『手間のかかる長旅(038) 約束を前に仲のいい、時子と町子』
モンブランの栗をフォーク先に突き刺したかと思ったら、素早く口の中に放り込む。
町子(まちこ)は目を閉じて、栗を舌の上で転がしている様子。
美味しそうだ、と時子(ときこ)は思った。
うらやましかった。
だが今日は出費を抑えたいので、時子はホットコーヒーを注文しただけだ。
栗を相手にご満悦の町子を横目で見ながら、時子はコーヒーカップに口をつけて静かに飲んだ。
美々子(みみこ)の同僚が間もなく来ることになっている。
コーヒーが美味しい。
時子は少し緊張した。
町子は、件の美々子の同僚をまじめくさった人、と評した。
時子自身がどちらかと言えば気まじめな性格だが、彼女は自分以外の気まじめな女性は苦手である。
まじめとまじめ同士がぶつかると、遊びがないだけにどちらかが傷つく。
まじめな人間からすれば、町子のように半ば世の中を舐めているぐらいの友人の方が付き合いやすいのだ。
「私だって別に、世の中舐めてまではいないよ」
町子はモンブランで頬をふくらませながら、渋い顔で時子を見た。
「冗談よ」
「冗談がきつい」
怒った顔をして、ケーキの土台部分を崩して食べる。
これで怒ったところはちょっと可愛いかも、と時子は町子のことを好ましく思った。
「そういうきつい冗談は東さん相手にはやめてね」
町子は時子をじっと見て言う。
初めて聞く人名が出た。
「それ、美々子さんの同僚の人?」
「そう」
「東さんて言うんだ」
「うん」
「下の名前は?」
「東優児さん」
町子は、さらりと口にした。
東優児(ひがしゆうじ)。
その名前を復唱して、時子は顔を緊張させた。
「ちょっと待って、それ、男の人?」
美々子の同僚だというから、時子は女性だとばかり思っていた。
「そうよ。言わなかったっけ」
「聞いてません」
時子はテーブルの向こうで澄ましている町子をにらみつけた。
「女の人だと思ってた」
「ドラッグストアでは男だって働いてるでしょ」
たしなめるような調子で町子は言う。
時子は腹立たしくなった。
相手が男性だと知っていれば、直接会って話すかどうか、判断も変わったはずなのだ。
たとえ町子が同席の上でも、事前の準備もなく知らない男性と会うなんて、時子には考えられない。
「こんなの騙し討ちだわ」
泣き言を言う時子を、町子は面白そうに見ている。
「時ちゃん、ただ美々ちゃんの身辺について聞くだけよ?」
「それはわかってるけど…」
「いったい何を妄想してるの?」
弄ぶような調子で町子は言う。
時子は拳を握り締めた。
「妄想なんかしてません」
「ふふ、一生懸命否定して、かわいい時ちゃん」
目を細めて笑いながら、こちらを見ている。
さきほど時子がきつい冗談を言ったので、仕返ししているのかもしれない。
時子は顔を赤らめた。
思わず両頬に手を添えた。
緊張したときの癖だ。
「かわいい。心配しないでも私がついてるから、落ち着いてね」
あやすように町子は言う。
腕を伸ばして、フォークに刺したケーキの一片を時子の口元に持ってくる。
時子は、顔を高潮させたまま、ぱくっとそれを食べた。
「いらっしゃいませ」
店の入口近くで、女性従業員が快活な声をあげた。
「あ、来たみたい」
町子が明るく言う。
時子もつられて店の入口の方を振り返った。
そこに、東優児が立っているのが見えた。
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