の末裔だと伝えられていたそうです。

平安時代末期の武将で、源頼朝の叔父にあたる為朝は、保元の乱で敗れて伊豆大島に流刑にされます。

この為朝が伊豆大島に留まらず、琉球にまで流されたものと、琉球側には伝承されたのですね。

琉球王朝の王位の正統性を、本土から来訪した(とされる)貴種、為朝に求めたのでしょう。

その「為朝の末裔」の舜天王統から王位を継承した英祖王は、「母が太陽を呑んで生まれた」という伝承を持ち、「太陽(てぃだ)の子」と称えられたそうです。

新たな王統の開祖として、前王統とは別の権力の正統性が必要になって太陽を持ち出したのでは、という感じがしますね。

ついでに言うと、英祖王統から王位を譲られた次の察度王統は、開祖の察度王が天女を母に持つと伝わっています。

 

最初の舜天王統の開祖は源為朝の子。

次の英祖王統の開祖は太陽の子。

その次の察度王統の開祖は天女の子。

それぞれの王統で、開祖が王権の正統性を神秘的な存在に求めてきた跡が見られますね。

古今東西で、実力者が一代で王になった場合の普遍的な流れではあるのかもしれません。

現代の我々から見ると、遠い過去の人物のことであるので、「もしかしたら本当に神秘的な存在だったかも」と信じることは出来るんですね。

そういう妄想を抱いて歴史的な人物を眺めるのも楽しいものです。

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