『いてはいけない異国の虫』

庭先で、フンコロガシが野生動物の糞を転がしている。 

今日子(きょうこ)はしゃがみ込んで、じっとその様子を見守っている。 

コガネムシに似た、丸くて小さな外見の甲虫である。 

逆立ちし、前足を地面に張って体を支え、後ろ足で自分よりも大きな糞の塊を転がすのだ。 

球状の糞の塊を転がして、どこかにある自分の巣穴に持っていくらしい。 

自宅の庭にフンコロガシがいるとは思わなかったので、今日子は少し興奮気味に目の前の虫の生態を眺めている。 

フンコロガシは四肢をばたばたとせわしなく運動させて、地面の上で糞玉を転がしていく。 

上手だな、と今日子は惚れ惚れした。 

フンコロガシは外国にいる虫だとばかり彼女は思っていたが、いつの間にか日本にも来ていたのだ。 

油断はできない、と思った。 

 

半時間ばかりもしゃがみ込んでフンコロガシを観察していたので、体の節々が痛む。 

フンコロガシにはしたいようにさせておいて、今日子は立ち上がった。 

一度、家の中に戻った。 

庭に面した部屋のガラス戸を開け放して、手の届くところに紅茶をつめた魔法瓶を置いた。 

部屋のへりに座った。 

外に両脚を投げ出す。 

ガラス戸のレールがお尻の下にあって少し痛いが、短時間ならどうということはない。 

魔法瓶のふたがカップになっているので、そこに紅茶を注いだ。 

お茶請けに、各種焼き菓子を入れたお皿も用意してある。 

紅茶を飲む合間に、今日子は好物のマドレーヌを楽しんだ。 

甘い、人を酔わせるような香りがする。 

口に含むと、ふわふわして美味しい。 

他人が糞を運ぶのを眺めながら、洋菓子と紅茶をたしなむのもたまには悪くない。 

今日子はそう思った。 

 

目の前を、フンコロガシが糞玉を押しながら通る。 

もう一匹。 

さらにもう一匹。 

その後から、もう一匹。 

一様に、お茶を楽しむ今日子の目の前を横切っていく。 

フンコロガシは皆が皆、大きな糞玉を所有している。 

今日子は洋菓子を頬張りながら、あれだけの糞がどこにあるのだろう、とふと思った。 

お茶をひと口。 

いくつもの大きな糞玉。 

今日子の家の庭で。 

野生動物の糞。 

急に、胸騒ぎが始まった。 

フンコロガシたちは、皆が同じ方向から糞玉を転がしてきた。 

今日子はそちらに目をやった。 

庭の隅に、プレハブの物置がある。 

今日子が今いる位置からは、生垣の死角になって見えない。 

確かめた方がよさそうだ、と今日子は思う。 

緊張した。 

魔法瓶と洋菓子のお皿を後ろに置いて、今日子は立ち上がった。 

玄関を経由して、再び庭に降りた。 

 

生垣の隙間を通って、庭の奥に来る。 

プレハブ物置に近づくに従って、今日子は異常を感じることができた。 

妙な生臭い匂いが鼻先に漂ってくる。 

またそれとは別に、動物の糞のすえた匂いもあった。 

自分の家の庭がこんなことになっているとは。 

今日子は怖くなる。 

のんびりフンコロガシを眺めていられた間はよかった。 

プレハブ物置の脇に、動物の糞で小山ができている。 

ここが、フンコロガシの糞玉の出所だったのだ。 

今も、数匹のフンコロガシが糞玉を作り出しては今日子の脇を通って庭を横切っていく。 

物置の扉は、わずかにあいていた。 

敏感な今日子は、その中から何かの気配と、小さな物音を感じ取った。 

ぴちゃぴちゃ。 

水音にも聞こえる。 

だが、それは不規則で、中に息遣いが混じっている。 

何かを食べる音なのである。 

今日子は拳を握り締めた。 

ゆっくりと足を進める。 

プレハブ物置に迫った。 

扉の隙間から、思い切って中をのぞいた。 

 

一瞬のことだった。 

「きゃああああ」 

甲高い叫び声。 

今日子ではなく、中の何かが今日子を見て発した叫び声だ。 

今日子は見た。 

大きな二つの目。 

黄色い瞳。 

毛むくじゃらの、巨大な生き物だった。 

それが、中から飛び出してくる。 

とっさに今日子は後ずさった。 

後ろに、尻餅をついた。 

物置から飛び出したそれは、今日子には構わなかった。 

地面にいる今日子の体を飛び越えた。 

今日子は首を回して、それの大きな背中を目で追う。 

着地した生き物は、前足を地面に降ろして、激しく四肢を躍動させて庭を駆けていく。 

助走をつけて、庭を囲む塀に向かった。 

前足を塀にかけ、跳躍する。 

その姿は塀の向こうに消えた。 

短い間、住宅前の路上を遠くに駆け去っていく足音が、今日子の耳に届いていた。 

 

今日子は、再びガラス戸を開けた部屋から足を出して、座っている。 

魔法瓶と洋菓子皿を傍らに置いて、庭先のフンコロガシの動きを見守っている。 

プレハブ物置の中には、あの毛むくじゃらが食べ残した、何のものともしれない肉片があった。 

物置の外には糞の小山。 

いてはいけない、多くのフンコロガシたち。 

それらを残して毛むくじゃらは去った。 

後片付けにかかる気持ちになれず、今日子は呆然と座っている。 

マドレーヌをひとつ手に取り、口にあてがった。 

ふわふわとして甘く、舌の上で滑らかに溶けた。

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