『雨の日の重い傘』
急に傘の上に、重い雨の塊が降り注いできた。
尋常ではなく重い。
今日子(きょうこ)は、傘の軸を、慌てて両手で抱えた。
彼女の顔に陰が差している。
先ほどまでは、そんなに暗くなかった。
まだ昼下がりなのだ。
見上げると、傘の上に、何か日光を遮るものがびっしりついている。
気持ち悪い。
とっさに傘を投げ出した。
傘がぼたり、と濡れた路上に重々しく落ちた。
落ちて斜めになっている傘の、頭側部分が今日子の目前にさらされる。
そこには、大量の蛙がへばりついていた。
小型で緑色、それはアマガエルだ。
雨が重くなったのではなかった。
尋常ではない数の蛙が今日子の傘の上に降ってきて、張り付いたのだ。
「気持ち悪い…」
蛙たちは傘の上にびっしりくっついていて、どかない。
雨は降り続けている。
雨粒が、今日子の両肩と頭の上に落ちている。
風邪を引いてしまっては困る。
「悪いんだけど、どいてくれない?」
今日子はおそるおそる、蛙たちに頼んでみた。
自分で頼みながら、聞いてはくれないだろう、と思った。
やはり聞いてもらえない。
蛙たちは傘の上に陣取ったまま、それぞれが顎を上下させたり、隣の蛙の頭に前足を乗せたりして過ごしている。
どいてくれ、と今日子は思った。
傘を離れるものは一匹もいない。
このまま重い傘を持つのは嫌だし、今日子は蛙にも良い感情を持っていないのだった。
「どいてったら」
雨は今日子が羽織ったカーディガンを濡らし始めている。
うかうかしていられない。
今日子は片足を出し、履いたブーツの先を伸ばして蛙をつつきにかかった。
つつかれた一匹の蛙は、迷惑そうに身じろぎして、横にずれる。
傘を降りる気はない。
ある一匹は何を思ったか今日子のブーツに飛び移った。
「ひっ」
驚いた。
足先を振って、張り付いた蛙をようやく追い払う。
ため息が出た。
なぜ急にアマガエルが湧いて出たのだろう。
いや、正確には上から降って出たのだ。
投げやりな気持ちになりながら、空を見上げた。
今日子の目に、脇から伸びて広がる街路樹の枝が映った。
彼女は悲鳴をあげた。
先の垂れ下がった街路樹の枝という枝に、アマガエルがくっついている。
今日子の傘の比ではない。
おびただしい数だ。
街路樹の枝の下は蛙の大群に日光を遮られ、真っ暗になっている。
今日子はおぞましくなって、反射的に一歩、街路樹から飛びのいていた。
どうしてその木にそれだけの蛙が集まるのかわからないが、異様な光景だ。
おそらく、そのうちの枝の一本から蛙のグループが他の集団に押し出されて、ごっそり今日子の傘の上に落ちてきたのに違いない。
今彼女の傘にしがみついているのは、あぶれ者の集団なのだ。
そう思うと、あまり邪険にするのも気の毒な気がする。
濡れるのは嫌だし、蛙を傘から追い払うのは無理だし…と、今日子は悩んだ。
結局、今日子は重い傘を再び手に取った。
我慢して、元通り頭上に差して帰ることにした。
蛙たちは依然重く、頭の上に傘を掲げるときに、今日子は重みで腕が痛くなった。
幸いに、その過程で何匹かが傘から飛びのいて路上に散った。
今日子が歩く間にも、少しずつ傘から飛び跳ねていく。
傘の上に大量の蛙たちを乗せて街を歩く今日子に気付き、すれ違った人たちが驚いて見守っている。
恥ずかしい。
今日子はできる限り、傘で顔を隠して歩いた。
そうすると、頭上の傘が頭頂部に触れて、布越しに蛙たちの重みと柔らかさが今日子に伝わってくるのだ。
慌てて傘を持ち上げる。
露わになった顔を通行人に見られる。
また傘を下げて顔を隠す。
蛙の感触が嫌で傘を上げる。
その繰り返しで、今日子は蛙集団を連れてのし歩いた。
家にたどり着いた頃には、今日子は疲れきっていた。
傘を開いたまま庭先に置き、息を整えた。
傘に残った蛙は十匹ばかりにまで減っている。
最後まで粘った蛙たちだ。
なんだか愛おしくなる。
この機会に、蛙に触ってみようかな、と今日子は思った。
傘に近づきながら、上に乗っている一匹の蛙の背中に、今日子はおそるおそる指を伸ばした。
指先が触れるか触れないかのうちに、蛙は傘から飛び去った。
今日子は悲しくなった。
戦友に拒絶された気持ちがした。
価格:1,598円 |