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『社会実験進行中』

短編小説

大通りの路面にひざまずいて、道行く人々に語りかける男性がいる。

「助けてください、もう二、三日の間、酒しか飲んでいないんです」

非常に大きな声だ。

通り過ぎる人たちは、気の毒そうな顔で、ひざまずいた人を見ていく。

「助けてください」

他の人と同じように通り過ぎようとした私と、彼の視線が合った。

路上にひざまずいて、私の顔を見上げてくる。

「助けてください」

非常に大きな声だ。

他の通行人たちは、ひざまずく人のみならず私の方をも見ている。

「助けてください、もう二、三日の間、酒しか飲んでいないんです」

ひざまずくその人は、大声で訴えた。

「あ、そうなんですか」

私は気圧されて、立ち止まってしまった。

それとなく、相手の風体を見た。

前髪が乱れ、頬には何か黒い汚れがこびりついている。

唇の端が、ねじれて上向いている。

怪我でもしたのだろうか。

そしてところどころがくたびれて汚れた、スーツの上下だ。

アイロンをかけたのは、おそらくもう随分前なのだろう。

「本当なんです、先月仕事をクビにされて、もう酒しか飲めないんです」

「あ、そうですか」

私は相手の大声に気圧される。

なるほど、このご時勢でクビにされた人か、と思った。

珍しい話ではない。

昨今の社会情勢を受けて、彼のような職にあぶれた人がその辺にあふれている。

そうなれば酒も飲みたくなるだろうが、酒しか飲めなければ楽しくない。

酒だけでなく、肴も大事だ。

私なんか肴が調達できないばかりに、もう数ヶ月、酒そのものを口にしていない。

肴無しで酒を飲むなど、無理だ。

しかしこの目の前の人は、肴をないがしろにしてでも飲みたかったのであろう。

そう同情をしかけたところで、彼は目の色を変えた。

「でも私、もう酒にも飽きました」

ひざまずく人は訴えた。

私はその勢いに押されて後ずさった。

「安定した生活が欲しい!」

「あっ」

大声でまともなことを言われたので、思わずうなずいてしまった。

「安定した生活が欲しい!」

「はい」

気持ちがわかる。

「そうですね」

「安定した生活。それに先立つ仕事が欲しいのです」

「あっ、そうですね」

相手の気持ちがわかるので、私は小刻みにうなずいている。

かくいうこの私も、もう数ヶ月、仕事らしい仕事にありついていない。

酒も肴も飲めない理由のひとつが、これだ。

先立つ仕事は、必要だ。

酒も肴も、仕事があれば手に入る。

「先立つ仕事、欲しいですよね」

私は相手に相槌を打つ。

「そうです。仕事を世話してください」

相手は私の目を見据えたまま、続けた。

「えっ」

「仕事を世話してください」

相手の表情は、悪びれないものだった。

「ええと…」

私は、たじろぐ。

もう数ヶ月、仕事にありついていない。

酒も肴も手に入らず、貯金を切り崩して生活している。

仕事を世話して欲しいのは、私も同じだ。

他人に斡旋する仕事など、手元にあるはずがない。

「仕事を世話してください」

相手は繰り返した。

「すみません」

私は口の中で小さく言った。

「実は、私も、仕事には困っていて…」

「はっ?」

相手は大きな声で聞き返した。

私たちの傍らを横切る人たちが、興味本位の視線をこちらに向けている。

顔から火が出そうだ。

「ですから、私も仕事には困っていて…」

「はっ?」

大きな声。

こちらの声が聞こえないのだろうか。

「私も仕事にあぶれているんです。あなたのお世話はできません」

これ以上聞かれるのが嫌で、私は大声で言い返した。

恥ずかしいが、仕方がない。

ひざまずいた男性は、目を見開いてこちらを見ている。

ようやく、聞こえたらしい。

「なんだ、そうなんだ。それを先に言ってよ」

「はあ…」

相手は、鼻息を吹き出した。

「おたく、仕事もしてないくせに俺の目の前を肩で風切って行ったり来たり、いいご身分だね」

軽蔑しきった声が下から向かってくる。

なんだこの人は、と私もさすがにむっとした。

人の通り道の脇にひざまずいて声をかけてきたのは、この人の方なのに。

むっとしたまま、私は形ばかりの会釈を残して、その場を後にした。

 

いつものように、私は職業安定所に来ている。

施設内の、無料のコーヒーが飲める喫茶コーナーで暖を取っていると、声をかけられた。

「おい、モッさん」

体格のいい、私よりひとまわり年上の男性だった。

顔見知りである。

仕事仲間の、ゴッさんだ。

彼の口にしたモッさんというのは、仲間内での私の通称である。

「あっゴッさん、おはようございます」

ゴッさんは面倒見のいい男性で、私が仕事選びに困っているときに、仕事探しのコツを教えてくれたこともある人だ。

時には、仕事を世話してくれることもある。

この人がいなければコミュニティが機能しない、というタイプの人柄。

今の時代には稀有な人徳を持っている。

先日会ったあの路上の男性も、私でなくゴッさんに出会えていればよかったのだが。

「モッさんおめえ、ネットのゴシップは好きか?」

「えっ、ネットのゴシップ?」

「おう」

急に切り出されて、私は戸惑った。

「いや、そういうのは詳しくはないんですが…」

「おめえ、こういう記事が出てるんだぞ」

ゴッさんはポケットから携帯情報端末を取り出して、その画面を私に見せる。

インターネットの、何かの記事のようだった。

「これは…」

タイトルが「失踪中、かつ社会実験進行中」とある。

「何ですか、これ…」

「ちょっと読んでみろよ」

端末をゴッさんから受け取り、私は文面を拡大して読んでみた。

そのウェブ記事の書き手は、「社会派ブロガー」を自称する、この土地在住の男性だった。

彼いわく、先日、本業を退職して時間ができた。

時間があり余っている。

その機に、かねてから念願だった社会実験を実行することにしたのだという。

「無職で酒飲みの役立たずを社会はどう扱うか?」。

その事実をあぶり出すために、彼は日がな一日路上にひざまずいて、道行く人に仕事を乞うふりをすることにしたのだそうだ。

あれ、と私は思った。

路上にひざまずいて、通行人に語りかける人物。

先日、私もそんな人に会った。

「ゴッさん、私この人…」

「いや、わかってるからもう少し先まで読んでみなよ」

ゴッさんにうながされて、私は続きを読んだ。

文面には、路上にひざまずいたブロガー男性の体験がつづられている。

 

誰しもうす汚れた私なんかを相手にしないかと思えば、案に相違してこちらの身の上を聞き込もうとするおせっかいな連中も多い。

面白かったのは、通りがかった無職男性。

こちらの身の上に同情するかのような態度で言葉を交わして。

優越感を刺激されたか。

しかしこちらの問いかけにも終始おどおどして、要を得ない回答。

社会経験に欠けるたたずまい、というのを実地に目にした。

ああいう頭の弱そうな連中が仕事もせずに昼間から通りをうろうろ。

社会の害悪でしかない。

 

「何なんですか、これは」

私は顔に血が昇るのを実感した。

「まあまあ」

ゴッさんは私から情報携帯端末を取り戻しながら、笑ってなだめにかかる。

「やっぱりおめえさんだったか、記事の無職男性」

「失礼でしょ」

頭に血が昇り、コーヒーカップを持っていない方の手で、私はゴッさんの襟首をつかみにかかる。

「ふざけやがって、インチキ社会派ブロガー野郎」

「落ち着け、コーヒー飲め」

ゴッさんに片腕をつかみ返されて、コーヒーを飲むようにうながされた。

ゴッさんは握力の数値が100を超える男なので、そうされてはこちらも抗い難い。

空いている片手でコーヒーを口に運ぶ。

砂糖とミルクが混ぜてあり、私の好みの味。

ひと息つけた。

ゴッさんは、私の片腕を放した。

「ネットゴシップって、こんなの迷惑じゃないですか、他人のこと勝手に悪し様に書きなぐって」

改めてゴッさんに訴えた。

「まあまあ…」

なだめるゴッさん。

その表情は、落ち着いている。

「失礼ですよ」

「落ち着け」

「落ち着けません」

「いいか、モッさん。世の中にはな、他人を踏み台にしなきゃ自分を守れない奴もいるんだよ」

諭すような声色だ。

「はあ…」

私は首をかしげた。

そんな決め台詞を吐かれても、私の生の感情は納得しない。

「でも、踏み台にされた人間はどうなるんです…」

コーヒーを全部飲み干して、私は踏み込んだ。

うなずくゴッさん。

「人を踏んで行った奴は、大抵その先で転んでるよ。俺たちはそうならんように気をつけて、今日も生きるんだ」

握力は強い男だが、こういう決め台詞ばかり吐かれては、私も苦笑するほかない。

だがともかくも、私の心は落ち着いた。

「それはそうとゴッさん、仕事ありませんか」

「今日の午後から、一件あるぜ。人を集めろと言われてる。きつい仕事だがおめえさん、来るか」

「やらせてください」

コーヒーのおかわりをいただいて、私とゴッさんは現場に向かった。

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