2022年6月浜松旅行一日目(1)。早朝、浜松到着。頭陀寺城跡(松下屋敷跡)。豊臣秀吉修行の地。鎌研池
4月に埼玉旅行に行ったばかりなのですが、6月頃、まだ状況が安定していたので。
せっかくだからこの機に気になっている場所に続けて旅しよう、と行ってきました。
大阪からはわりと近場なんですが、今まで観光したことがなかったです。
浜松駅メイワン口(北口)です。
夜行バスで、朝の4時頃に浜松に着きました。
前夜遅くに大阪駅前を出て、途中に滋賀県の草津PAと愛知県の新城PAとで、合計二回の手洗い休憩を経ての到着でした。
夜行バスで東京、埼玉まで行くのと比べると短く禁じられる距離の旅で、何か「近所に来た」という錯覚を起こしそうになりました。
浜松も、連休でも無ければ大阪から簡単には来れない程度の遠さではあります。
早朝のうちに、できるだけの観光をしてしまおうというケチな性格であります。
浜松駅の南口方面から、東に向かう「駅南大通り」をずっと歩いていきます。
浜松駅前から東に2キロ進んだ住宅地の中に、案内の看板が出てました。
松下屋敷跡です。
豊臣秀吉が織田家に仕える前の若い日、この付近にあった松下之綱(まつした ゆきつな)の屋敷に奉公していたのです。
松下之綱は、今川家の重臣である曳馬城主飯尾連龍(いのお つらたつ)に仕える土豪でした。
当時の豊臣秀吉の主従関係を見ると「今川義元→飯尾連龍→松下之綱→豊臣秀吉」ということになりますね。
ここは頭陀寺です。
この頭陀寺の一帯が頭陀寺城と呼ばれ、その広い境内の南側に松下屋敷もあったということです。
頭陀寺は、川勾荘(かわわのしょう)と呼ばれた荘園である周辺一帯の荘官を務める寺院でした。
その頭陀寺の境内に屋敷を持っていたということは、松下氏というのは、頭陀寺に属する僧兵のような家柄だったのかもしれません。
現在の頭陀寺から少し南に歩いて、松下屋敷跡に来ました。
松下屋敷跡は頭陀寺第一公園になっています。
今時珍しい、緑の公衆電話が残っていました。
「松下嘉兵次屋敷跡」とある古い石碑です。
昭和34年から昭和50年まで浜松市長を歴任した平山博三による筆でした。
松下之綱の通称は、加兵衛とか嘉兵衛とも言われますね。
豊臣秀吉が若き頃に奉公した松下屋敷ですが、実はずっと後の時代に、徳川四天王の一人である井伊直政(いい なおまさ)もこの同じ場所で幼少期を過ごしたという伝承があります。
父親を今川氏に殺害された井伊直政は、母の再嫁相手である松下清景(まつした きよかげ)の養子として、この松下屋敷で育ったとか。
松下清景は松下之綱の同族で、松下之綱の妻が清景の姉妹ですから、お互い義理の兄弟という間柄ですね。
1563年に飯尾氏が落ち目の今川氏を見限り、それにより飯尾氏配下の頭陀寺城も今川軍に攻められて炎上しています。
おそらくその後に再建されたのでしょう。
松下之綱がかつて自分の下僕だった、豊臣秀吉の家臣になったのも1974年。
1974年頃ですと豊臣秀吉は近江の長浜城主に抜擢されたばかりの頃ですから、人材が必要な秀吉に声をかけられ、之綱も長浜城下に移り住んだと思われます。
その間に、之綱留守中の松下屋敷は、義弟の松下清景が取り仕切っていたと考えられますね。
松下屋敷で修業した豊臣秀吉が天下人となり、その後に同じ場所で育った井伊直政も徳川四天王と呼ばれ大大名になったことを思うと、松下屋敷は出世に結び付く縁起のいい場所なんじゃないかと思えてきます。
なんとなく、手を合わせました。
また余談ですが、松下之綱の父の長則は槍の達人であったという伝承があります。
息子の之綱も槍の使い手だったのかどうかは不明ですが、彼の娘であるおりんという女性が大和国の柳生宗矩(やぎゅう むねのり)に嫁ぎ、十兵衛三厳(じゅうべえ みつよし)、宗冬(むねふゆ)ら兄弟を生んでいます。
新陰流を継いだ柳生氏と、松下氏とが結びついているわけです。
松下氏も長則以降、独自の槍術を伝える家柄になったのでは、という憶測をしました。
今現在かっぱ寿司の店舗になっている辺り、4車線の道路の中ほどまで、元は松下屋敷の敷地だったらしいです。
松下屋敷跡近く、「頭陀寺町北」の交差点に面したガソリンスタンドの裏に、不思議な場所があります。
天白神社という小さなお社の敷地なのですが、
「豊臣秀吉鎌研池」の伝承がある場所なのでした。
今はすっかり乾ききっていますが。
かつて秀吉が池の端で鎌を研ぎ、試し切りとして池に生えた葦の、片方の葉ばかり刈っていったので、それ以降この池の葦は片側の葉しか生えなくなったとか。
あるいは、この池で秀吉が松葉でつくった手裏剣の稽古をし、それが池の魚の片目に刺さったので片目の魚が見られるようになったとか。
いずれにしても、秀吉にまつわるどこか不吉な伝承が残っているのです。
土地の人たちが地元で修業していたことのある天下人に畏敬の念を持っていたのか、それとも別に理由があるのか。
あるいは若い頃の秀吉が武術の習得に熱心だった姿を伝えるものかもしれません。
今は中断していますが、私も豊臣秀吉に着想を得た女武芸者が活躍する連載小説をこのブログ上に書いていたことがあります。
もしよろしければ読んでくださると幸いです。
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