権力を得る
中年で、非正規雇用の現場を転々としていると、ろくな扱いは受けない。
私が紛れ込む各々の職場自体が世の中で日の目を見ない人たちの集まりであって、過酷な状況にあるため心が荒んでいる個人が少なくない。
そこへもって新しく来た人間は特にそんな職場で立場は弱く、心の荒んだ同僚のはけ口として扱われがちになる。
その荒んだ環境で長年持ちこたえて、古株の仲間入りを果たすことができれば、次の後輩もそろそろ入ってくるのだ。
自分より弱い立場の人間が新しく増えるわけだ。
だが、そこまで気が長くない。
私はましな環境を夢見て、早いうちに次の現場に移ってしまう。
だいたい、後輩が出来たとたんにその後輩をいじめるような真似よりも、むしろ自分を不快な目に遭わせた先輩のような人間たちを見返したいではないか。
そのためには、根本的に、自分が権力を持たないと駄目なのだ。
権力というのは、仕事の上での高度なスキルだとか、有力な国家資格だとか、華々しい職務経歴だとか、広い人脈だとか。
そういうものを積み重ねて得られるものだと思う。
私はどれも得損ねてきた。
権力があれば人に軽んじられず、他人に迫害されたり迫害したりすることなく、快適な人生を送ることができる。
私は若い頃、権力を得るということに無頓着で、将来の自分が少しでも有利な場所に昇れるように、という配慮も努力も足りなかった。
年を経て、もう権力を得難くなった頃になって、権力を渇望せざるを得ないような苦境に落ちる。
権力が無いから荒んだ環境に紛れざるを得ないし、その荒んだ環境でも軽んじられるのだ。
若い頃にいろんな大人たちがさんざん耳の痛いことを言ってきたのはこれだな、とようやく合点がいったのだった。
願わくば、今を生きる若い人たちには、よりよい人生のために、早いうちから権力を得る生き方を模索して欲しい。
我の二の轍を踏むべからず。
そう伝えたい気持ちは強く持っている。
一方、今の若い人たちがしばし後に権力を得て、さらに年老いた自分を痛めつけに来はしないか、という恐怖感も拭えない。
だから声高に若い人を応援する勇気もなく、ひっそり生きている。
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