『深夜の開運神社で』

最近、疲れ気味である。 

さらにこのところ、身の回りによくないことばかり起こっている。 

不吉だ、と思い長太(ちょうた)は神社にお参りすることにした。 

週末に行けばいいのだが、どうも気が急くので、今晩中に行ってみようと思った。 

地元に、開運のご利益で有名な神社があるのだ。 

夜間の参拝は褒められたものではないが、場合が場合だから…と長太は自分をごまかした。 

 

その日、仕事上の手違いが相次ぎ、早めに終わる予定だった業務が長引いてしまった。 

そのせいで遅くまで残業して片付けるはめになったのだ。 

長太自身が疲れていて細かなミスを見逃していたこともあるが、それだけではない。 

取引先数社と急に連絡がつかなくなったし、昨日まで元気だった同僚が今朝になって失踪して、出社しなかった。 

不吉である。 

今日中に開運神社にお参りしなくては駄目だ、と長太は思った。

 

ようやく帰宅して、夕食を手早く済ませ、気軽な格好で外に出てきたときにはもう午前一時を回っていた。 

これはいけない、と思う。 

気が急いて、長太は早足になって薄暗い路上を件の神社に向かった。 

ところが、家から10メートルも行かないうちに、電信柱の陰から真っ黒な塊が飛び出してきた。 

風のような速さで、長太の足すれすれをかすめていく。 

長太は驚いて体のバランスを崩した。 

その拍子に左の足首をひねり、後ろに尻餅をついてしまった。 

「いてててて」 

足首に鈍痛がある。 

涙目になりながらも飛び出してきた黒い塊を確認した。 

「にゃああああ」 

道の真ん中に黒猫がいて、目を光らせて長太を見ている。 

「危ないだろう」 

腹立ちまぎれに長太は怒鳴りつけた。 

黒猫は走って逃げる。 

長太はなんとか立ち上がった。 

足首が痛む。 

歩くのもつらいのでこのまま引き返そうかと思ったが、考え直した。 

いよいよもって不吉な目に遭っている。 

このまま開運のご利益が得られないで引き返してしまっては、明日一日を無事に過ごせないのではないかという気がする。 

気が急いた。 

足首は痛むが何としてでも今夜中に件の神社に参拝しなければ、と思った。 

 

痛む足を引きずって開運神社の入口にたどり着いたとき、時刻は深夜二時を少し過ぎたところだった。 

山すそにあるその神社は、周囲を樹木に囲まれている。 

夜風が吹くのに合わせて、木々が細やかな葉擦れの音をたてる。 

だが何も見えない。 

真っ暗で、尋常でない雰囲気である。 

ろくに明かりもないが、少し離れたところにかすかな明かりが見えて、そこが本殿であるらしい。 

よく見えないが、そこまで暗い中を行かなければならないのだった。 

嫌だ、と思ったが、ここで帰れば不運は続くのだ。 

参拝しなければならない。 

長太は鳥居をくぐった。 

森の中、境内まで貫く参道を、いためた足首をかばいながら歩いた。 

真っ暗な中で滑らないよう、敷石の上を慎重に進んでいく。 

「えへへへへ」 

森の中から、誰かが笑うのが聞こえた。 

長太の全身が硬直した。 

自分の心臓の音が聞こえる。 

めまいがした。 

確かに、誰かが笑ったのだ。 

走ろう、と思ったが体が言うことをきかない。 

硬直している。 

「えへへへへ」 

まただ。 

確かに人の笑い声である。 

はっきり聞こえるが、近くに気配はない。 

長太の額にじっとりと冷や汗がにじんだ。 

歩こう。 

再び長太は足を前に進ませた。 

痛む足首。 

「えへへへへ」 

奇妙な笑い声はなおも夜の森に響いている。 

 

命を削るような思いで境内にたどり着いた。 

本殿前には明かりが灯っていて、周囲がかろうじてわかる。 

開運のご利益で有名なだけあって、立派な社殿である。 

社殿の脇には奉納棚があって、中にお供え物の酒の樽がいくつも積まれている。 

社務所に人の姿は無かったが、その奥に神職が住んでいるらしい住宅があって、二階の窓にも明かりがあった。 

長太はほっと一息つく。 

だが神社の人に見つかれば深夜の参拝をとがめられるかもしれない。 

手早く参拝を済ませよう、と長太は思った。 

「えへへへへ」 

まただ。 

この笑い声は何なのだ。 

寒気が全身を走る。 

本殿に向かった。 

開運を願い、参拝した。 

音をたててはいけない。 

音を鳴らさず拍手の真似だけする。 

深々と頭を下げた。 

再び、参道へ。 

もと来た真っ暗な道を戻った。 

「えへへへへ」 

長太のすぐそばで声がおこる。 

突然で、また至近距離からだったので、長太は恐怖も忘れとっさに声の方を見ていた。 

近くの樹木の脇に、何かがいてごそごそと足音を立てている。 

小さな音だ。 

長太の目が暗闇に慣れて、相手の姿が見えてきた。 

鳥だった。 

足が長い。 

胴が丸々と肥えている。 

頭から一本、羽毛が飛び出している。 

くちばしは短い。 

目は小さい。 

長太が見たことのない種類の鳥であった。 

「えへへへへ…」 

長太の方をうかがいながら、遠慮がちに鳴き声をあげる。 

長太の全身から力が抜けた。 

「あんたか」 

長太は思わず口走って、相手を見つめた。 

「えへへへへ」 

鳥は長太に返事するという風でもなく、独り言のように小さく鳴いた。 

不器用な足取りで森の中に戻って行った。 

 

あの鳥は開運の神様のお使いだったのかもしれない、と長太は後になって思い返していた。 

夜分に神様の眠りを妨げる、長太の非礼をとがめようとしたのかもしれない。 

やはり、週末に行くべきだった。 

運は上向きにはなっていない。 

ただ神様のお情けを受けたのか、翌日失踪した同僚は復帰を果たし、取引先とも連絡が取れるようになった。 

週末、改めて日中にお参りしよう、と長太は思った。

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