『手間のかかる長旅(037) 人間関係に巧みな町子』
待ち合わせの時間を前にして、時子(ときこ)と町子(まちこ)は例の喫茶店にいる。
美々子(みみこ)の同僚の一人と連絡を取ることに成功し、待ち合わせをしたのだ。
前日前々日と同じく、奥のテーブル席に二人は陣取った。
今日も、きびきびと立ち働く女性従業員と、カウンター席に座ったきり微動だにしないエプロン姿の男性客がいる。
「結局今日も来ちゃったね」
時子はため息をついた。
三日連続で喫茶店でのランチは出費が辛い…ということで、今日は家から手作り弁当をランチジャーに入れて持ってきたのである。
警察署の食堂でその弁当を食べた。
それなのに、またこの喫茶店に収まっている。
ランチではなくても、お茶をすればそれなりにお金がかかるのである。
そんな時子の苦悩を知ってか知らずか、町子はメニューを興味深く見ていた。
「ケーキもいろいろあるんだよね。なんか食べようかな」
「太るよ」
時子は軽度の悪意を込めて言った。
「私、モンブランが好きなの」
町子は多少の他人の悪意は意に介さない。
社交的な立ち居地は、そうでなくては維持できないのだ。
私には無理だ、と自意識の強さを自認する時子は思う。
「時ちゃんは何が好き?」
「私はケーキはあんまり食べないの。太るから」
さらに悪意を込めて言ってみた。
町子は鼻歌を歌ってその場をごまかす。
町子はアドリブで鼻歌を奏でるのが上手い。
そんな変な小技ばかり持っててずるい、と時子は嫉妬する。
町子は、人間関係の上で器用なのである。
他人との関わりを何ら負担に思わない。
時子が逆立ちしてもたどり着けない境地である。
「時ちゃんは辛党かしらねえ」
歌うようにつぶやいている。
時子は呆れた。
「私はお酒も飲みません」
「なんだあ。じゃあ、一緒にケーキ食べようよ」
「いりません。太るもの」
「太らないよ、このお店のケーキは魔法のケーキよ?」
よくそんなくだらないことを思いつくものだ、と時子は感心した。
「町子さん、真面目な話するけどさ。待ち合わせ相手が来たとき、ケーキを頬張ってたら格好がつかないと思うよ」
「もう、時ちゃんは真面目なんだから」
人を弄ぶような浮かれた調子で言われる。
腹立たしくはあるのだが、そんな町子の余裕ぶりが頼もしくもあるのだ。
相手が美々子にしろ町子にしろ、自分よりも優れた面を持った友人たちに羨望を抱いてしまう。
自分はいつまでたっても小人物だ、と時子は悲しくなる。
どうにかして、友人たちに一目置かれたい。
今の状況からは難しいが、今後自分にも上昇の機会が来ることを時子は待ち望んだ。
人知れず野心に燃えながら、時子はホットコーヒーのカップに口をつける。
香ばしい豆の香りに、心が癒された。
「美々子さんの同僚の人、どんな人なの?」
時子は聞いてみた。
「まじめくさった顔の人だよ」
町子は、眉をひそめてこたえた。
そう言いながら、右手に持ったフォークで、注文したモンブラン山頂の栗を転がしている。
価格:3,200円 |