『転生したら堕天使だった、私にはお似合い(後編)』

雑居ビルの玄関は、両開きのガラス扉だった。

色の濃い分厚いガラス戸で、建物の内側はうっすらとしか見えない。

白美(しろみ)がおそるおそる中の様子をうかがっていると、脇から人の気配が近づいた。

「あんた、うちに何の用や」

見ると、大柄な男だ。

表面に光沢のある生地のスーツの上下で、つま先の長い革靴を履いている。

黒々とした髪を整髪料で固めていた。

目鼻、口がそれぞれのパーツが大きく、表情が豊かに見える。

疑わしい目で白美を見ている。

これは裏社会の人だ、と気付いて白美は背筋が寒くなった。

「私、堕天使です」

「堕天使ぃ?また妙なもんが来たな。何の用や」

聞き慣れない訛りに、白美は怯んだ。

問答を聞きつけて、大男と同じような服装の男たちが、ぞろぞろと集まってくる。

雑居ビルの周囲、ビル群に囲まれているが、その辺りの物陰に無数の男たちが潜んでいたらしい。

白美は怯えていた。

声の人の、堕天使は人間社会に溶け込める、という説明を信じるしかない。

「ここのビルの中に会いたい人がいるんで、お邪魔したくて……」

「そうかいや。ほたらまあ、部外者お断りやねんけど、そこはまあ」

白美の言葉に、大柄の男は言葉を濁しながら、あっさりガラス戸を開けた。

うまくいったらしい。

ガラス戸を開けて押さえている大男に一礼して、白美は内部に潜り込んだ。

「そうや、お姉さんに頼んどくけど、中で揉め事は勘弁してや」

横をすり抜けざま、大男が声をかけてくる。

「えっ、何ですか?」

「ちょっと前に、あんたよりも先に、天使たら言うもんが来とるんや」

「天使」

聞き覚えがあった。

声の人が言っていた。

天使は堕天使の天敵で、活動を妨害してくるのだと。

白美は先回りされたのだろうか。

「天使と堕天使が揃う言うたら、こらもう最終戦争やろ。うちのビルでは止めて欲しいなあ。もはや自分らの諸々だけで手一杯になっとるよってに……」

言われなくても、白美だって、揉め事はまっぴら御免だ。

 

 

耐用年数を過ぎた蛍光灯が、明滅を繰り返している。

薄暗い通路を、堕天使レーダーが拾う感情の流れを追って白美は進んだ。

通路脇に部屋の入口があり、そのうちのいくつかは、戸口の脇に屈強な男たちが立っている。

番人なのだろう。

この雑居ビルは、歓楽街における非合法組織の基地のようなものなのだと白美は推測した。

通路の付き当たりで、エレベーターホールに入る。

だがエレベーターを使うことは遠慮し、非常階段の案内がある扉を開けた。

階段スペースに入り、鉄製の階段を登って、上階へ。

感情の流れは四階から来ている。

依然として殺伐とした感情と、穏やかな感情のせめぎ合いが続いているようだった。

よほど混乱した状態にある人物に違いない。

四階の通路に出た。

この階は、警備に当たる構成員が多い。

彼らは歩いてくる白美を、胡散臭そうに見ている。

白美は、通路中ほどの部屋の前に立った。

「何か用かよ」

部屋を守る男がとがめた。

問答をすれば、堕天使の特性で、入れてもらえることはわかっている。

どうせなら一歩先んじて、中のことが詳しく知りたい。

「この中の人にいる人に会いたいんです」

「それは、まあ」

白美が見つめると、男は照れたように視線を逸らした。

感触は悪くない。

「どういう状況なんでしょう」

「え、中のことを聞くのかい。そいつは……」

男は困った様子だ。

「堕天使ってもあんた、堅気だし未成年じゃないのかい」

「わかりますか」

「わかるよ。俺の妹がちょうどあんたぐらいの年なんだよ」

男が白美を見る目に、うっすら親しみがこもった。

話が脱線しそうだ。

話を戻そう。

「そうなんですね。ところで、未成年だと中に入れないですか」

「いや、入れないというか、できれば入れたくないんだ。わかるかい、こういうところで密室を設定して、法律にも倫理ももとる事業を俺らは展開してるわけだ。俺らというのは、裏社会の構成員ということだな」

「ええ」

嫌な予感がした。

「ざっくり言うと、若い女の子には見せたくないことをしているわけ」

男はためらいがちに言った。

嫌だ、と白美は思った。

中の人物から流れて来る不安定な感情も、その状況に起因しているのかもしれない。

「さっきは天使の子が来て中に入ったが、俺の断りを聞いて却って喜々として入りやがったな」

白美の沈んだ顔を見て、男は声をかけた。

「天使が」

「堕天使つうか、あんたの方がむしろ天使みたいな雰囲気だな。そしてさっきの子の方が……」

男は首をひねっている。

白美は覚悟を決めた。

礼を言って、白美は室内に入らせてもらった。

扉が開き、中の光景を目にした瞬間、白美は入ってきたことを後悔した。

 

 

五メートル四方の、ことさら暗い部屋だった。

窓が木材か何かで塞がれているようだ。

頭上にある弱い裸電球の明かりだけが、室内を照らしている。

部屋の中央に、歯科医院で使われるような、リクライニングの椅子が据えられていた。

その上に男が寝かされている。

腰と、アームレストに置いた両腕、そして足首の部分が、黒いガムテープで椅子に縛り付けられている。

男の顔部分を見ると、アイマスクで目隠しをされて、さるぐつわを噛まされていた。

その封じられた口の下から顎にかけて、幾筋にも血が流れている。

男の椅子の周囲の壁には、コルクボードに多数の工具類が備え付けられている。

今現在も、椅子の左横に別の男が一人立って、何かの工具を椅子の男の右手に押し当てているところだった。

椅子の男が断続的な呻き声をあげる。

工具を押し当てられた彼の腕からは、とめどなく血があふれている。

そこは拷問の現場だった。

白美の喉から、悲鳴が漏れた。

拷問していた男が、こちらを振り返った。

堕天使レーダーへの感情の流入が止まった。

凄惨な現場で、白美は気付いた。

感情の流れは、この拷問を加えていた男が発していたようだ。

なぜ、この男が。

「あ、堕天使が来たの」

場違いな明るい声が、別の方向から聞こえた。

椅子から右側の奥、部屋の隅の暗がりに、姿勢を崩して座り込んでいる人物がいた。

ふわり、と軽い羽音が聞こえた気がして、その人物の周りから急速に白い光が溢れた。

その姿が暗い部屋の中で浮かび上がる。

天使だった。

柔らかな髪、透き通る滑らかな質感の肌。

上半身と下半身、胴で繋がった輝くような白い生地の衣服。

背中から、白い翼が左右に広がっている。

ふわり、と宙に浮きながら立ち上がった。

白く美しい四肢が伸びた。

天使の顔は、白美が見知った顔だった。

「白美。あんたがねえ。堕天使だったんだ」

友人の赤美(せきみ)だった。

「赤美ちゃん?何しているの?」

白美は驚きを隠せなかった。

白美を見て、赤美は笑い声をあげる。

「天使に転生したのさ。馬鹿みたいだろ。家に帰る途中に横断歩道で信号無視したら、ボンクラドライバーに轢かれちまってさ。気づいたらこう。でもウチの偉い人に言わせると、あたしこれで天使向きなんだってよ」

「あ、そうなんだ」

白美はいつもの調子で相槌を打った。

その彼女を見て、赤美は舌打ちする。

「『あ、そうなんだ』じゃないでしょ。あんた、まだいつもの白美のつもり?自分の立場わかってないんだね」

「えっ……」

「あたしら、最終戦争の現場に引き出されたんだろうが」

「ええっ……」

白美は戸惑った。

『その天使の言う通りだ』

声の人の声が頭に響いた。

その声は、いつになく沈んでいる。

「どういうことですか?」

『我が最大の敵、天界の主がその天使を遣わせたのだ。それ、今お前の目の前に立っている獲物の男、』

拷問されている男の方ではない。

拷問している男のことだろう。

『その男は葛藤の渦中にある。自らの拷問行為に直面して、己の在り方の危機を迎えている』

「それが『最終戦争』ですか?」

『男が欲望に素直になるか、己を抑制して役割に徹するか。その如何で、我ら堕天使と天界との勝敗が決する』

白美は、自分が重大な立場にいることが飲み込めてきた。

「それ、天使の赤美ちゃんと私とで、あの男の人を取り合いしろってことですか」

『物分かりが早いな。そういうことだ』

「そんな重荷には、耐えられません」

拷問を止めるか、拷問を続けるか。

それを、白美と赤美とで、それぞれ男を説得して自分の側に引き寄せるということだ。

とても勝てそうにない。

赤美とは幼い頃から友人だったが、これまでに何かで勝てたという記憶がない。

『白美よ』

声の人は、優しく語りかけてきた。

「はい」

『重荷のことは忘れよ。お前なら、拷問に加担する者を前にして、どうする?』

「どうしましょう……」

『男の言葉を聞くのだ』

声の人の声が止まった。

「白美、あんたのターンが先だよ」

部屋の隅から、赤美が急かした。

「堕天使が来るまで待てって偉い人に言われて、あたし何も出来ずにずっとここで待ってたんだ。はやく始めようよ」

「うん……」

やむを得ず、白美は工具の男の方を見た。

男は、緊張した面持ちで白美を見返してる。

顔中に汗をかいていた。

「とりあえず、拷問をいったん止めてもらっていいですか」

「はい」

白美の言葉に従い、男は工具を椅子の男の腕から遠ざけた。

椅子の男が喉から声を漏らす。

「どうして拷問しているのか、教えてもらっていいですか」

白美の求めに応じ、工具の男は説明を始める。

椅子の男は、この雑居ビルを所有する犯罪組織の、末端構成員だという。

敵対組織に通じた疑いをかけられ、拷問を受けているのだった。

「でもあなたは、拷問はしたくないんですね?」

男はうなずいた。

「そしたら、その人への拷問を、止められませんか?」

「そういうわけにもいかないのです」

男は息を吐く。

「どうしてですか?」

「私も、内通者だからです。私は潜入捜査官です」

「えっ……」

白美は言葉を呑んだ。

重大な話になっている。

「彼は私の協力者だったのですよ。ところが彼が我々警察との繋がりとは別に、別の犯罪組織に通じていることが組織内で明るみになった。ここの連中は私を信用していて、彼を拷問して情報を吐かせるように命じた」

工具の男は続けた。

「今のところ、私が潜入捜査官であることはまだ知られていない。なら、今の状況に乗じて、彼を拷問の末に始末してしまうのが得策なのです」

「そんな、酷い」

白美は泣き声をあげた。

工具の男はうなずいた。

「おっしゃる通りです。彼には、この組織内でずいぶん助けられましたからね。私も彼を助けたい」

「なら、何とかみんなが助かる方法を考えましょう」

白美の言葉を聞いて、部屋の隅で赤美が嘲りの声をあげる。

白美は無視した。

「しかし、このまま潜入捜査を続けるためには、ここでの立場上、彼を拷問した上、始末する他ありません。でも、それが警察官は別として、人として正しい在り方でしょうか。そうは思えません。そんなわけで、ジレンマに陥っているのです」

これではっきりした。

工具の男の欲望とは、椅子の男を救い、潜入捜査を放棄すること。

しかし、それが簡単にはできない状況なのだ。

大人の世界で、まして警察官が、与えられた仕事を疎かにすることは許されない。

白美の両目から、涙があふれた。

彼を欲望に向かわせる理屈が浮かばない。

「なんて言えばいいんだろう。私、何も言えない……」

絶望した白美を見て、工具の男は自嘲するように小さく笑った。

赤美は勝ち誇った笑い声をあげる。

「白美、悪く思わないでよ。これも天使のお役目だからさ」

赤美は工具の男に向き直った。

「お役目というのは大事なのよ。私たちの中身なんて、誰のでも一緒。どういうお役目を授かったか。そしてそのお役目をきちんと全うできるか。それでようやく、それぞれの人生に価値が生まれるんだよ」

男に語りかける。

「そうかもしれませんね」

赤美の声に、男は魅入られたようだった。

「その男を拷問するのは、ここでの顔役としてのあんたのお役目にかなってる。そしてそれが、潜入捜査官としての本来のお役目にも繋がる。比べて、それらを放棄する方だけどね。何になる?あんたの独りよがりな自尊心が救われるだけよね。自尊心とそいつ一人の命を助けるために、他の何もかも捨てて、それって損得釣り合うの?よく考えてね」

男は小さくうなった。

葛藤が再燃したようだ。

白美には、見守ることしかできない。

赤美は視線を白美に移した。

「短くまとめたでしょ。私のターンもこれで終わり。あとは本人に任せる他ないね」

「私、こんなの嫌」

「嫌ったって仕方ないじゃん。どっちに転んでも何かを失う。それが人生ってもんでしょ」

天使になった赤美は、達観している。

澄まして顔で言った。

 

 

白美と赤美は、二人同時に拷問部屋を後にした。

部屋の中に、工具男と椅子男を残して。

雑居ビルから二人で出ながら、泣きじゃくる白美を、赤美が肩を抱くようにして支えている。

「あんまり自分を責めるんじゃないよ。もう終わったんだしさ」

勝者の余裕だった。

白美は何も言えなかった。

赤美が翼をはばたいて東の空に去った後も、白美は何をしていいかわからなかった。

歓楽街のビルの合間にある小さな公園で、ベンチに座って物憂げに過ごした。

遠くから消防車のサイレンが聞こえてくる。

いくつものサイレンが重なって、こちらに近づいてくる。

何だろう、と思った。

消防車が何台も連なって、歓楽街の路地に入っていく。

火事があったらしい。

堕天使レーダーが、何かを知らせていた。

安堵。

工具男の感情の名残だ。

『先の獲物の男、あの雑居ビルで、火事騒ぎを起こしたようだぞ』

何気なく、声の人が知らせる。

「そんな、あの場所には路地が狭くて消防車は入れないんじゃ」

『人死にが出るような火災ではなさそうだ。ボヤというやつであろう』

白美はひとまず安堵した。

つまり、火事騒ぎを起こすことで、工具男は椅子男を逃がす隙をつくったのではないだろうか。

『そういうことだ。職務を曲げて、己の欲望に従って相手を助けたわけだ。お前の働きかけが男の決心を後押ししたのだ』

工具男が椅子男を助ける、その後押しになれたのなら嬉しい。

『そしてこれは最終戦争に我々が打ち勝ったことを意味する。ご苦労だった』

「光栄です」

終戦争はともかく、人の命を救えたことが白美は嬉しかった。

 

 

意識が薄らいだ。

周囲で自分に呼びかける声がする。

目覚めたら、通学電車の車内でロングシートの上に寝かされている。

自分の周りに乗客と車掌が集まって心配そうにのぞき込んでいた。

車両は、途中の駅で停車したままになっている。

自分が立ち眩みを起こしたせいだ。

白美は車掌たちに謝罪した。

車掌が言うには、よくあることだと言う。

立ち眩みついでに堕天使に転生するのも、よくあることなのだろうか。

体調が回復したので再開した電車で地元駅まで帰った。

駅前のベンチに座って、赤美の携帯電話に架電した。

本人が出た。

「何か所か骨折して入院することになったけど、無事だよ。今病室」

声を潜めて喋っている。

とりあえずは彼女が生きていたことに白美は安堵した。

「腹立つのはさ、別れ際に偉い人に言われたのよ。次はあの堕天使の娘を天使に誘うってよ。そんなの私にわざわざ言うことか?って思った」

自分が天界に狙われているということだろうか。

彼らにも実力を認められたらしい。

今後、天界からお声がかかるかもしれない。

でも、天使より、堕天使の方が私にはお似合いだ。

白美はそう決めつけた。

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