2022年4月埼玉旅行一日目(9)。嵐山町、謎の杉山城跡へ。熊谷で日高屋夕食

次の目的地へ行くため、東松山駅を後にします。

駅の外に垂れ幕が掛かっていました。

鎌倉時代に活躍した比企(ひき)氏は、現在の東松山市とその東西の比企郡がある一帯を治めていたのですね。

大河ドラマは見ておりませんが、「比企能員(ひき よしかず)の乱」については本で読んだ覚えがあります。

源頼朝没後、比企氏は執権北条氏との権力争いに敗れて、滅亡してしまうのですよね。

今回の旅では比企氏にまつわる史跡を訪ねる機会を逸しましたが、彼らの支配した領域をうろうろ散策はしていたわけです。

縁はあるかもしれませんね。

余談ですが、スマホのバッテリの減りが速すぎるので、東松山駅ビル内のファミリーマートで充電器を買いました。

電池を入れて使えるやつです。

そう言えば、以前に東京の三軒茶屋を訪れた際にも同じようなバッテリの減りに苦しめられて充電器買ったんですよね。

自分の中で東松山三軒茶屋との結びつきが強くなりました。

 

これから、東武東上線小川町駅に向かいます。

ネット上で時々耳にしていた「謎の杉山城」という城跡があって、その杉山城跡が比企郡嵐山町という土地にあるんですね。

と言う訳で杉山城跡の最寄り駅は武蔵嵐山駅になるのですが、杉山城跡の近くまで行く路線バスは武蔵嵐山駅の西にある小川町駅の駅前から出ているという情報を得たのです。

それなので、小川町駅まで列車で行くわけです。

駅から歩きを強行するなら距離的には武蔵嵐山駅がまだ近いのですが、それでも相当な距離になるので、私は路線バスを利用することにしました。

小川町駅のプラットホームに小川町の地産品が展示されています。

和紙、木工品、日本酒など、伝統を受け継ぐ品々ですね。

確かに、武蔵の小京都、という感じがします。

この小川町駅の駅前バス停から、路線バスに乗って参ります。

「小川パークヒル」行きに乗って、その小川パークヒルのバス停で降りましょう。

着きました。

「小川パークヒル」バス停の界隈は、高台にある住宅地でした。

ここから丘を下っていきます。

杉山城跡も、吉見町の松山城と同じく、市野川の沿岸の丘陵の上にあります。

東松山よりもこの嵐山町が北西にあり、市野川の上流になります。

小川パークヒルバス停から下った川べりの埼玉県道296号線が自動車の通行量が多く、歩道の幅も狭くて、怖い思いをしました。

スマホでマップアプリを見ながら、あの辺りの山だろう、と目星をつけて回り込んでいきます。

杉山城跡への道筋を特定できず、田園地帯の中で半ば自分の位置を見失っていたので、この古い案内板を見つけて心底ほっとしました。

杉山城跡のある山は、自然度の高い森が保たれている貴重な地域なのですね。

心して登城したいものです。

ようやくたどり着いた杉山城跡の大手入り口、お寺の脇から入っていきます。

案内板も充実しています。

築城年代も築城者も不明ながら高度な防衛機構を持っていることにより「謎の杉山城」として知られるようになった杉山城跡ですが、なんと近年の発掘調査によりその来歴が明らかになったそうです。

15世紀末から16世紀にかけて、扇谷上杉氏に対抗する目的で、関東管領だった山内上杉氏上杉憲房が築城したとまで判明したということです。

凄い研究成果でありますね。

設置してあるパンフレットもいただきました。

では、実際に城跡を見学していきます。

なんといいますか、高低差が見て取れる写真を撮るのが難しかったのです。

各郭の下に土塁、堀を用いて、攻城兵を上から攻撃する構造が徹底しているわけです。

そして城としての規模もかなりの大きさでした。

遠くに杉山城跡保存会の方が立ててくれてある目立つ色の幟を見つけて、「あんなところにまで城が続いている!」という発見を繰り返していました。

本廓跡にたどり着きました。

杉山城跡がまだ謎の杉山城のままだった頃に建てられた石碑と案内板ですね。

案内板は昭和61年に書かれたものです。

一説には杉山城の城主は、松山城の城主上田氏の家臣であった杉山主水だと伝わっていると。

そう、記してありました。

近くの松山城にいた上田氏の配下に杉山という武将がいたので、おそらく杉山城はその杉山氏と関連があるのだろう、と推定されたわけですね。

山城跡の表面がこうやって整備されて、樹木もきちんと伐採して遺構が見てわかるようにしてある場所って稀有だと思います。

地元の教育委員会、保存会の方々の尽力あってのことだと思いますね。

東京八王子の滝山城跡でも思いましたが、関東の山城跡は城のつくりが物凄く面白いので、こうやって綺麗に保存公開してくれてあると、とても嬉しいです。

また時間をかけて「小川パークヒル」バス停に戻ってきました。

路線バスで小川町駅前に戻り、再び東武東上線に乗って東松山駅まで戻りました。

さらに東松山駅前から路線バスに乗り、長距離を走って埼玉県の北端にある熊谷市に向かいます。

本日の予定をこなしましたので、明日からの熊谷周辺の観光に備えて、熊谷で一泊するのです。

結局、東松山では名物のやきとりを食べないまま去ることになってしまいました。

また東松山には行き損ねた史跡もまだまだあるので、再訪したいです。

JR熊谷駅東口です。

熊谷と言えば夏に最高気温を記録する暑い街、映画「翔んで埼玉」で群馬扱いされていた街、の印象なのですが、来てみると結構な都会でした。

埼玉の最北の都という風情です。

お腹が空いているので、これから夕食に行きます。

熊谷駅ビル内にある日高屋です。

日高屋も埼玉県発祥のチェーンなんですよね。

以前に一度だけ、三軒茶屋の店舗に入ったことがあります。

今日の夕食はここにしましょう。

今の日高屋はタッチパネル注文を採用しているんですね。

ハイテク中華でありますね。

野菜たっぷりタンメンと餃子、ミニ炒飯を頼みました。

これで税込み980円でした。

日高屋はとにかく安いですよね。

大阪にも餃子の王将なんかはありますが、日高屋のようなお手頃中華という立ち位置のチェーンはないので。

仮に関東に住んでたら日高屋は定期的に通うだろうな、と思うお店のひとつです。

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