テレビゲーム中のテキストを愛好する

テレビゲームのアドベンチャー作品等で、ゲーム中に挿入されるテキストを読むのが好きだ。

登場人物との会話とは別に、書棚に配置された書籍であるとかパソコンのネット記事であるとか。

そういう体裁で、ゲームの攻略とは関係の無い、世界観を補完するためのテキストが挿入される。

そんなテキストを読むのが好きで、むしろそういうテキストを読むために、テキストが挿入されそうなテレビゲーム作品を選んで遊んでいる個人的なきらいもある。

代表的なのは「バイオハザード」シリーズで、ゾンビが蔓延した生存者のほぼ皆無な状況の中で、サバイバルの現場に残された新聞記事や個人の日記等、テキストを読む機会が随所に設けられている。

そうしたテキストの中には攻略のためのヒントをほのめかすものも含まれるのだが、それ以外はゲーム攻略には寄与しない、ゾンビ発生から街が壊滅的状況に陥っていく経過を描写したもの、ゾンビ発生以前の市民の日常生活を描写したもの等、作品の世界観に没入できる重要な要素になっている。

ゲーム中、ゾンビからの逃亡の最中、テキストを読むのが息抜きになるのだ。

息抜きに遊んでいるゲームの最中に息抜きをしなければならない心理状態になっているのも変な話ではあるが。

バイオハザード5」もアフリカの、おそらくケニア共和国をモデルにした場所で、住民たちが怪物化した状況で過酷な戦いを強いられる作品である。

この舞台になった自然豊かな土地を横断しながらサバイバルする過程で、テキストを読む機会がふんだんにある。

辺境の平和な集落に、陰謀を持った製薬会社が入り込み、現地住民の暮らしが次第次第に蝕まれていく。

現地住民の日記の体裁をとったテキストの中で描かれる地獄絵図を目の当たりにして、実際に化け物を相手に戦うゲーム本編以上に、恐怖を催す体験になっているのだった。

テレビゲームにおけるロールプレイングというジャンルは当初がテキストを読んで選択肢を選びゲームを進行させるという形式だったが、本筋とは関係ないところでテキストを読む機会というのは、さほど設けられていない気がする。

登場人物との会話、ナレーション等によってゲームは進行するが、作中で書籍等まとまった量のテキストを読むという仕掛けは少ないようだ。

またゲームの別のジャンルでいうとサウンドノベルというものがあって、これは本を読むように長文のテキストを読み続けながら随所で選択肢を選んでストーリーを分岐させる、かつてあった「ゲームブック」という書籍をそのままテレビゲームにしたようなジャンルである。

東京の渋谷を舞台にした「街」という作品については私も以前に旅記事の中で言及している。

この「街」に関していうと、「ティッピング」というシステムがある。

テキスト中にある特定の用語を選択するとそれらについて解説されたテキストページが一瞬で展開され、それが本筋の世界観を補強する要素となっている。

ゲームの中で世界観を深めるテキストを読むのが好きな向きには、テキスト主体のサウンドノベル作品、特に「街」のようなゲーム攻略に直結しない世界観を深めるテキストが膨大に収録された作品は非常に魅力的ではある。

魅力的ではあるのだが、サウンドノベルは最初からテキストが主体のジャンルであるだけに、「バイオハザード」のように反射神経を要するゲーム操作の中で休憩場所のような世界観描写のテキストが挿入される、その息抜き的な癒し効果による緩急は生じないのだった。

例えて言うと、「喫茶店で美味しいパフェが食べられる」のと「ラーメン店だけどパフェも食べられる」の違いであろうか。

茶店では美味しいパフェが期待できるのだけれど、ラーメン店で食後のデザートにパフェが食べられるのも甘党にとっては結構な癒しになる。

今思いつくたとえとしては、これが一番私の実感に合っている。

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