洋書傾倒

洋書多読を始めて以降、和書を読む頻度が落ちている。

洋書を読み始めて10年以上になるから、その間、和書をあまり読んでいない。

旅行に行く前に事前に購入する『歴史散歩』シリーズや語学本、たまに小説の文庫本を買うぐらいで、ほとんど和書を買わない。

時に日本語の活字に酷く飢えた時に、地元の市立図書館に出向いて気になる図書を大量に借りるぐらいで。

そうやって図書館で借りた本も、大半は読み終えることなく返却してしまうのだが。

洋書多読が習慣になっていると、和書を読む時間が何かもったいなく思えてしまう。

和書の場合、読書で得られるのはそこに書かれた知識と、読書の楽しみとである。

これが洋書では、知識と読書の楽しみに加えて、語学の素養が加わる。

読書すれば同時にそれが外国語学習になっているということだ。

英語の洋書を読めば英語への慣れが深まるし、他の言語でもそれぞれ慣れが深まるのだ。

ひとつの外国語を習得するためには膨大な学習時間が必要になることが明らかな以上、読書に加えて語学の素養も深まる洋書読みを優先させるほかない。

そう思っていて、和書を読もうとすると、「この和書を読んで知識と娯楽を得る時間で語学要素を逃している」と思う。

機会の損失を強く意識してしまうのだ。

そういうわけで、和書を乱読する習慣とはご無沙汰している。

洋書ばかり読んでいる。

ただやはり洋書読みは自分のその外国語の理解度如何によっては知識も娯楽も外国語学習も、和書を読むようにうまくはいかない。

私は入門段階の外国語でもその言語の原書を読むから、その場合は文章に目を慣れさせるぐらいの行為であって、内容の理解は当然ほとんどできていない。

そうは思っても、慣れればそのうち読めてくるようになると思えば、和書を差し置いても洋書を優先してしまう。

和書なら読書による理解度は高いうえ、またすでに習得している日本語を洗練させる効果もあるので、本当は洋書よりも和書の方を読んで然るべきなのかもしれない。

日本語を洗練させることをなおざりにして英語の洋書に手を出し、英語がそこそこわかるようになってきたので、今度は英語の洋書をなおざりにして他の外国語の洋書にまで手を出している。

これまで英語等の各洋書を読んだ時間全てを和書の読書に費やしていれば、私の日本語も、総合的な知識量も、もっと豊かに成っていたかもしれない。

今後、一度学習し始めた外国語でそれなりの成果が得られなければ、10年以上和書を差し置いて洋書を読み続けてきた人生が報われない。

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