『のどぐろを依頼された若者』
「おはん、のどぐろ買ってきてんか」
こちらを見もしないで依頼してくる。
なんと横着なのだろう。
人のことをおはん呼ばわりするのも気に食わない。
だいたいが、赤の他人なのだ。
今はたまたま同じ部屋への潜伏を余儀なくされているだけで。
「のどぐろって何ですか」
「おはん、のどぐろも知らんか。今時の若いもんは、間に合わんのう」
その五十年配の男は、ベッドに寝そべってテレビで大相撲の中継番組を見ながら、やはりこちらに背を向けたまま人を馬鹿にした声をあげている。
こちらとしては不愉快である。
「ええか、のどぐろはな、魚じゃ。そして同時に酒の肴じゃ」
嫌な予感がした。
「そうじゃ、ええことに気がついた。おはん、のどぐろと同時に酒も一升瓶で一本頼む」
「ええっ…」
「何がええっ…じゃ。素直にはいと言えんのか」
こちらの「ええっ…」を口元を歪めて真似して見せるので腹が立った。
しかし、このおやじが潜伏期間中のホテル滞在費等諸々の支出を担っている以上、うかつに反抗はできない。
のどぐろに酒なんて、俺を使いに出さずルームサービスの人に頼めばいいじゃないか…。
そう抗議したい気持ちを飲み込んで、俺は街に出た。
午前中、ずっとうっとうしいおやじと同室に閉じこもっていなければならなかったので、街の空気を吸って俺は解放感を覚えた。
もちろん潜伏中の身なので、それなりに服装に気を遣っている。
首回りにもこもこと動物の毛皮あふれる皮ジャンに黒々と染められたジーンズをはき、野球帽をかぶった挙句、目方の大きなサングラスまで身につけた。
こうやって大げさな格好をしておけば、皆思い思いにこちらの身の上を察して放っておいてくれるだろう。
歩いていると時々、しげしげと視線を浴びせてくる人々もいたが、俺はその度にサングラス越しに相手をねめつけなければならなかった。
そう威圧を受けてなお、こちらに関わろうとする者はいない。
俺は通行人への警戒もそこそこに、ホテルのある洒落た界隈から、庶民的な下町の方へと歩いた。
しかしのどぐろなんてどこで買えばいいのだろう。
魚だから鮮魚店で扱っているのだろうか。
あのおやじ、面倒な買い物を押し付けやがって、と俺は舌打ちしたい思いだった。
鮮魚店がある界隈というのはわからないが、下町のアーケード商店街を見つけたので中を歩いてみる。
薄暗い場所だった。
営業している商店は数えるほどしかなく、通行する買い物客もほとんどいない。
ぞっとするような沈んだ空気である。
なんて寂しいのだろう。
ここまで来る間、肩で風を切っておおげさに歩いてきた俺も、厳粛な気持ちになってしまった。
商店街の端から端まで歩いても、人の気配があるのは工具店と書店とあとなにか集会所のような場所だけで、鮮魚店を見つけられなかった。
のどぐろはどこに行けば手に入るのだ。
俺は飢餓感に襲われた。
もとより俺が持っている、うっとうしいおやじに対しての義務感など、ごく小さいものである。
なんなら、手ぶらで帰って「いまどき、のどぐろは時期外れで売っていませんでした」などと、そらとぼけて言い放ってやってもいい。
しかし、いまや俺の中では、おやじに頼まれたからではなく、純粋にのどぐろを街中で発見して購入してみたい気持ちが強くなっていた。
そして、預かった金でのどぐろを買って店でさばいてもらい、酒も買って近所の公園で一杯やろう。
自分で見つけたのどぐろを自分一人で独占するのだ。
俺はアーケード商店街から脱出し、のどぐろを求めて街をさまよった。
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