2022年4月埼玉旅行二日目(5)。さきたま古墳公園。素敵な丸墓山古墳、稲荷山古墳。埼玉古墳群を満喫
これを見に埼玉まで来た、と言っても過言ではない埼玉古墳群。
大阪の古市・百舌鳥古墳群も世界遺産を目指しているので、埼玉古墳群も一緒に登録されるといいですね。
いよいよ、さきたま古墳公園内に入りました。
古墳公園というと、昔、韓国の慶州で入った古墳公園のことを思い出します。
丸墓山古墳まで続く桜並木の通路が、石田三成が忍城を水攻めにする際に設けた堤、石田堤の跡なのだそうです。
桜の木で半ば隠れてしまっていますが、目の前の小高い丘に見えるのが、丸墓山古墳です。
石田堤の上を歩いて古墳に近づきます。
ちょっとした砦みたいな古墳ですね。
この古墳の上の平らな場所に本陣を置いて、石田三成が忍城に睨みを利かせていたわけですね。
ずっと後の関ケ原の戦いで敗走し、落ち武者狩りに捕らわれて無残に処刑されることになる三成も、忍城攻めの頃は天下人の片腕。
彼の絶頂期ですな。
全方位に眺望が開けて、行田の隅々まで見渡せそうな素晴らしい丸墓山古墳です。
人の墓所の上であんまり楽しむのも考えものですが。
円墳としては、全国で最も大きな古墳になるそうです。
隣にある前方後円墳が、1968年の発掘調査で、ワカタケル(雄略天皇)の銘の入った鉄剣が出土したことで一躍有名になった稲荷山古墳です。
丸墓山古墳と稲荷山古墳、古墳界トップクラスの古墳が並んでいるわけです。
目をこらすと、かなり遠くに、小さく忍城跡の模擬天守が見えました。
石田三成はかなり目が良かったか、南蛮渡来の遠眼鏡でも使用していたんですかねえ……。
再び石田堤を通って、今度は稲荷山古墳へ参ります。
上に登ることができる古墳ばかりで、嬉しい限りです。
前方部分から、後円部分へ。
上に登ってみると、稲荷山古墳もかなり規模が大きいことがわかります。
後円部分の地下に被葬者が埋葬されていたのです。
すでに土を埋め戻してはいますが、埋葬者、副葬品の位置がわかるようになっています。
こちらは粘土槨の跡です。
竪穴を掘った底に粘土を敷き、その上に棺を置いて埋葬した場所ですね。
盗掘を受けていたせいで、馬具等のわずかな副葬品が出土しただけでした。
こちらは礫槨の跡です。
船の形に竪穴の掘り、その中に礫、つまり細かな石を敷いた上に棺を置いていました。
こちらの竪穴から埋葬者と共に、金錯銘鉄剣と呼ばれる鉄剣、神獣鏡、勾玉等、多くの副葬品が出土しました。
金錯銘鉄剣には雄略天皇を示す名が入っていたことから、埋葬者は大和政権中央と結びついた関東の有力者と推定されるようですが、いまだ正体は判明していません。
謎の古代人なのです。
こちらは将軍山古墳です。
内部の横穴式石室から多数の副葬品が出土しています。
またその石室には「房州石」と呼ばれる、千葉県富津市で取れる石も使用されていましたました。
古代に埼玉と千葉とで交流があったことを示しています。
将軍塚古墳の後円部東側はなぜか古墳展示館の建物になっていました。
サイボーグ、という言葉をとっさに連想しました。
これは二子山古墳です。
こちらも結構大きな前方後円墳でした。
埼玉古墳群を満喫することができました。
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