『手間のかかる長旅(053) お金の話はつらい時子』
「ごちそうさま」
食事を終えたアリスが、空になった食器類を前に手を合わせている。
こういう作法も誰か教えた人がいるのに違いない。
時子(ときこ)はぼんやりとアリスを見ている。
カップに残っていたコーヒーを口にした。
町子(まちこ)もアリスの隣で、テーブルの上に頬杖をついたまま、なんだかぼんやりしている。
アリスは友人二人の顔に視線を走らせる。
時子も町子も、ぼんやりとしているのだ。
アリスもその場の空気を察して、ソファの背もたれに背中を委ねた。
まったりしている。
「あああ、午後からの仕事つらいにゃ」
アリスは軽く伸びをしながら、情けない声をあげた。
「おつかれさま」
時子の知る限り、アリスは外国人タレント専門の芸能事務所に所属している。
主に、広告素材に使われるモデルの仕事をしているという話だった。
ただこれまで時子が街中の広告で、アリスの肖像を目にしたことは、まだない。
厳しい世界なのだ。
「でも最近よく指名してもらえるから幸せだにゃ、お金もらえて。お前たちは、午後からは?」
アリスは何気なく二人に聞いた。
「私は今日はアルバイトのシフトが入ってる」
町子は眠そうに答えた。
「時子は」
「私は特に何も」
時子は恥ずかしそうに答えた。
どこにも所属していなかった。
通っていた専門学校を卒業した後、彼女は定職に就かずに暮らしている。
不定期で在宅の仕事を請け負ってはいるものの、収入は少なかった。
半ば、実家からの仕送りに頼って生きているのだ。
「お金、大丈夫なの?」
アリスは心配そうに時子の顔をのぞきこんでくる。
「当分は大丈夫です」
遠い異国の地で、苦労しながら独力で生きているアリスに、顔をのぞかれている。
うしろめたくて、時子は目を合わすことができなかった。
「違うよ。私はお前の私生活のこと深入りしてるんじゃないにゃ」
時子の顔色を見て、アリスは慌てて言い添えた。
「どういうこと」
「私たちの恐山旅行に行くための、お金はちゃんとあるのかと聞いている」
「あっ」
時子が旅行の費用をまかなえるのか、心配してくれているのだ。
時子は身じろぎした。
「それは、少しは貯金もしているので…」
お金のことを話すのは、どうしたって歯切れが悪くなる。
だいたいがこうして連日喫茶店に来ていることが、出費と言えば出費なのだ。
本音を言えば苦しい。
でもそれを言ってしまうと、いつも同行している町子に気を遣わせる結果になるかもしれなかった。
時子は、それは嫌なのだ。
町子と一緒にあちらこちらと出歩くのが、楽しみなのだ。
「アリス、恐山には行かないよ」
話題を変えるように、横から町子が口を挟んだ。
「お前は何を言っている」
「恐山に行くぐらいだったら、まだ台湾の方がいい…」
「馬鹿め、恐山は日本の聖地だよ?」
アリスは町子をにらんだ。
「それはもう何度も聞いて飽きた」
町子は眠そうな目で、アリスを見返している。
「恐山、いい温泉もあるよ?」
「台湾にもいい温泉あると思うよ」
「だって外国だと、お金のないお前たちが行けないかもしれない。お前たちがかわいそうにゃ」
「台湾も恐山も、旅費はあんまり変わらないよ」
「町子は私の言うことには何でも反対するね」
二人でだらしなく言い争っている。
町子とアリスは、結局仲がいいのだ。
時子は二人に気付かれないように微笑んだ。
美々子(みみこ)希望の台湾を前提において、町子がアリスを諭しているのが彼女には好ましい。
また自分の経済状況の話題もうやむやに済んだので、安堵を覚えていた。