『手間のかかる長旅(017) 川のせせらぎのしわざ』
薄目を開いたまま、町子(まちこ)は体を横たえて、時子(ときこ)のしたいようにさせている。
しばらくして時子は町子を揺さぶるのをやめた。
「どうしたの」
町子は、穏やかに声をかけてくる。
「大変だったんだよ」
ようやくこれだけ、絞り出すように時子は言えた。
町子が眠っている間に起こったことを、どこから説明していいのか思いつかない。
口に出す前に、ひとまず自分の中で整理した方がいいのかもしれない。
川に引きずり込まれる悪夢を見た。
現実でも件の野良犬に斜面を引きずり降ろされた。
得体の知れない警官が現れて、脅迫されたうえ連れて行かれそうになった。
これらを時系列で説明すれば理解が得られるだろうか。
「何かあったの?」
仰向けのままこちらを見上げて尋ねる町子に、時子はひとまず説明してみることにする。
時子は話し終えた。
二人は、土手の斜面に脚を伸ばして座り、河川敷の方を向いている。
町子は、完全に眠りからさめたらしい。
「あなたが自分は眠らないと言っておきながら、眠ったせいで」
時子は、常よりも饒舌になって語った。
「私、これだけの目に遭ったんだから」
まだ興奮しているせいで、舌がよくまわるのだ。
顔が火照っているのを感じる。
頬に手の平を当てた。
熱い。
「そう言えばそんなこと言ったっけ」
町子は首をかしげた。
「言ったよ」
時子は相手をにらみつけた。
「ごめーん」
町子は顔の前で両手を合わせて、おおげさに謝罪してみせる。
時子はそれ以上追求する気にもなれず、許すほかなくなってしまう。
やっぱりずるい人だ、と時子は思った。
「そう言えば、おかしいの。私、全然眠くなかったのに、寝てたんだ」
町子はまた首をかしげた。
「時ちゃんが寝てるところを横で見てたら、私もだんだんと眠くなっていったような感じ」
たよりないことを言う。
こんな人には寝ずの番は務まらない、と時子は思った。
「川が近いと、いろいろあるのかもね」
町子は結論付けるように一言。
「どういうこと?」
「私の急な眠気も、時ちゃんの諸々の災難も全部、この川のせせらぎのしわざだよ」
したり顔で答えるのだった。
その口ぶりに時子は呆れた。
ただ、彼女の言うこともそれなりに的を得ているのかもしれない。
悪夢を見たのも、野良犬にいたずらされたのも、悪徳警官が現れたのも川が近いせいだ。
眠った町子が不思議に目覚めなかったのも川のせいだ。
「そういうことにしておく?」
「そうよ、深い詮索しない方がいいの」
ものわかりのいい顔で諭されて、時子も何となくあきらめがついた気がした。
もはや日は傾き始めている。
時子が午睡と諸々のことを体験している間にも、時間は経っていた。
「今日は、これでおひらきにしましょう」
町子が、態度を改めて言った。
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