『他人の冷蔵庫を触る人』
玄関の扉に施錠していなかった自分もいけない。
それにしても、見も知らない他人がいきなり部屋に入ってくるとは思わなかった。
両手に大きくふくれたスーパーの袋を抱えて、荒い息をしながら義雄(よしお)の部屋に入ってきた。
背の高い、若い女性である。
薄手のコートを着て、首にマフラーを巻いている。
義雄のことを横目で見ながら、ブーツを脱いでたたきに転がし、タイツに覆われた足が畳の上を横切って流し台の方へ行く。
冷蔵庫の横にスーパーの袋を置いた。
冷蔵庫は、単身世帯用の小さなものだ。
女性はしゃがみこんで冷蔵庫に向かい、その扉を開けた。
中を物色した。
戸袋から、義雄が蓄えていた缶ビールを一本取り出した。
あっ、と義雄が息を飲んで見守る前で女性は缶のふたを開け、しゃがみこんだまま勢い良くビールを飲み始める。
喉を鳴らして、またたく間に一缶を空にした。
女性は立ち上がって、空き缶を流し台の上に置いた。
それから冷蔵庫の前に戻る。
冷蔵庫にはまだ缶ビールが入っている。
女性は、自分が持ってきたスーパーの袋二つと缶ビールとを見比べた。
スーパーの袋には何が入っているのだろう。
女性はしばしためらった挙句、二本目の缶ビールに手をつけた。
冷蔵庫から取り出した。
ふたを開ける。
義雄が見守るなか、喉を鳴らしながら中身を飲み干した。
激しい飲みっぷりである。
義雄が取っておいた缶ビールである。
義雄は部屋の畳の真ん中であぐらをかいたまま、ろくに息もできずに女性の動きを眺めている。
女性は立ち上がって、二本目の空き缶を流し台の上に置いた。
ちらちらと義雄の方を見ながら、再び冷蔵庫の前にしゃがみこんだ。
冷蔵庫の扉は開いたままだ。
内部が見えている。
ろくなものは入っていない。
古くなった野菜がいくつか、あとはソーセージなど、賞味期限切れが近い加工食品ばかりだ。
女性は冷蔵庫の中をのぞいたまま、手を伸ばして持参したスーパーの袋をひとつ、手元に引き寄せた。
袋の口から手を入れた。
中から、何か平たい薄い塊を取り出して、冷蔵庫の中に入れた。
再びスーパーの袋に手を入れる。
同じような平たい塊を取り出した。
また冷蔵庫に入れる。
スーパーの袋から平たい塊を出す。
冷蔵庫へ。
平たい塊。
冷蔵庫。
平たい塊。
冷蔵庫。
同じものばかりいくつあるのだろう、と義雄は思った。
女性はスーパーの袋ふたつが空になるまで繰り返した。
義雄の冷蔵庫の中が、その同じ商品でいっぱいになっている。
それは缶ビールが抜けた戸袋の中にまでぎっしり詰められていた。
女性は空になったスーパーの袋二つをくしゃくしゃと手先で丸め、コートの内側にしまいこんだ。
冷蔵庫の扉を閉めた。
さっと立ち上がる。
義雄の方をちらちらと横目でうかがいながら、玄関に向かった。
たたきに転がされたブーツを足先で器用に起こして履いて、かかとを鳴らしてから部屋を出た。
彼女は外から玄関の扉を閉めていった。
部屋の中には、義雄一人が取り残された。
心の中はからっぽになっている。
のろのろと畳の上を這って、冷蔵庫の前まで行った。
扉を開ける。
中にはぎっしり物がつまっている。
同じものばかりだ。
戸袋からそれをひとつ、義雄は取り出してみた。
それは、袋入りの乾燥ピーナッツだった。
ピーナッツの袋が大量に、隙間という隙間に入れられて、義雄の冷蔵庫を埋め尽くしている。
「こんなものは冷やさなくてもいいだろ」
義雄はかっとなって、手の中のピーナッツの袋を力任せに破った。
袋の中に手をつっこみ、ピーナッツをごっそりとつかみ出した。
口に放り込む。
ガリガリと奥歯で噛んだ。
甘い味が口内に広がった。
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