『真田一族外伝 伝説の英雄はなぜ誕生したのか』田中博文
真田氏について興味が出てしまいますよね。
それでこの本を読みました。
田中博文氏の『真田一族外伝 伝説の英雄はなぜ誕生したのか』です。
この本ではまず、真田信繁、通称「幸村」の名前が庶民の間で人気を得るまでになった経緯から説明します。
最初に江戸時代の軍記物の中で使われた真田「幸村」の名は、後に講談の場で。
また大正時代に入っては講談を文字に起こした「速記本」で、庶民の間に広まりました。
なかでも大阪で創業した速記本の版元である立川文庫は、忍者を主人公にした忍術ものの作品で好評でした。
その流れで「幸村」配下の猿飛び佐助を始めとした真田十勇士というキャラクターを生み出したのです。
これらの経緯を序章で説明した後、本書は本題である真田氏の史実上の来歴について語ります。
信濃国には滋野氏という古い家柄があり、彼らは朝廷に献上する馬を飼育する役目を持っていました。
真田氏は、この滋野氏の一族だったのですね。
彼らは育てた馬を定期的に各地に輸送する過程で、各種の情報を得られたのです。
またそれとは別に、真田氏が治める領内には四阿山と呼ばれる修験道の聖地があって、そこには山伏が集まっていました。
山伏というのは、日本全国の修験道の聖地を行き来していますので、日本中から情報を持ち帰ります。
これらのことがあって、真田氏は信濃の一地方にあっても世情に明るかったのです。
後々、真田幸隆、昌幸ら真田氏の当主は情報を駆使した諜報戦で活躍します。
その下地はそうした古来からの一族の成り立ちそのものにあったのかもしれません。
次いで本書では真田氏の人々の生き様を辿ります。
武田信虎に故郷の真田郷を追われた後、信虎の子である信玄に仕え、謀略で武田氏の信濃攻略に貢献した幸隆。
幸隆の三男で、武田氏滅亡後の混乱した状況を乗り切った昌幸。
昌幸の次男で、強大な徳川軍を相手に、豊臣方として奮戦した信繁。
昌幸の長男で、父と弟と別れ、徳川氏の臣下として真田氏の命脈を保った信之。
彼らは、圧倒的に不利な状況を戦い抜いたことで共通しています。
真田氏の武将たちそれぞれに魅力がありますが、特に信繁の生き様は際立っていますし、我々を惹きつけるものがあります。
徳川氏の家臣となることで、真田氏当主の信之は、生き残りました。
この兄と別れ、「徳川に対立した真田」を体現する信繁が、徳川のものになりつつある世の中で選択できる道は限られていたのでしょう。
彼の心境を思うと、胸のふさがるような気持ちがします。
そんな彼が選んだ生き方が、講談また速記本を通して後の世の人々に勇気を与えることができたのは、ある種の救いですね。
大阪の陣が終わって間もない頃の庶民の間でも、信繁が豊臣秀頼を連れて鹿児島に渡った、そんな内容の歌が流行ったのだそうです。
真田氏の武将たちの生き様をたどった本書を読み、彼らには一貫して、庶民が願望を仮託する素地があったのだなあと。
私はそういう風に思いました。
我々が見ている大河ドラマは、軍記物、講談、速記本と来た流れの果てにあるのですね。
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